先日、京王線高尾駅のプラットホームから裏高尾方面を見ると、中央高速と圏央道のジャンクション工事がかなり進んでいたのに驚いた。あきる野ICの問題も土地収用が解決しないのにイケイケドンドンで手を付けたモノ勝ちでは、どこか軟派のコンパとレベルが同じ。と云うわけで午前中にちょっと裏高尾まで足を延ばして写真を撮ってきた。
八王子ジャンクションの中央高速下り線ランプウェイの工事
八王子ジャンクション付近
工事はこのランプウェイだけで終わらない。圏央道の本線はランプウェイの間を左手から右手へ谷を越えて高尾山の中腹に突き刺さる。
集落の遥か頭上を走るランプウェイ。長閑な山里に見えるが、夜間はJR中央線や中央高速道路の暗騒音は絶えることはない。周りが静かなだけに余計に音が目立つのである。
道路行政が出鱈目なのは圏央道だけではない。高尾山を貫通した圏央道が甲州街道(国道20号線)と接続するインターチェンジに結ばれる八王子南バイパスの存在も紆余曲折している。これも元々は東八道路(高井戸と八王子間の都市計画道路、細切れ状態、いつ完成するか誰も予測できない。)がめじろ台南側の椚田遺跡公園通りに繋がり高尾山南側まで延長される予定であったが。高楽寺や浅川地下壕に掛かるために計画が変更され、片倉から八王子みなみ野へ、それから八王子医療センター前の道路から紅葉台団地と拓大の間を通る案に変更された。これも途中の寺田地区に住宅地があり一筋縄ではいかないだろう。
笑ってしまうのが、この八王子南バイパスのルート変更が決定された途端に椚田遺跡公園通りに繋がる途中の道路用地を押さえていた或る学校法人がその土地を手放したことだ。それまで学校名の書かれた工事用スチールフェンスで囲われていた用地は、普通のメッシュフェンスに変わり、そこに牛が放牧されるようになった。暗躍するブローカーや政治家の影よりも牛が草を食む姿の方が遥かに心和む。
帰りに寄った峰尾豆腐店はBe-eaterに「するさしのとうふ」のタイトルでエントリーを書いた。
最近、よく見るblogがある。Roomと云うギャラリー(イベントスペース?)が主宰するblogで現在4人の書き手がいる。パリ在住の日本人が運営しているらしいRoomはパリ、モンパルナス南の国際大学都市から環状高速道路を隔て南のジャンティ地区にある。国際大学都市と聞くとコルビュジエのスイス学生会館とブラジル学生会館があるはずだと思い浮かべるのは職能上の性というより、年齢がばれるだろう。
Home Room
こうしたblogが沢山できるといいな。日本にいながらモンパルナスを散歩している気分になれたり、リアルタイムでアートシーンやミュージックシーンで何が行われているのか分かって面白い。
hosoki blog
00 ?? OO ??
先週土曜日の女子・サッカー/アテネ五輪アジア予選の対北朝鮮戦は、久々に気持ちの良いスポーツの試合を観た思いをした。全てのスポーツがプロ化するなかでアマチュアリズムがまだ生きている思いがする。残念なのは26日の決勝戦がアテネ五輪の切符を手にした後なのでリアルタイムのテレビ放映がなかったことだ。もしも、リアルタイムのテレビ放映があったら、全国のサポータの後押しで中国に勝てたかも知れないのに。
最近、A代表の試合よりもアンダー23の試合や女子代表の試合の方が、心して観られるのは何故だろうか、今日深夜のチェコ戦は、テレビで見ている我々の方がジーコよりも苛々しそうである。
日曜日、上野の東京文化会館でキース・ジャレット・トリオを聴いた。初めてキース・ジャレットを聴きに行ったのは初来日の30年前、その時はメンバーも異なりカルテットでの演奏、キースはピアノだけでなくクラリネットも吹いていた。初来日の時、急遽予定を変更して一度だけのソロ・ピアノコンサートを開催、それも聴きに行った。今回のメンバーの演奏をライブで聴くのは20年ぶり、オーディエンスは老若男女と実に多彩、キース・ジャレットのフアン層の厚さを感じる。僕も30年以上、彼の音楽を聴いていた事になる。つい、追憶に耽ってしまうコンサートでもあった。
招聘元のKoinuma Musicに当日の演奏曲目が紹介されていました。
■Keith Jarrett/Gary Peacock/Jack DeJohnette
4月25日 東京文化会館 演奏曲目
<第一部>
1.Night And Day
2.Django
3.不明
4.One For Majid
<第二部>
1.Tune Up
2.La Valse Bleue(a.k.a. Valse Hot)
3.So Tender
4.I Fall In Love Too Easily
5.The Ballad Of The Sad Young Men
6.Round Midnight
7.Straight No Chaser
8.When I Fall In Love
東京新聞4月24日夕刊・社会面に「服部君射殺 12年前も自己責任論・イラク人質事件で悪夢再び」の記事。12年前、米国バトンルージュでハローウィンパーティの当日、射殺された留学生服部君の母・美恵子さんが当時を振り返りインタビューに答えている。美恵子さんの元に全国から寄せられた手紙は励ましだけでなく、批難・中傷の手紙も多く含まれていたと云う。曰く「米国は銃社会、、、、、殺されて当然、」そうした手紙だけでなく無言電話にも苦しめられたと云う。
以下、美恵子さんの人質とその家族を思いやる言葉を引用。
「息子は死んでしまったけれど、あの方々は矢面に立っても生きていかなければならない。だからこそ、余計に人の心が悲しくなる。苦しむ人の立場を考えない人が増えたのでしょうか。ならば、どうしてそうなってしまったのでしょうか。」
例のヤフーショッピングでのeMacが税込み2787円という間違い表示に群がった2万人の人々はどういうつもりで申し込んだのだろう、常識的に考えても、ありえない価格であることは一目瞭然であろう。それよりも2万人から1億台という数字をみると、ネットを通じて連鎖的に情報が伝わり、買うつもりもないが、カテナとヤフーショッピングを困らせるために発注を仕掛けたとしか考えられない。単純計算すると一人当たり5000台の発注、いくら単価が安くても総額で13,935,000円になる。仮に入手出来たとして、転売するにもこの数値を実際に捌くのは大変な営業努力が必要な数字だ。故買商やバッタ屋等の闇ルートを知らなければ捌けないだろう。だいたい5000台を保管する倉庫代だけでも大変な失費になってしまう。それにしても販売側のカテナも店先を貸しているヤフーショッピングもアップしたデータの確認を怠っている事も問題であろう。実に後味の悪いニュースである。
二週間前の下書きをそのままにしていたら、とうとうダイムラー・クライスラーは三菱自動車への支援を打ち切ってしまった。結局、三菱自動車は顧客満足度を一度も真剣に考えた事がなかったとしか思えない。昔あったデボネアという車、あれは三菱グループの重役の為に作った車で、ほとんど手作りで自重は2トンを超え、製造原価は販売価格を遥かに上回るという話を聴いた事がある。そうした因習とかが過去において許されていた会社ではダイムラー・クライスラーに逃げ出されても仕方ないが、日本経済へのダメージは大きい、こうした場合の経営者の自己責任はどうなるのだろうか。
4月8日の東京新聞「特報欄」で三菱ふそうのタイヤ脱落問題 2つの責任について、何故、三菱自動車、三菱ふそう等の三菱グループ内で隠蔽体質があるのか言及している。
三菱グループと云えば60年代後半に東京海上火災が本社ビルを超高層ビルに建て替えようとしたとき、三菱地所をはじめとする三菱グループ企業が超高層ビル建設の反対運動を画策し、皇居前の美観論争までに発展させた。丸の内界隈は三菱村と言われるくらい、三菱グループの企業で構成され、不動産も丸ビルに代表されるように三菱地所の所有物件で占められている。結局、美観論争も丸の内地区での超高層ビル建設を東京海上火災に出し抜かれ、一番になれなかったことにたいする逆恨みか。丸ビルも超高層に建て替えられた今となっては、あの美観論争っていったい何だったのだろう。
「はるじおん」と読む。「ハルシオン」ではない。
昔から「澄むと濁るで大違い、「はけ」に毛があり、「はげ」に毛がなし。」と云うが如く、「はるじおん」は外来種の雑草で薬にはならない。元々、観賞用に輸入された品種ということだが、外来種の例にもれず、生命力が強く、ところ構わず生える厄介者でもある。
これも、空き地に群生していると、中々美しい風景になるのだが、花壇や植え込みに所々数本生えていると、見苦しく見えるから人間と云うのも勝手な生き物である。
MacOSのパッケージから分厚いマニュアルがなくなって久しい。マニュアルを読まなくても使えるところがMacOSの良さでもあるのだが、新機能や改良された機能等に気付かないまま使い続ける事もある。Sherlock3も御多分にもれず、追加された新機能に気付かないでいた。ただ検索機能を試そうとしたら翻訳機能が追加されていた。それも英和・和英だけでなく36通りの翻訳が可能なのだ。もちろん専用の翻訳ソフトと異なり辞書を鍛え上げる事は不可能だが、中国語やハングル等も英訳を仲介して和訳することも可能である。
36通りの翻訳オプション:英語とフランス語が国際語であることが良くわかる。
イタリア語を英語を仲介して和訳してみたが、相当、手を入れないといけない文章である。しかし1万円程度の簡易翻訳ソフトを買うくらいならこれでもいいだろう。但し、InterNetに接続されていることが条件になる。
先日、とんぼ返りで宇都宮美術館まで出掛けたが、昔々県庁の仕事で何度か宇都宮には行った事が有るので、宇都宮市内はどんな風に変わっているのかGoogle検索してみた。そこで栃木県庁のホームページにアクセスしてみて驚いた。県庁舎の建て替え工事が行われているではないか。それも配置計画を見ると県庁敷地内の建物の殆どを撤去して栃木県新県庁舎を建設するというものである。県庁敷地の南西に位置する栃木県議会庁舎は1969年に建築家・大高正人氏の主宰する大高建築設計事務所 の設計、鹿島建設の施工によって建てられ、まだ竣工してから35年しか経っていない建築物である。35年と云えば木造住宅の償却年数である。それでも短いと思えるのに、公共建築の寿命がたった35年とはどういうことだろう。議会棟はメタボリズム(新陳代謝)をシンボル化した建物である。スーパーストラクチャーの構造体にプレキャストコンクリートの部材によってオフイスが増殖してゆくというアイデアが根底にあり、メタボリズム(新陳代謝)可能な建築として設計されている。35年経った現在では耐震基準等の状況の変化は認められるが、対策を施しメタボリズムする以前に引導を渡され、いとも簡単にスクラップにして良いのであろうか疑問が残る。
つまりはバブル崩壊以降、神戸大震災を契機にして新耐震基準による耐震補強や免震技術は建設業界にとっては起死回生の手段なのである。それも震災対策の拠点となる公共建築にそれらの新技術を投入するのは新庁舎建設の反対意見を封殺するにも好都合なアイテムとなる。こうしてみると穿った見方になるが北朝鮮の脅威を声高に述べ、不安を煽り国防の必要性を説き軍事力を増強する手段にも似ているような気がする。何れもそれによって利益を得るものがいることだけは事実である。
工事状況を空撮したページをみると、昨年11月1日の解体準備の状況がわかる。本庁舎の北西にある第二庁舎は僕が初めて勤めた公共建築設計事務所の仕事で、僕は設計変更と外構の一部の図面を描いている。この建物は構造が青木繁研究室によるもので、やはり議会棟に合わせプレキャストコンクリートを用いた10階建ての事務所棟である。中央コア部分は鉄筋コンクリートのスーパーラーメンになっていて塔屋部分の東西方向にはポストテンションが掛けられている。壁厚も1mから70cmくらいあり、中央コア部分の地中梁は土木的スケールを持っている。解体工事・2004/3/21の写真を見ると、解体が容易でないことが良く分かる。
原設計の透視図、工事途中で設計変更がありPC柱のデザインが変わった。修行時代、この設計変更の立面図を描いていて、その時にCADがあれば良いのにと思った。今ならPCのユニットを一つ描いて後は配列複製すれば良い。
今朝のNHK教育テレビ、新日曜美術館・アートシーンで宇都宮美術館の「リートフェルト展」が紹介されてます。番組で紹介されたのはレッドアンドブルー、ジグザグ、ベルリンの三つのイスだけですが、最後の会場全体を写した画面の中央奥に例の「リートフェルトの平行定規」がちらっと見えます。
今朝の新日曜美術館を見逃した人は本日(4/18)午後8時からの再放送をどうぞ、番組内コーナーのアートシーンは8時45分過ぎからです。ちなみに本日の特集は「国吉康雄・アメリカを生きる」でした。この本編の特集も見応えのある内容です。
昨日のTBSニュース23でパウエル長官がTBS金平特派員のインタビューに答えてこう言った。「日本はあの三人を誇りに思って良い。」
米国の民主的サイドは彼らのように自分の意志で困難な状況に立ち向かいボランティア行為をする人々は尊敬の対象になるということである。この発言は、朝日新聞のサイトに掲載されているルモンドの記事に似ている考え方だ。仏紙が3邦人の行動を弁護
尤も、米国政府内のパウエルは自衛隊派遣の継続を支持している訳であるが、そうした立場の人間ながら懐の深さを感じる発言である。それに比較すると我が国の宰相はなんと傷口に塩を塗り込むような発言しかできないのである。まったくケツの穴が小さい小心者である。
JMMの『from 911/USAレポート』 第141回この冷泉彰彦氏のレポートは今日だけの掲載です。
以下、東京新聞「こちら特報部」の記事にリンク
『地球の歩き方』片手に自分探し派
『小泉言語』混乱に拍車
新生イラク軍にみる主権移譲のまやかし
イラク邦人人質の遠因? 米国の“ポカ”
30年以上前でこのタイトルならグループサウンズを指していたけれど、ガソリンスタンドの話です。
先月のこと、いつものように給油しようとガソリンスタンドに立ち寄ろうとしたら閉まっていた。その日はそのまま給油しないで家にそのまま戻った。翌日、再び立ち寄ったら、工事用の仮設フェンスで入り口がふさがれ、工事業者が電飾看板を取り外していた。高尾周辺の甲州街道と町田街道に面するガソリンスタンドで閉店したのはこれで何件目だろう。
先月閉鎖された町田街道に面したJOMO、家から歩いて行けて一番近いGS、給油するのに歩いては行かないけどね。前面道路の朝の渋滞は甲州街道まで続く。向かい側には佐藤製薬八王子事業所がある。
知らない間に閉店になっていたシェルのGS、紅葉台入り口交差点近くの町田街道に面してる。朝は甲州街道から舘ケ丘団地入り口まで渋滞する。
甲州街道に面して、最近までエッソのGSがあったところ。町田街道があきる野市に抜ける高尾街道と繋がったことで、それまで甲州街道を迂回していた車の流れが、潮が引くように少なくなってしまった。ここは跡地利用計画があるようだ。
ここが高尾駅に一番近い出光のGSだったところ。高尾周辺では最も古くから営業していた、昔は家でも専用カードの月末払いでここで給油していた。この辺りの交通量のピークは中央高速が開通するまでの時代であろうか、このGSが一番先に廃業した。
景気が回復傾向にあるという報道はどの国の事だろうか、しかしGSも乱立されて過当競争もあるし、交通量の変化とか立地条件も時代ととも変わりますね。写真を撮ってみて気付いたのはGSが廃業すると一番先にすることは石油会社のロゴを外すことなんですね、それでもコンクリート塀のテーマカラーで解ってしまうメーカもありますね。JOMOはテーマカラーまで塗りつぶすという徹底ぶりです。企業イメージが問題なのでしょう。
4月18日は建築家ジュゼッペ・テッラーニの100年目の誕生日にあたる。そのテッラーニ・生誕100年を記念したサイトGT04が開かれ、貴重なスケッチや写真等のスライドショーが掲載されています。1940年代の戦時中に描かれたスケッチを見ると、スタジアムのキャノピーのデザインや、プレハブ化を考えたような構造技術のスケッチなど、どこかレンゾ・ピアノへ繋がる建築的アイデアの持ち主だったように思えます。40歳を待たずして自死したことが惜しまれる建築家です。
日本では1998年4月から6月まで水戸芸術館・現代美術ギャラリーに於いて「ジュゼッペ・テラーニ ファシズムを超えた建築」展が開かれ、展示内容等が水戸芸術館のサイトに残されています。
と云うことで、昨日(4月13日)宇都宮美術館まで「リートフェルトの平行定規」を取材に行ってきました。宇都宮美術館は市の北部「うつのみや文化の森」に設計が岡田新一設計事務所で1966年に竣工、翌年1997年3月にオープンした未だ新しい美術館です。宇都宮の美術館というと1970年代初頭の川崎清・設計の栃木県立美術館と勘違いしてしまいそうですが、どちらも或る意味、その時代の精神を反映している建物のような気もします。
地域の美術館としての宇都宮美術館を特徴づけるテーマの一つに「生活と美術」があり、デザインや建築にフォーカスした企画の一環として今回の「リートフェルト展」を開催、より多くの人にデザインを身近に親しめるように「職人であり続けた、、、、」の名コピーが生まれたようです。
宇都宮美術館"Utsunomiya Museum of Art"を省略すると"U-MOA"ユーモアと読めます。これからも、人間性に溢れた楽しい企画が展開されることでしょう。
今回、「リートフェルト展」を企画された宇都宮美術館・学芸員橋本優子さんのコメントです。
「リートフェルト展」は大幅なバージョン・アップをして、宇都宮美術館で始まりました。府中では全く実現できなかったインスタレーション「シュロイダー邸インテリアの部分再現」、スライド・ショー「シュロイダー邸=ベルリン・チェア」のほか、研究目的で再制作した子供用家具なども特別出品します。展示面積は格段に広く、内容や展示デザインも充実。関連事業も盛り沢山ですので、ご期待ください。詳しくは、宇都宮美術館HPでどうぞ。会期は3月28日〜5月23日です
リートフェルトの平行定規のワイヤーの仕組みが解るように、製図板と平行定規を透明にして輪郭線だけの表示としました。あえて、実測する前の目測によるデータを公開して、実測と目測の誤差を検証する資料にも使うつもりです。本日、実測の予定、その結果は月末か来月初めに公開します。
製図板上部の製図板に水平に設置されたプーリーは大きい方が直径が65ミリくらい、小さいものが50ミリくらいにみえた。それが大小一組で左右にあります。それで左側が上に大きいプーリー、下に小さなプーリーが同軸で逆回転するように設置され、右側はその逆で、下が大、上が小になっている。このようにワイヤーをたすき掛けにして、交差する個所でワイヤー同士が接触するのを避けているようです。製図板の下側の製図板に垂直に設置されているプーリーも直径が65ミリくらいです。垂直のプーリーに掛けられたワイヤーは上のワイヤーは水平の上側のプーリーに掛けられてました。
定規は幅が約80ミリ、厚が5〜6ミリで長さはA0の製図板の幅約1200ミリから、左右に40ミリくらいはみ出してます。飛び出した部分の定規幅が40ミリで、定規幅80ミリとの差分は1/4円の円弧で納められてます。定規に設けられた横長の把手は鉛筆受けにもなっているようです。ワイヤーは平行定規の下端に金具で固定されています。
上部のプーリーの詳細、これは左側になります。右側は大小のプーリーが上下逆になります。
バランサーはビス(図では省略)で中に通したワイヤに固定されています。
玉井さんが翻訳されたタイニーハウスに触発され、昨年「タイニーハウス」をCADの課題に取り上げた。これは、学生に見せるための見本として作成したもの。
Palladian Barrack "Littel Emo"
パラディオ風バラックをパロディー風なバラックと読み違えても、パラディアン・バロックと勘違いしても差し支えない。パラディオによるVillaEmoを下敷にこの小さな菜園に付属する週末小屋はデザインされている。VillaEmoはパラディオによって1559年から1565年に掛けて北イタリアはヴェネト州トレヴィーゾのファンゾーロに造られたヴィッラである。パラディオが設計した多くのヴィッラの中でもVillaEmoは農作業の場を最優先にした田園風なヴィッラ(ヴィッラ・ルスティカ)となっている。VillaEmoの南からエントランスポーチに至るアプローチは緩やかなスロープとなっており、そこは収穫した穀物を日干し乾燥する場ともなっている。主屋の両翼にはバルケッサと呼ばれる納屋があり、穀物倉庫、ワイン貯蔵庫、厩舎等が設けられ、南面はロッジア(回廊)となっており、屋根にはコロンバーラ(鳩小屋)が設けられている。都市生活者であったヴェネチア貴族の為に建設されたヴィッラは理想的な田園生活を過ごすための舞台でもあった。
Palladian Barrack "Little Emo"
パラディオによるVillaEmoを下敷きにデザインされたこの週末小屋は規模に於ても、仕様に於ても比較にならないほど貧弱であり、その外観はヴィッラと云うよりモダン・バラックと呼ぶのに相応しい。主屋は4m四方の総二階、両翼に下屋が設けられサニタリースペースとなっている。玄関は設けられておらず、南に面して設けられた広いデッキスペースが、この週末小屋の顔、つまり外部とのインターフェースとなっており、コミュニケーションの場でもあり、菜園での農作業の延長の場ともなり、多目的な用途に対応する。デッキスペースには外流しとグリルが設けられ、煙や汚れを気にせずに炊事を楽しめる。デッキスペースと主室を仕切る建具は両翼に引き分けられフルオープンとなり、空間を一体化することができる。また、夜間や不在時には両翼の格子戸を閉めることもできる。1階の主室には小さなシンクとクックトップを設えたキッチンテーブルが置かれるだけである。2階は読書室と二帖の畳が敷かれ、晴耕雨読の生活に対応する。
モジュールは1mを使用、Be-h@usを採用できるように対応している。
1999年12月11日のメモから
先日、解剖学者・養老猛司の「学問の格闘」という日経サイエンスでの対話を一冊にまとめた本を買った。その中で認知心理学を専攻している菊池聡との対話「超常現象を信じる人、」でクリティカル・シンキングという言葉が出てきた。日本語では批判的思考と訳されるが、何かにケチをつける意味ではない。心理学的に見て錯誤が起こりやすい状況があることを認識し、できるだけ仮説は仮説としてものごとを捉え、正しく因果関係を判断する姿勢を身に付けようということで、ものの考え方の技術ということである。
大野晋の岩波新書「日本語練習帳」に「思う」と「考える」の違いについての記述がある。「思う」が一つの事柄に対する心の動き示す言葉であるのに対して「考える」は複数の事柄に対する心の動き示す言葉であるという意味の事を書いている。
つまり「恋人を思う」は恋しい人の事で脳が占有されている状態であるが、「恋人を考える」では何か他の対象物と比較して起こる心の働きである。
「思いすごし」「思い込み」と「考えすぎ」の違いも、「思う」と「考える」の違いの意味を考えると良く理解できる。
学生の提出課題を見ていると「思い込み」と「考え不足」が多いことに改めて考えさせられる。
戦争に勝ってはいけない本当の理由(ワケ)--白旗原理主義あるいは「負けるが勝ち」の構造--
原題:The WHTE FLAG PRINCIPLE
シモン・ツァバル・作 藤井留美・訳 バジリコ株式会社・刊
もしも、ブッシュ大統領に読み書き能力が備わっていると仮定した上で、彼がこの本を読んでいたとしたら決してイラクに手を出さなかったであろう。
戦争に勝っても戦勝国に何の利益ももたらさないこと、逆に占領支配するための経済的損失、敗戦国への同情、戦勝国への批判等、戦勝国の国民が得る利益よりも損失が遥かに上回ることを筆者は述べている。正に現在、イラクに於ける米国の立場がそうである。
歴史的にも奢れる勝者の行く末を待ち受けるものは惨めな敗北である。戦争、経済、スポーツ、どれをとっても勝利の美酒に酔いしれ、真当な判断力を失っているときこそ、既に敗北へのプロローグが始まっていると考えなければいけない。真に優れた経営者は撤退の時期を見失わない。その時期を見失った経営者は多大な負債を抱え、全てを失うことになる。
首相、人質家族の面会拒否
人質家族、アルジャジーラに出演へ イラク世論に訴え
パンドラの時代 池澤夏樹
Japan Mail Media編集長・村上龍によるメールマガジン、Web上では最新号しか閲覧できないので無料配信を申し込む。週末に配信される冷泉彰彦氏(作家・米国ニュージャージー州在住)の『from 911/USAレポート』が秀逸、最新レポート「自衛隊は即時撤退しても日米同盟は壊れません」これは既にWebでは読めません。
(冷泉彰彦氏のメールマガジンによるレポートは秋山東一氏から教えてもらいました。)
イラク邦人人質 崩れる政府の論理 東京新聞
日本も標的 エンドレス 膨らむコスト 東京新聞
イラク自衛隊 シーア派デモの恐怖 東京新聞
アルジャジーラ・アラビア語版MacOSXはアラビア語を奇麗に表示しますが、まったく読めません。
アルジャジーラ・アラビア語版のニュースサイトで紹介された高遠さんのイラクでの活動を伝える写真
アルジャジーラ・英語版の拉致関係ニュース
イラク派遣 揺らぐ『有志連合』 東京新聞4月11日
麗かな春の山里です。日一日毎に若葉が萌え、山肌が淡い彩りに塗り替えられる季節です。山桜が緑の中にあってアクセントになっています。手前の山が初沢城趾、奥が高尾山。高尾山の向こう側は富士山でも蜃気楼でもなく、ただの雲です。
4月7日放送の「笑っていいとも」より
大橋巨泉の暴言
「俺は国民年金なんか払ってないよ、払わないのも自由だ」
太田光(爆笑問題)のボケツッコミ「巨泉さんも国民年金を払ってません」に対しての暴言。
誰だろうが「払わない自由はない」このレベルの輩を数年前、参議院議員にした野党・民主党も情けない。確かに現在の年金制度は様々な矛盾を抱え込んで、腹の立つことばかりだが、現実にこの年金制度で高齢者を支えていることも事実で、若い人々が高齢者を支えるのが福祉の基本でもある。それを一度は国会の赤い絨毯を踏みしめたことのある人物がこうした発言をするのは如何なものか。
桃井かおりの妄言
「ここにお薬なんか入れて、死にたくなったら死ねるのよ。」
ピルケース付きのペンダントを自慢しての妄言。
タモリはその言葉を聞き流し取り合わなかったのが、大人の態度、かな?。
かおりも病んでるしぃ、アイデンティティの喪失ってわけ。
PhotoshopCSを使い始めてから、何故かMovableTypeでPhotoshopCSによるJPEGファイルをアップロード出来ないことが時々ある。データをPhotoshop7.0で再保存したり、データタイプをGIFに直したり、GraphicConverterを使ったり、その場しのぎで切り抜けるのだが、状況が一定でなく原因を特定できないのが困る。
リートフェルトの製図板も製図用紙にリートフェルトの図面をテクスチャーマッピングさせて、図版の入れ替えをしようとしたら、上記のエラーメッセージが表示された。結局、GraphicConverterでJPEGファイルに直して、ようやくアップロードができた。
「リートフェルトの平行定規」の3Dモデル(VectorWorks10.5による。)
4月5日付けのエントリーの未完成3Dモデルにワイヤとバランサー等を加え、テクスチャーマッピングを施してレンダリングしてあります。
尚、目測によるスケッチから起こしたものなので寸法等には、当然ながら誤差があります。
3Dをクリックすると拡大します。
今回の「リートフェルト展」を企画・コーディネイトした宇都宮美術館の学芸員・橋本優子さんから、とても貴重でレアな情報を戴きました。aki's STOKTAKING:リートフェルトの平行定規に寄せられたコメントの転載です。
五十嵐さんの素晴らしいスケッチには敬服の至りです。また、秋山さん、玉井さんの説明も、とても貴重で勉強になりました。ちなみにあの製図板は、リートフェルト自身が作ったものであることが、今日になってオランダの美術館の方の追跡調査で判明! しかも若い頃の製作で、シュロイダー邸の設計にまさしくこの製図板を使ったそうです。リートフェルトが家具工房を開いたのが1917年、「赤と青の椅子」の原型を作ったのが1918年、そして初めて設計事務所を設立したのは、シュロイダー邸が竣工した翌年(1925年)ですから、おそらくこの間の製作に違いありません。ちなみにこれを美術館に寄贈された方は、シュロイダー夫人の次女・ハネッケ(1950年代にはリートフェルト設計事務所の所員として活躍を始める)の友人ということですので、やはり設計に携わる人だったのでしょう。これ以外にも、リートフェルトは道具類を自分で作ることが多かったようです。修業時代は、金属工芸やジュエリーも手がけていましたので、実は木工以外のワザにも長けています。
※橋本さんがユトレヒトの学芸員から得た新たな情報を追加しました。
ハネッケ・シュロイダー(シュロイダー夫人の次女)が、リートフェルト設計事務所の所 員となったことは、先に書いた通りですが、この製図板をリートフェルトから譲り受けたハネッケは、その後、女流建築家として独立しました。その際に、この製図板を自身のアトリエで使ったそうです。また、一緒にアトリエを開いたハネッケの友人が、さらに製図板を大切に使い続け、1999年にユトレヒト市立中央美術館に寄贈しています。やはり、この製図板と平行定規は永い間大切に使われてきたからこそ道具自身から語りかけてくる何かがありますね。
因みに海外の平行定規にはどんなモノがあるのかGoogle検索してみました。
キーワードは「Parallel-motion ruler」です。
Parallel Ruler 光栄堂の平行定規に近いタイプ。
Parallel Motion Drawing/Design Board 一般的な平行定規
Peter Parallel Motion上部の駆動部分が同軸で回転するタイプ
Peter Wraight 3Dデザイナーのサイト、この平行定規が最も似ている。
Drawing Board 大型平行定規のショッピングサイト
大型の平行定規には「リートフェルトの平行定規」に似ているものがありましたが、上部の駆動部分は左右共同軸の回転ドラム式になっていて、「リートフェルトの平行定規」のようにワイヤーを上部でたすき掛けにする例は見つかりませんでした。
クラウン・モデルと云う店名が一般的なようであるが、子供の頃はただクラウンとだけ言っていたような気がする。小学生から高校生くらいまではよく通った八王子市内の八日町交差点の近くにある模型屋。
高校生くらいのとき、模型自動車によるスロットレーシングが流行っていて八王子でも西放射線通りにスロットレーシングのサーキットがあった。その時分は模型雑誌を参考にしては、エンジンチューナップならぬ、モーターを分解、エナメル線を巻き変えるなどの改良を施しトルクを稼いだりして走らせていた。ときどき、オーバーヒートでモーターが焼け焦げたり、火を吹いたりもしたが、見つからなかったのかサーキットの店主に叱られたことがなかった。
4月から始まる建築系のテレビ番組がNHK教育テレビと放送大学であります。
NHK教育テレビ「人間講座」
可能性の建築 〜人間と空間を考える。
4月6日午後10:25〜50まで(毎週火曜日)、放送回数:9回
講師:岡部憲明(建築家・神戸芸術工科大学教授)
放送大学
4月3日午前7:30〜8:15まで(毎週土曜日)、放送回数:16回
住まいの構造・構法
講師:深尾 精一(東京都立大学大学院教授)
こちらは放送大学の講座ですが、受信可能な地域であれば、堂々と偽学生になれます。
放送大学のサイトにシラバス(講座概要)のPDFがあります。
東京都写真美術館にて上映中の「アフガン零年/英語版タイトル:Osama」を見た。昨年、NHKで、そのメイキング・ビデオと監督自身のコメントを放送していたので、期待を膨らませて出掛けた。些か期待を抱きすぎていた所為なのか、期待外れの内に82分間の上映時間が終わってしまった。この映画を全否定するつもりはない、82分間でアフガンの全てを描ききれるものではないことは先刻承知である。しかし、描いたものと、描かれなかったものが、何かを想像することは許されるだろう。これが、セディク・バルマク監督が本当に撮りたい映画であったのか疑問だけが残り、腑に落ちない。映画制作はアフガニスタンとアイルランド、日本の出資によるものである。その多くはNHKエンタープライズ21が負担しているようである。邦題の「アフガン零年」と英語版タイトルの「Osama」の違いは何であろうか、「Osama」はお香屋の少年が、主人公の少女を庇うために、咄嗟に思いついた男性名である。邦題の「アフガン零年」は、セディク・バルマク監督がそれで良としたのだろうか、どうもNHKの意向が強く感じられる。「アフガン零年」ではアフガニスタンの過去の歴史全てが否定されているようにも思えるのだ。
監督のセディク・バルマク氏に関してはタリバン政権と対立する抵抗勢力であった北部同盟の本拠地・パンジシールの出身である。1962年生まれと云うから、ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻した1979年に17歳、そして撤退した1989年には27歳の青年になっていた筈である。彼の経歴にはモスクワに留学して6年間映画制作を学んだとされているから、アフガニスタンがソビエト連邦に占領されている時期に故国を離れ、占領支配国であるソビエト連邦で学生時代を過したことになる。云わば宗主国が植民地の有能な青年を本国に招き入れ教育を受けさせ、宗主国の文化的遺伝子を植え付け再び植民地に帰して植民地支配に就かせる意図に因るものであろう。
何故、監督の経歴に疑問を感じたのかと云えば、映画の中でのタリバン政権の描き方が余りにも図式的過ぎて、何か出来の悪い政治的なプロパガンダ映画を見せられているように思えたからである。例えばタリバン政権下にあってブルカに身を包んだ女性たちのデモが実際に有り得たのだろうかとか、隣人の婚姻の宴でタリバンへの悪口雑言を歌や踊りで表現することが可能だったのか疑問が残る。単にタリバン政権の理不尽な圧政を見せるための演出だとしたら、余りにも稚拙な表現である。
青年時代をモスクワで過し、タリバン政権後はパキスタンに亡命していたセディク・バルマク氏はアフガニスタンの僅か一握りのエリートであろう。その彼にタリバン政権の首都カブールの虐げられた人々の生活を描ききれたのか、私には想像できない。
真実を訴えるドキュメンタリーなのか、虚構でもカタルシスのある物語(ドラマ)なのか、どちらつかずの映画作りに観客として戸惑いを隠せない。何か演出過剰(やらせ)で姑息なドキュメンタリーを見せられたような後味の悪さが残った。
この映画の最大の欠点はアフガニスタン人の監督による映画であるが、アフガニスタンの人々に見てもらうために作られたものではないという事であろう。