>塩ビのクリアボディの裏から、、
そういえば、そういうのありましたね。
小学校の3年生ぐらいがピークだったと思います。1966年ごろでしょうか。そのころ、デパートにまでコースがあったのが夢のようです。
そのブームが去った後、田宮や日模のメジャーブランド
が撤退して、真鍮パイプでシャーシを自作、塩ビのクリアボディの裏からハンブロルを塗るのが主流になりました。
中学の間、真鍮パイプのシャーシのデザインと半田付けばかりしていました。本物のレーシングカーのシャーシビルダーになりたいと思っていたのを思い出しました。
クラウンは私も愛好いたしておりました。
いつごろからなのか、定かではありません。
大体、私が初めてプラモデルなるものを見て買っ作ってみたというのは高校一年生の頃です。マルサン(プラモデルを商標登録した)製のシュリンプパックされた飛行機の簡単なプラモデルでした。そんな訳ですから、それ以降でありましょう。
モノグラムとかラベルとオーロラとかエアフィックスとかの欧米メーカー全盛の時代、そしてタミヤ、長谷川とか静岡勢の時代へ、今は徐々に東欧、中国、香港へとシフトしつつあるようです。
クラウンは八王子唯一の模型屋さんです。僕が八王子から離れた後も、僕の父親が愛好しておりました。父親の作ったプラモデルがショウウインドウに飾られていたりもしました。スロットレーシングはその父が夢中になっていました。きっと、あの時、熱心に覗いていたのが進少年だったのでありましょう。
Posted by 秋山東一 at April 6, 2004 05:16 PM