と云うことで一年点検の血液検査の結果、善玉コレステロール、悪玉コレステロールの値とその比に問題なく、メタボリック・シンドロームの疑いは、いちおう晴れた。BMIの指数を見ると、あと7.5kgまでは太れるのであるが、まぁ逆に5Kg位は減量した方がベストだろうと、自覚はしている....油断は禁物...。
カークさんこと山田馨さんの個展が次週・6/30〜7/5の会期で銀座のギャラリー・ツープラスで開催。
ブログ「kaoru photo...2」掲載の作品等が展示されるそうです。
ギャラリーツープラス
東京都中央区銀座1-14-15 白井ビル
TEL 03-3538-3322
久しぶりにリアルのAssistOn原宿店に寄ったら月光荘のスケッチブックやカバンが置いてあった。先日、銀座の月光荘に行ったばかり....ですが、贔屓のセレクトショップに定番商品があるのは...正直嬉しい。因みにネットストアでは月光荘の商品は扱ってないようです。
と云うことでAssistOnで購入したのは、このカメラ・スタビライザー(stabilizer:揺れ防止用・安定装置)のManfrotto "Modopocket No.797"でした。いわゆる卓上三脚をカメラに取り付けたまま...と云う訳にはいきませんが、これならカメラに取り付けておいても邪魔にならないので、必要な時にいつでも...。
追記:akiさんも早速入手したのだ。aki's STOCKTAKING: ModoPocket
と云うことでakiさんの"Modopocket No.797"を自分のカメラに取り付けて御満悦の玉井さんなのだ。窓の外でSonokoさんも...。
AssistOnを出て横断歩道の前で明治通りの向かい側に目をやると鈍色の空に二台のメタルカラーのタワークレーンが凛として聳え立っていた。タワークレーンを美しいと感じたのは久しくなかったことだ。
ETV特集のアンジェイ・ワイダの「祖国ポーランドを撮り続けた男」を見た。独裁政権下での表現者として、支配者に見つからないよう権力批判のメッセージを込める手法は「悲劇のロシア」で放送された作曲家・ショスタコーヴィチに通じるものがある。
ところで、このアンジェイ・ワイダ:「カチンの森」は日本で上映されるのだろうか。
ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)
ブックカバーの見返しに『「ドストエフスキー」から「スターリン」、「プーチン」にいたるまで、ロシアをロシアたらしめる「独裁」「大地」「魂」とは何か。かの国を知り尽くす二人が徹底的に議論する。』と書かれている通り、ドストエフスキーの新訳文庫が評判のロシア文学者・亀山郁夫と起訴休職外務事務官で作家の佐藤優と云う二人の知性がロシアの近代と現代そして未来を様々な切り口からロシアを構成しているレイヤを徹底的に分析し議論している。面白い本である、腰巻きを読んだだけでも、それが伝わってくる。ドストエフスキーに精通していれば更に面白いであろう。だが、幸か不幸かロシア文学は高校生の時にトルストイを、それに1968年に話題となったソルジェニーツィンを読んだくらいで、ドストエフスキーの悪霊は映画となったものを岩波ホールで見ただけである。かろうじて先日放送された『知るを楽しむ・悲劇のロシア〜ドストエフスキーからショスタコービッチまで〜』の再々放送を録画できたのでどうにか俄知識だけは...。(と言っても未だ全て見ていないのだが...)
大学で神学を学び自らキリスト者でもある佐藤優の『スターリニズムは「ヒューマニズム」』に対し『キリスト教は「アンチ・ヒューマニズム」』と定義づけしている下りに、妙に納得した。そうか北方ルネッサンスと云ってもオランダ・ドイツが北限、15世紀にイタリアで興ったルネッサンスは辺境のロシアまで達することがなかったのだ。近代的自我が芽生えたルネッサンスの「ヒューマニズム」は「アンチ・ヒューマニズム」のキリスト教にとって異端であり受入れ難いものであった。
佐藤優は「第三章 霊と魂の回復」の中で次のように語っている。
ロシアだけでなく、キリスト教の異端についてぼくは次のように考えます。キリスト教は、二つの焦点を常にもっていると思うのです。イエス・キリストにおける人間と神性、信仰と行為、聖書と伝統、教会と社会というテーマをキリスト教神学は二項対立の形で立てることが好きです。そのうちどちらか一つの焦点だけを認めて、軌跡として円を描こうとするのが異端なのだというのが私の認識です。正統的キリスト教は、二つの焦点を維持して、楕円を描くのだと思います。ベルジャーエフは、キリスト教は二元論の陣営に立つと言ってますが、それはこのような楕円を描く焦点が二つあり、いずれも真理であるということを指しているのだと思います。
ちなみにプロテスタンティズムとロシア正教の異端派には、一つの焦点しか認めず、円を描こうとする傾向が強いです。私自身も、神学生の時代には楕円を円に矯正するのが神学の責務であると勘違いをしていましたが...
もしも亀山郁夫と同世代の米原万里が存命だったら鼎談もあり得たかも知れないと思わせる。ヒューマニストとしての米原万理とアンチ・ヒューマニストとしての佐藤優の論争も聞きたかった。
ところで、「生物と無生物のあいだ」にも出てきた研究員を揶揄する言葉『スレイブ(slave)=奴隷』はスラブ人が語源とされている。神や独裁者に隷属することを欲するロシア...が気になる。
ロシア 闇と魂の国家:目次
aki's STOCKTAKING:ロシア 闇と魂の国家
と云うことで今日の午前中、車の一年点検でディラーに車を納め、車の点検時間を利用して身体の点検もと掛かり付けの医院で健康診査を受ける。さて巷で話題のメタボはウェスト84のプチメタボでかろうじてセーフ。看護師のお姉さんは「大きい人も小さい人も身長に関係なく一律ウェスト85以上は変ですよね。」と「そうですね、若先生なんか...」と言いかけると「もーぜんぜん、オーバー、あたしも人のこと言えないけど。」うん確かに!と思ったが口には出さず笑って誤魔化す。血圧も今年から年齢に関係なく、上の正常値が120台だそうで、去年だったら正常値の私の132は霞が関基準では高血圧予備軍になるのだが...「まぁ待合室で順番を待ってるだけでも、人間の身体は緊張して、車のようにアイドリング状態でアクセルを踏んでいるみたいに、血液がより多く送られ、すぐに血圧が上がるからね。」と大先生。X線も採尿検査も特に問題なし、血液検査の結果は一週間後、さて...。それにしても、何から何まで霞が関基準は変。
東京新聞二面に地下鉄・副都心線の開通に合わせた企画広告・東京想造計画「書籍でめぐる副都心線散歩」の川の地図辞典に目が止まった。そのコピーを読むと...
西池袋に発する弦巻川、春の小川は河骨川、そして江戸期の竃(へっつい)河岸、薬研堀まで、いまある川、消えてしまった川や堀など約400。新しい<水辺の時代>へのガイドブック。....とある。川の地図辞典・出版記念ウォークでお会いした菅原さんと芳賀さんの顔が目に浮かぶ。因みに今日のタモリ倶楽部は開通前の副都心線からだった。(急カーブと急勾配の多い線路は電車の運転―運転士が語る鉄道のしくみ (中公新書 1948)を読み始めたばかりに...なるほどと...。)来週は東急の全面協力で東急・渋谷地下駅の全貌とか...
重いし、辛いし、悲しくてやりきれない事件だ。事件と関わりのない多くの日本人も傷ついたと思う。いや、私たちの疲弊した社会もこの事件がボディブローの如く働き今にも崩れ落ちそうに思える。何処にでも居そうな青年を狂気に駆り立て殺人鬼に仕立てたのは...紛れもなく私たちの社会なのだ。私たちの中に被害者の嘆きと加害者の悪霊が混在している。誰も傍観者ではいられない、それがこの事件だと思う。
奇しくも事件の四日前に時代背景となった格差社会の現実を言及した辺見庸による『プレカリアートの憂愁』と題したエッセーが東京新聞夕刊に掲載されていた。話は四年半ぶりに客員教授をしていたときの教え子に会ったことから始まる。
そのエッセーの一部を要約すると...
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彼は大学卒業後、中堅の広告会社に就職、そこで軽度の鬱を発症、通院しているうちに会社も退職、その後、様々な職業を転々とするが何れもアルバイトで定職には就いていない。『ぼくら、いったんプレカリアートとしてアンダークラスにくみこまれたら、袋小路からぬけだすのは不可能にちかいんですよ。』辺見庸は耳慣れない言葉に戸惑いを隠せない。
そして教え子から二つ問われる。一つ『このような時代を経験したことがありますか。』二つ『いま、いったい、なにに怒ればよいのですか。』それに辺見庸は反問する『プレカリアートは怒っていないのか、団結しないのか。』と、教え子は吐き捨てるように『自殺多いでしょ。あれって変種のテロじゃないですかね。』『大恐慌、きますか。きたら、ガラガラポンですよね。』
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まさに状況は『出口なし』だけでなく奈落の『底』さえも抜けてしまっている。
書店に平積みされている『蟹工船』そのブームの火付け役とされる雨宮処凜は「プレカリアートとプロレタリア文学」の中で時代は繰り返すというよりは、悪化しているこの状況を、当事者だけでなく、多くの人たちが知るべきではないでしょうか?と語る。
嘗て法律によって守られていた労働者の権利は労働者派遣法によってなし崩しにされた。人材派遣によって供給される歯車はカンバン方式の元で出荷も調整され、高い歩留まりが要求される。
加害者が勤務していた企業の6月9日付けのニュースリリースを読むと派遣会社による歩留まりの低下に問題があるかのようにも受け取れる。
人が人として扱われず、社畜と化した中間管理職は心を閉ざし業務命令を下す。人間関係は分断され憎しみの対象となる相手の顔も見えない。「結いの心」は失われたのか「市場原理と企業」について東京新聞(東京中日新聞)の挑戦は続く。(トヨタの地元、中日新聞が5/11から6/10に亘り連載した特集記事を再構成して5/30から東京新聞で連載。)
自殺者と同じ心理であろうか、ネットに書込を続けていた加害者は狂気へと暴走する自分を止めてくれる者が現れるのを待っていたようだ。オーデンの「われらの狂気を生き延びる 道を教えよ」のフレーズがこだまする。誰からも「生き延びる道」を教えられず、加害者の狂気は格差社会の元凶に向かうことなく、無防備な弱者に対し牙をむけた。日曜の午後、秋葉原を散策する人々、加害者はそれらの人々に自己を投影して狂気に及んだのであろうか...。それは倒錯した自死なのだろうか...。
....『このような時代を経験したことがありますか。』....
と云うことで、キャリアを変えることなく三年モノの柵(シガラミ)もないNokiaを手放す理由ができた訳であるが...さて6月9日に何が...。
....ん..これか..しかも7月11日とは...予想GUYでした...。
と云うことで"San Francisco"の" Moscone Center West"で開催のWorldwide Developers Conference (WWDC08)に行ったつもりで...
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センネン画報
2006年2月のエントリーで紹介したブログ・「今日マチ子のセンネン画報」の選りすぐり作品に新たな書き下ろし作品を加え単行本となった。最初は「ちょっとシュールな脱力系」という印象であったが、最近は高校生の女子とそのボーイフレンドとの日常と夢想が織りなす風景と叙情に少々の毒とエロスを添加した「オチのないマンガ」として作風が確立し、不思議な魅力をもった作品となっている。
マスメディアがふれてはいけないタブーである大スポンサー企業「トヨタ」に東京新聞が挑んでいる。東京新聞は中日新聞東京本社が発行する首都圏のローカル紙である。つまり本社は名古屋、トヨタの地元でもある。地元企業を批判しなければいけない。そして広告収入を失う可能性もある。それでも特集記事を掲載する決断した背景には、昨年暮れに判決が出されたカイゼンのノルマを与えられた社員の過労死裁判や、疲弊する地元下請け企業の喘ぎをメディアとしてこれ以上無視することができなかったのだろう。
第34回放送文化基金賞 番組部門 テレビドキュメンタリー番組賞を受賞した大阪毎日放送(TBS系列)制作の「映像'2007 夫はなぜ死んだのか〜過労死認定の厚い壁〜」も関西地区で放送されただけで東海地区や全国区では企業間の利害関係がバリアとなって放送されるには至ってないようであるが...さてどうするTBS。
東京新聞「特集・連載」【結いの心】市場原理と企業・トヨタの足元
全トヨタ労働組合(ATU)トヨタ(内野)過労死裁判判決でる
MyNewsJapan・本当のトヨタ