January 31, 2004

Mydoom

他人事と思っていたら私のところにも「W32/MyDoom-mm」が送り付けられるようになってきた。

-- LinkClub --
Sorry Dangerous Attachment has been Removed.

The file "readme.zip" has been removed because of a virus.
It was infected with the "W32/MyDoom-mm" virus.

プロバイダ側のメールサーバーでウィルスチェックが機能しているので怪しい添付ファイルは削除される仕組みになっているのと、MacOS環境なので幸いにも感染の心配はないのだが、ワームは他人のメールアドレスになりすましてやってくる。ErrorもYasさんになりすましてやってきた。

Subjectが「test 」「hi 」「hello」「Mail Delivery System」「Mail Transaction Failed」「Server Report」「Status」「Error」だったら直ぐに削除するしかない。
と、このエントリーを書いている最中にも二つのワームが送られてきた。

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January 30, 2004

基本特許

中村教授と日亜化学工業との間で争われていた裁判が結審して200億の支払い命令が裁判所から申し渡されたけれど、日亜化学工業(株)のサイトには「404特許裁判について」と
404特許訴訟の判決についてのコメント」というコメントが掲載されています。
往生際が悪いと云うか「当社は404特許の寄与率は0であると確信している。」なんて書いてあります。この404特許が青色発光ダイオードの基本特許になっている訳でしょうが、これって自分の会社の基本特許を全否定していることになるけれど、いいのかな、こんなこと言って。

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January 27, 2004

故人の意志

テレビを見ていると亡くなった俳優や有名人がコマーシャルに出演していることがある。最近、頓に目立つのは夏目雅子や石原裕次郎である。そこで、故人の意志はどうなっているんだろうと疑問に思えてしまう。きちんと故人が遺志を伝えてあればまだしも、そうはとても考えられないケースの方が多いような気がする。冥土に旅立った者をいつまでも俗世界に縛りつけ稼がせているように思え浅ましい。亡くなった俳優に会いたければ彼らの残した作品を見れば良い、幾らCGの技術が向上しているからと云って、それらを編修改竄して、故人の意志と異なる編修するのは如何なものか。
何年か前に手塚治虫が彼の生み出したキャラクターのお茶の水博士と共に某社の車のCFに出ていた。手塚治虫は自分の作品を再版するときは新たに書き直し、そのまま復刻再版することを許さなかった人である。手塚治虫が亡くなった後に、コレクターアイテムであった初期の作品の宝島やロストワールドの復刻版が挙って出版された。故人の意志(遺志)がどうなっているのか知る由もないが、何か割り切れないものだけが残った。
昔のスイングジャーナルのコラムでニューオリンズの「名物遣り手婆さん」の逸話を読んだことがある。僕の曖昧な記憶によると、彼女はホンキートンク(安酒場兼売春宿)の生き字引的存在で彼女自身売春婦でもあった。多くのライター等が彼女から半生記を聞き出そうと試み断られた。理由は「あたしが死んだら、あたしのブックは閉じられるのさ、死んでまで博物館の展示品になるなんて、まっぴらだね!」

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January 26, 2004

文作7

MacPlusを買う一年ほど前にJDLのワープロ・文作7をリースで導入していた。確か沖電気のOEM製品によるドットインパクトのB4プリンターとセットで月12,000円のリース料だったと思う。この文作7は実はMacPlusと同じモトローラ68000をCPUに使っていた。5.25インチのFDドライブが二つあり、システムとデータ保存に別れ、カタカタと云うドライブ音が今となっては懐かしい。当時はPC-98シリーズという選択肢もあったのだが、PC-98シリーズの筐体デザイン、あの美的感覚は受け入れ難いものがあった。それに一太郎は僕がワープロに望んでいたスペックを持ち合わせてはいなかった。
文作7導入の決め手はその作表機能であった。縦横のセルの数とセルの高さ幅を指定して表組のフォーマットを保存しておけるワープロはその当時他にはなかったと思う。
或る意味、文作7があったからMacintoshの世界に気ままに踏み込んで行けたのではないかと考えている。業務の書類作りは文作7に、仕事半分、面白半分のMacintoshと棲み分けていた。その文作7は日本語ポストスクリプト・フォントとNTX-Jを導入してから、作表も Excel を使う割合が増えリース期間を全うする前に引退、リース会社から手配されてきた中古OA機器の業者がマニュアルとソフト一式を受け取りに来た。まだワープロ機器全盛の時代であった。

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January 25, 2004

My First Macintosh

1984年にMacintoshは買えなかったけれどその当時のカタログは持っている。

と云うことで昨日がMacの公的に認知されている誕生日となるのでしょうか、僕が最初に買ったのはMacPlusで1986年10月、価格は498,000円(帳簿によると)でした。確か、MacPlusはその年の6月に日本語化され、価格も50万以上していたのが9月末くらいに値段が引き下げられたので、思いきってキャノンの01ショップで買ったものです。で、最初のMacPlusは買って三日目にガシャーンと不協和音と共にサッドマックが登場し、夭折しました。初期不良ということで交換になったのですが、新しいMacPlusが届くまでの一月余りは01ショップから代わりのMacPlusを借りてました。次の二代目のMacPlusは直ぐにメモリを2MBに増設しました。その値段が10万、これも取り付けた途端にサッドマック、そのIDでメモリの初期不良と直ぐにわかりました。なんたら、かんたらと、一筋縄ではいかないコンピュータでしたね。

MacPlusを買うまでには一年以上のリサーチ期間がありました。なにしろ、どこに行けば実物が置いてあるのか情報のない時代でした。そんなときアスキーの広告で見つけたのが日本橋小伝馬町にあったハイテックスという店、さっそくカタログを請求しましたが、結局その店では買うことはありませんでした。初めてMacを見たのは1985年で以外にも渋谷西武のB館のステーショナリー・グッズの売り場、そこに一台だけ飾ってました。
国内でMacintoshが二万台を超えたのが1987年だったと思います。その時点でMacintoshを持っているのはコアなユーザーということで、SEとIIも出てカラー環境も整い、そろそろMacintoshを冠にした雑誌が出始めてきたと思います。AppleIIもGSがでてカラーになったのはこの時期じゃないのかな。
僕がMacintosh IIを買ったのが1988年で価格が1,279,290円、1991年にこのMacintosh IIをIIfxにアップグレードするのに50万近くも掛かったと思います。今では考えられませんね。

キャノン販売による当時のソフトウェアのカタログ、MacDrawとA&Aのテンプレート集ASAが並んでる。僕はこのASAは買いませんでした。

ハイテックスのカタログ、一番下にMiniCAD(VectorWorks)がある。MiniCADは最初から3Dソフトとして作られていたのですね。

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January 22, 2004

CD-ROMのリサイクル

ボンダイブルーのiMacが初めてリリースされたとき川崎和男氏がMacPower誌上でiMacを酷評されたことがある。その後のG3、G4も酷評しポリタンクと揶揄していた。特に川崎和男氏は、それらの筐体がポリカーボネート樹脂で作られていることを問題視していた。ポリカーボネート樹脂はその成分にビスフェノールAが含まれていることから環境ホルモンの容疑のある素材である。特に食器、なかでもポリカーボネート哺乳瓶の安全性を問題視する人は少なくない。
iMacの批評で、ポリカーボネート樹脂をやり玉に上げていた川崎和男氏であったが、何故かいつの間にかトーンダウンしてポリカーボネート樹脂について言及することを止めてしまった。その真意は計りかねるが、川崎和男氏が連載を受け持っているMacPower誌には毎月付録でCD-ROMが付いてくる。そのCD-ROMの素材はポリカーボネート樹脂である。つまり、環境ホルモン云々を問題視していた記事を載せていたマスメディアがポリカーボネート樹脂を大量にばらまいている当事者でもあった訳である。

建築素材としてポリカーボネート樹脂の使用は、僕の記憶の限りでは1960年代の後半に三菱のユーピロン硝子の名称で銀座四丁目角の交番の窓ガラス、つまり防弾硝子の用途で使ったのが、最初の頃だと思う。Googleで検索した結果、ユーピロン硝子の名称は現在では使われていないようだが、ユーピロンの商標は三菱エンジニアリングプラスチックが保有し、商品名はユーピロン・シートとなっている。

何かの展示会でポリカーボネート樹脂による中空シート「ツインカーボ」を販売している旭硝子にリサイクルや環境対策について伺ったところ、現場加工は原則禁止、工場で施工図寸法に合わせて裁断してから現場に発送し、自社製品に関して建築廃材になった場合は回収してプラスチックのビスなどに再利用しているとのことである。それでも、ゼネコンや解体業者に環境に対する配慮がなければ、それらの回収もままにならない事は予想される。

建築解体の場合は大量の廃材がでるので目に付きやすいが、常々、雑誌や書籍の付録のCD-ROMがどれだけ利用されているのか、見もしないで破棄される可能性はどのくらいあるのか疑問に思っている。僕も出版社の要望で自著にCD-ROMを付けていたことがあるが、既にその必要性はなくなったと考えられるので止めてしまった。僕自身も雑誌のCD-ROMの処分に困っている。CD-ROMを何か再利用できればよいのであるが、情報の鮮度が落ちれば使い道のなくなる代物である。

同じようにCD-ROMの処分に困っている人はいるようでCDメディアのリサイクルビジネスショー辺りでも話題になりつつある。
それよりも、より環境負荷の少ないCDメディアも考えられている。こちらはトウモロコシ1本からディスク10枚が作られると云うことである。
もう、そろそろゴミにしかならないようなCD-ROMを雑誌の付録にするのは止めたほうが良いと思うのだが、如何なものか。
スーパー店頭の発泡トレー等の回収ボックスやコンピュータショップ店頭のインクカートリッジ回収ボックスのように、書店やレコード店、コンピュータショップの店頭に不要になったCD-ROMの回収ボックスを設けてもらいたいものである。システムさえあればリサイクル可能なのである。

Posted by S.Igarashi at 02:33 PM | コメント (1) | トラックバック

January 20, 2004

アニメーションの世界展

「かさなるてわざ・アニメーションの世界展」が杉並区との共催で女子美術大学のガレリアニケで1月13日から2月1日まで開催されています。場所は杉並キャンパス、こちらの地図を参照してください。
会場には日本の代表的なアニメスタジオよる映画やテレビ放映されたアニメーションのセル画が展示されています。
僕はCADの授業でレイヤーの概念を学生に説明する時に、アニメーションのセル画を例えにしますが、正に教材にしたい展示作品です。

Posted by S.Igarashi at 10:34 AM | コメント (0) | トラックバック

January 18, 2004

戦う建築家

「お元気ですか、まだまだ戦ってますが、、、。」嶋影さんからの年賀状にはそんなコメントが書かれていた。OM研究所が主催する昨日の土曜リレーフォーラム勉強会は嶋影さんを講師に招いて目白のOM研究所(元・吉村順三建築設計事務所の建物)で行われた。嶋影さんは僕が5年間お世話になった高木滋生建築設計事務所の先輩である。現在は故郷である福島県郡山市で建築工房と云う設計事務所を主宰している。今回の土曜リレーフォーラムのテーマの中心となった「なのはな保育園」は計画・設計・施工・維持管理を通して、役所、理事長、園長、保母、保護者をまでを巻き込んで全員参加で建物に関わっている。キーワードはユニバーサルデザインであるが、主義主張やカタチが先行するそれでなく、建物の運営を含めて、地域で活動する建築家の一つの在り方を示すものとなっている。ここれからも、嶋影さんは相変わらず戦い続けるようだ。

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January 16, 2004

リートフェルト展

Schroder.jpg
Schroder House QuickTime movie 192kb(VectorWorksで作成)
リートフェルト展 が東京の府中市美術館で明日(1/17)から3/21まで開催されます。会期期間中のワークショップでレッドアンドブルーチェアーの組立などが行われるようです。

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January 15, 2004

想像して下さい

数年前のこと、私が仕事で家を空けるときに老いた母(介護認定3度)を介護保険制度を利用して、介護施設のディサービスに預けられないか、とケアマネージャーに相談した結果、近くの介護施設を紹介され、母を伴いその施設に面談に出掛けることになった。紹介したケアマネージャーは他の用事で同行できず、我々だけで面談することになった。
カウンセリングルームに通された私たちに対して、その介護施設の女性係員が最初に発した言葉は次のようなものであった。

「施設内でお母さんに何か事故があっても、当施設を法的措置に訴えないという誓約書を書いてくれないと、預かることはできません。」と言われた。
最初から免責事項の確認から説明が開始された。次にディサービスについての説明が始まった。
「送迎については施設のマイクロバスで行いますので、ご自宅にバスが到着する前に道路まで出られて送り迎えして下さい。」一方的である。
そして「お預かりする時間は、9時から10時の間に迎えに伺い、3時から4時の間にお送りいたします。」
まるで、幼稚園である。私が望んでいるのは、どちらかといえば保育園である。私が「例えば、送迎はこちらで行いますから、時間をもう少し早くしたり、或いは5時か6時くらいまで預かってもらうことは出来ないのでしょうか。?」と尋ねると、にべもなく「それはできません。」と全否定された。
それから、食事のこと、おやつのこと、着替えのこと、なんたらかんたら、と細々したことの説明。そして、「最初にお預かりする場合は、集団生活に馴染めるか分かりませんので痴呆老人グループの日に入ってもらいます。」
それから、いちおう、母を伴って施設内を一通り見学させてもらい帰宅したが、条件も合わないし、それ以上に施設の高飛車な態度にむかつくし、ケアマネージャーを通して断ることにした。

それから暫くして、新聞に「介護施設の見直し」という記事が掲載されていた。内容は問題のある施設は介護保険制度の適用から除外するというものだった。

それから、数日後、件の施設の私たちが会った担当者から電話があった。「まだ決定されてないようですが、是非、お母様と一緒に一度施設を見に来て下さい。」
その電話で私は思わず、目が点となり、ひたいからサァーっとスダレが掛かってきたが、「あの〜、先日は母も一緒でしたけれど、あなたが何か質問していた相手はいったい誰だったのですか、、」と答え、もちろん、その電話でお断りした。

テレビ番組か何かで、良い介護施設を選ぶときの条件をあげて、先ず第一に「玄関が立派すぎる施設は避けよ。」と言っていたが、その施設はまさしくその条件にぴったりであった。玄関ホールとロビーは広く閑散とし、一見して老人介護施設ということは分からない。つまりは、外部からそこで何が行われようとも誰の目にも止まらないのである。老人は社会とは隔離され、言ってみれば態のよいアパルトヘイト状態であった。

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January 14, 2004

明治・大正を食べ歩く

「明治・大正を食べ歩く」 森まゆみ PHP新書
これは地域雑誌「谷根千」の編集人であり、最近はNHK教育放送・人間講座「こんにちは一葉さん 〜明治・東京に生きた女性作家」の講師を務め、樋口一葉の研究家でもあり、家庭の主婦であり、母でもある作家・森まゆみが書いた食べ物にまつわる本である。

この本で取り上げている店は大正以前に創業された飲食店、それも彼女の守備範囲である谷中・根津・千駄木を中心に、ちょっと足を伸ばせる所まで、そして紹介されている約半数の店は子供時代に両親と一緒に訪れたことのある店だそうである。江戸の風俗なら杉浦日向子、明治・大正なら森まゆみと言ってもよいくらい豊富な知識に裏付けされた文章は、飽くなき取材によって得られたものであろう。それも図書館のかび臭い文献だけではなく、今を生きている人びとから聞き出したものであることがこの本にリアリティを与えている。これは彼女の資質・人格によるところが大きいのではないかと思える。取材するにしても店だけでなく、その周辺、町内会長まで訪ねて世間話を交えながら昔話を聞き出す、これは一つの才能である。物腰の柔らかな語り口と穏やかな風ぼうは、取材される側の心のバリアーを取り払うに違いない。
第一章の浅草・上野・根岸編では

子どものころ、母に「根岸の里の侘び住い」とつければ何でも俳句になる、と教わったことがある。
という下りがある。子どもにそんなことを教える母親とはどんな人だろうと思っていたら、後書きに「芝生まれの父と浅草育ちの母に、、」と書いてあり、なるほど合点がいった。その後書きにはこう続けられている。
ということで、居心地のよい店というと、明治・大正からやっているような、それでいて老舗を鼻にかけない、時代に対応しての努力も怠らない、小粋で気分のよい店ということになる。
中略
創業当時の主人の想い、開店の経緯、持続の経緯などは案外わからないものなので、できるだけ店の人の話を聞いた。これは、いうところの食べ歩きの本ではなく、飲食の商売人の立場から見た、日本近代史といえるかもしれない。
食べ物の本は少なからず作者の趣味趣向が左右するものであるが、それにも関わらず読者を満足させるのは、確かな取材によって得られた情報でしかないことを実感させる本である。
この先、この本で紹介されている個人経営の店がどこまで生き延びることができるか、だれも分からないが、こうした店がなくなってしまうとしたら、個人も生きにくくなる時代が訪れる。それは都市も終焉を迎えるときではないだろうか。

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January 13, 2004

Nemo

Nemoと云えば今はディズニーとピクサースタジオの映画「Finding Nemo」を連想するのが普通なのだろうが、今から凡そ100年前のウィンザー・マッケイによる新聞連載漫画「Little Nemo in slumberland」は現在にも通じる映像表現を漫画の世界で実験していた。

「Little Nemo in slumberland」は第一期が1905年から1911年まで、そして第二期が1924年から1927年まで、ニューヨーク・ヘラルドの日曜娯楽版に連載された少年ニモが主人公のコミックである。夢の中で奇想天外・荒唐無稽な出来事や様々な冒険に遭遇するニモであるが、新聞一ページを占めるコミックの最後のコマはニモがベットから落ちて目が覚め、パパやママに叱られたり諭されたりするオチで毎回終わる。
僕が持っている「Little Nemo in slumberland」(夢の国のリトル・ニモ)は1976年に小野耕世の翻訳でパルコ出版から発行されたダイジェスト版だ。A4ハードカバーの本は当時でも値段が4500円と高く、一度も再版されたこともないようで、絶版されたままとなっている。これからも当分、再版されることもなさそうなので日本語で読める「夢の国のリトル・ニモ」はたぶんこれだけだろう。洋書でもダイジェスト版ならamazon.comから求めることができるが、amazon.comでも何故か古本の方が値段が高い。

Posted by S.Igarashi at 04:38 PM | コメント (0) | トラックバック

January 12, 2004

見上げてごらん

坂本九の「見上げてごらん〜♪」、、こちらの曲は最近では平井堅がカバーしているようですね。

James Stirlingが亡くなってから、もう12年も経つんですね。享年66才、ちょっと早すぎます。この本は75年から亡くなるまでの92年までの作品を集めたものですが、時期的にポストモダン、それと建築界でも設計ツールがCADに移行する、ちょうど端境期にあたりますね。そういう意味でちょっと興味を引かれました。
それで、James Stirlingのドローイングですが、軸測投影法(Axonometric Projection)は必ず「見上げ」になっているのが特徴ですね。ですからブックカバーも書籍本体も見上のAxonometricになってます。
何に書いてあったのか忘れましたが、James StirlingはこうしたAxonometricはクライアントには特に見せない、と書いてあったことだけは記憶してます。

Up view of the entrance hall and rotunda
と云うことでシュッツガルドの美術館のエントランスとロトンダの見上のアクソメです。

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January 10, 2004

本屋は散歩の途中で

本屋は散歩の途中で立ち寄るのが良い、本屋の中をブラブラするのも散歩の延長なのだ。10年以上経つが南青山の事務所にいたときは、仕事を終えて夜の九時十時から、散歩がてら西麻布に下り、そのまま六本木にでて、今は六本木ヒルズの再開発で取り壊されてしまったWAVEでCDを物色し、深夜営業書店の青山ブックセンターに立ち寄り、酔っ払いの間をすり抜けて、地下鉄乃木坂から帰るのが夜の散歩コースだった。六本木の青山ブックセンターも取り柄は深夜営業だけの、どこといって特徴のない書店だったと思うが、次第に映画、写真、建築の芸術系、思想系の書籍の品揃えが充実するようになり、次いでコンピュータ系の書籍の取り扱い量も増え、週に一度は立ち寄るようになった。
高尾の山里の住人となった今では、江戸東京に出向いたとき、新宿ルミネの青山ブックセンターに立ち寄るくらいであるが、店内にはスターバックスもあり、人と待ち合わせするときも書店を利用するようにしている。待たされても待たしても、暇つぶしには事欠かないのが宜しい。
新宿には紀伊国屋書店有り、だったが本店も高島屋隣の紀伊国屋南口店にも今は行く気がしない。やっぱり何層にも別れ、ワンフロアーに納まっていないのが、疲れるのである。
青山ブックセンターと云えば、昨日から明日まで洋書バーゲンを青山の本店(国連大学本部とオーバルビルの裏)で開催している。昨日、高円寺まで行ったついでに足をのばし、ジェームス・スターリングの75年から92年までの作品集12800円を2200円で買ってきた。作品集には東京フォーラムと京都駅のコンペ応募案も含まれている。スターリングがいわゆるポストモダンに嵌まっていた時期である。

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January 09, 2004

「さぁ捨てな古」な社会

昨夜、と或る新年会にて、雑談の中で「サスティナブル」が話題に上り、そう言えば一年前にCITROHAN.NETに書き込んだモノを思い出したので、古ネタだけどここに再掲載してみようと思いついた。

2003年1月27日
今朝のテレビで「今も現役!モノを大切にする心! ★女性に人気のクラシックカー」と題し、お台場で行われた、クラシックカーの新年会を紹介していた。
しかし、その「モノを大切にする心」?に水を差すのが「自動車税のグリーン化」という代物、昨年(2002年)から自動車税の改正で13年以上たったガソリン車は超過課税で一割り増しの税金を払わなければいけなくなった。僕の15年乗っているシビックもその対象になった。マニュアルミッションで街中は1500回転、高速は2500回転以上は出さないように経済運転していようが、例外なく課税される。ターボチャージャー付きの軽自動車をぶん回すアホなガキよりは燃費は良いと思うんだけど、杓子定規の御上には分からないだろうね。
自動車税の請求書を眺めながら「何がサスティナブルな社会だか」とぼやいていたら、空耳か「サスティナブル」が「さぁ捨てな古」と聞こえてきた。
結局、15年モノのシビックは夏場にワイパーが故障したりで、悪魔が言う「さぁ捨てな古」の囁きに負け、手放すことになった。

その時もサスティナブルをGoogleで検索すると、悪名高いゼネコンが真っ先にヒットするし、半年以上経った今でも、それは変わらない。
相変わらず都市を不良債権化している企業にサスティナブルがどーたらと言われたくない気もします。
企業や団体があちこちでサスティナブルがどーたらと言うけれど、文脈的にはサバイバルの意味が隠されているようなモノが多い気がする。
深作欣二 のバトルロワイヤルとか、バガボンドやNHKで武蔵が取り上げられるのもサバイバルが勝ち組負け組を色分けする今日的なキーワードなんだろうね、武蔵の目標が大名に仕官することだったりして、勝ち組と言ってもそのレベルなのが何だか情けないし、そんなものに感情移入するのはもっと悲しい。

今年も年金や保険など、益々国民の負担が増える傾向にあるが、そのなかで介護保険の見直しが行われようとしている。利用者の一割負担を三割まで増やすと云う案である。これも「さぁ捨てな古」な社会でしょうか。

Posted by S.Igarashi at 10:13 AM | コメント (0) | トラックバック

January 08, 2004

中央線の魔力

東京人2月号の特集は「中央線人による文化人類学 中央線の魔力」だ。
よく言われるのが「中央線文化圏」と言うやつだ。この特集では、それを国立までと定義しているようだ。終点の高尾までにしろと異論を唱えるつもりはない。立川を含めない事にも異議を挟む事もしない、概ね納得できる範囲だろう。もう少し、範囲を狭くして、コアな「中央線文化圏」は土日祭日の中央線快速が停車しない駅の範囲ではないかと思う。つまり、高円寺、阿佐谷、西荻窪である。快速が通過する事によって、目的もなく「各駅停車の旅」をする酔狂な輩は訪れない。山の手でもなく、下町とも言えない、どこか屈折したエリート意識にも支えられた、都会に隷属することで成り立つ、かっての郊外の成れの果てが「中央線文化圏」なのだろう。

特集の中でも、興味を引かれたのが「旧日本軍関係施設・中島飛行機の都市伝説を追う。」中央線沿線の旧日本軍軍事施設に焦点を当てている。米軍の偵察機が1944年11月に撮影した中島飛行機武蔵製作所の航空写真と翌年1945年4月7日の空爆の写真が並列されている。つまり既に終戦の前年に帝都の制空権が脅かされていたのである。それから60年を経た今日に至るまで横田基地を抱える多摩地区の制空権は米国が掌握していると云う事である。中島飛行機武蔵製作所は現在の武蔵野市緑町、都営と公団の団地にNTTの電気通信研究所、それに武蔵野市役所のある地域である。昔から疑問に思っていた武蔵境と三鷹間にあった北に延びる軌道跡は中島飛行機武蔵製作所に続いていたのだった。中央線を挟んで南側には中島飛行機三鷹研究所があり、そこは空爆を免れていたようである。三鷹研究所の跡地は現在では国際基督教大学(ICU)と富士重工三鷹工場となっている。さて、本題の都市伝説であるが中島飛行機が終戦間際に米国本土への爆撃を企てるために開発した大型長距離爆撃機「富嶽」が国際基督教大学にある地下壕に隠されている、と云うものであるが、その結末は東京人2月号を読んで下さい。
中島飛行機武蔵製作所が米軍の空爆によって殲滅された後「、、浅川地下壕に移転して、細々とエンジン生産を続け、、」と云う記述がある。浅川地下壕についてはそれだけで詳しい記述は省かれているので、地元民として補足しておく。浅川地下壕は中央線終点高尾駅(旧浅川駅)の南西、現在の三和団地から高乗寺にかけての地下一帯に張り巡らされている地下壕である。浅川地下壕の当初の目的は大本営の避難先として建設されている。建設に従事した労働者の多くは朝鮮半島から徴用で強制的に連れてこられた人びとである。小学校のクラスメートの約一割が彼らの息子や娘であったことが其の事を証明していた。大本営の避難先はその後、長野の松代に計画された為、浅川地下壕は地下の軍需工場として終戦を迎える事になる。浅川地下壕への入り口は現在では一ヵ所だけ京王高尾線の高尾と高尾山口間の線路脇に残されている。浅川中学の体育館の裏にも地下壕への縦穴の跡があったが、それは子供の頃には既に埋め戻されていた。浅川地下壕には公開されたときに一度だけ入った事がある、X座標とY座標の碁盤目状に規則正しく隧道が掘られている。迷宮のようなヴァーチャルな空間はそのままコンピュータゲームのサイバースペースに紛れ込んだようでもある。第二次世界大戦が歪んだファンタジーの暗黒面によってもたらされたとするならば、浅川地下壕のヴァーチャルな空間は悪夢による遺構であろう。
たぶん、浅川地下壕の一般公開は今でも年に一度くらいは行われているのではないだろうか。

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January 07, 2004

或る建築雑誌の休刊

実は立ち読みだけで済ませようと思っていたのだがルイス・カーンの特集だったので何かあるかと期待して買ったけれど、期待したものは何も得られなかった。何気なく奥付を見てみると「休刊のお知らせ」とある。「やっぱりねぇ」と云うのが率直な感想、雑誌名はエクスナレッジムック「HOME」である。当初より読者対象が何かさっぱり解らない雑誌だった。きっと、カーサ・ブルータスの成功?を見て、専門外の一般読者層の取り込みも狙ったのだろうが、二匹目のドジョウはいなかったようだ。マーケティング指向のカーサ・ブルータスのように商業主義に徹して開き直る事もできず、将又、AXISのような切り口も持ち合わせていない。ルイス・カーンの特集にしても子息が作成したドキュメンタリー映画にも触れておらず、もちろん、この映画がアカデミー賞のドキュメンタリー部門にノミネートされているなんて書いて或る訳ない。本来ならば自主上映会を企画するのがメディアの役割だと思うのだが、全てが中途半端である。唯々、編集人による「休刊のお知らせ」の言い訳じみた泣き言が空しいだけ。

Posted by S.Igarashi at 10:44 AM | コメント (0) | トラックバック

1984~2004

例の1984のムービーはリメイクされていた。

MacWorldExpo S.F.2004で公開された1984の女性革命闘士はiPodを身に付けている。いま考えてみると、この1984はジェンダー批判にもなってたのだ。
噂されていたiPod miniはメモリーカードではなく249$の4GBハードディスクモデルだった。国内価格は未定らしいが15GBのiPod の新価格が299$で31800円だから、まぁ26800円程度でしょうね。
興味深いのがG5によるバージニア工科大学の世界第三位の高速スーパーコンピュータのムービーが紹介されている

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January 06, 2004

EagleFeather

archfont.jpg
と云う訳でF.L.ライトのフォントである。
たぶん、「ジュゼッペ・テラーニ ファシズムを超えた建築」展を見に水戸芸術館に出掛けた際、ミュージアム・ショップでバウハウス・フォントと一緒に買ったものだと思う。ハードディスクを交換したりとかでPowerMacG4のMacOS9.2にはインストールしていなかったので、改めてMacOS9.2とMacOSX10.3にもインストールしてみた。
このバウハウス・フォントをリリースしてるP22 TYPE FOUNDRYには他にもArt Deco、Arts and Crafts、De Stijl等の面白そうなフォントがある。僕が持っているEagleFeatherはシカゴのManticore Products,Inc.の製品だが、このP22 TYPE FOUNDRYにはF.L.ライトのフォントがEagleFeatherの他にFrank Lloyd Wright ExhibitionとFrank Lloyd Wright Terracotta等もある。残念ながらここにもステンシルのコルビュジェ・フォントはないが、フリーウェアのアールデコ風なフォントが一書体に限り自由にダウンロードできるようになっている。

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January 05, 2004

ハッピーマンデー

今日から仕事始め、でなく授業始めである。例年よりも逸早く今日から大学の授業が始まる。一般企業でも5日まで正月休みのところも多いのに何故だろう。それは例のハッピーマンデーのしわ寄せである。いわゆる祝日法改正で月曜日が祝日になる割合が多くなり、それにつれて、いきおい学校の月曜授業の回数は減ってしまう。通常、大学では前期、後期共、曜日あたり15日を授業日数の標準としているが、今までは月曜日が祭日等に重なっても、13日くらいは授業日数を取ることが可能であった。それがハッピーマンデー施行後は10日か11日くらいの授業日数しか取れなくなってしまった。これでは授業計画が立てられなくなり、ハッピーマンデーも登校日としブルーマンデーにしないと授業日数の帳尻を合わせることができなくなる。授業日数が少ないと単位がどうたらと文句を言うのは文部科学省である。では、ハッピーマンデーを推奨しているのはどこなのだろう。このハッピーマンデーをごり押ししたのはいわゆる運輸族であるようだ。この議員のホームページには自慢気にハッピーマンデーで旅行も増え経済効果がどうたらと戯言を言っている。困ったものである。数えたことがないが今は年間15日の祝日があるらしい。週休二日と有給休暇を確実にとれるような職場環境があれば、祝日なんか少なくて良い。小売業の大手スーパー等では定休日を廃止している所も多い、いきおい従業員の出勤と休みはシフト制となり、週休二日もままならぬことになる。製造業の事業所では製造ラインの工程管理からしても、マヌケなハッピーマンデーに付きあう企業は少ない。
実のところ、ハッピーマンデーで一番苦労を強いられているのは公立の小中高の先生方ではなかろうか、私大ならハッピーマンデーを登校日に振り替えて調整できるが、公立の小中高はそうはできないから、時間割を組むのも大変であろうと想像する。

Posted by S.Igarashi at 02:38 AM | コメント (0) | トラックバック

January 04, 2004

Stencil-Font


ステンシルのフォントと云えば、真っ先に思い出すのはコルビュジェの図面に押されたスタンプの書体である。かなり前の事だけど、秋山さんとの雑談で誰かコルビュジェ・フォントを作らないかと云う事が話題になったことがあった。アイデアは面白そうだったが、フォント開発キットへの投資をする者も、フォントを根気よく作成する者も現れず、話題はそのままフェイドアウトしたままだった。

昨年暮れにMacOSX環境でAdobe InDesign を使っているときのこと、MacOS9.2とではフォント環境が全く異なるので、新たに使えそうなフォントを探していたら、偶然にステンシルによるフォントを見つけた。フォント名は【San Diego】、コルビュジェ愛用の書体とは多少タイプフェイスが異なるが、TrueTypeなのでVectorWorksでの加工も可能だ。これから図面にスタンプする図面番号はこれに決まった。

コルビュジェとくれば忘れていけないのがF.L.ライトだ。もちろんF.L.ライト財団の監修によるフォントが作られている。フォント名はEaglefather、ライトのウィンドウのデザインモチーフになっているアレだ。

Eaglefatherと云えば余談であるが、F.L.ライトの(Eaglefatherの窓とかの)コレクターとして有名なのがドミノ・ピザのプレジデントだ、ちなみにドミノ・ピザの本社のデザインはF.L.ライトのプレーリーハウス(そのなかでもロビー邸)をイメージしてグンナー・バーカツが設計している。

Posted by S.Igarashi at 05:08 PM | コメント (1) | トラックバック

January 01, 2004

2004 謹賀新年

申年ですね、猿と云えば世界に災いもたらす薮系は国際政治の場から災いと共に去るように願いたいものです。引退後は是非ともこちらの吉本系と漫才を組んで欲しいと思いますが、どちらもボケでツッコミを誰がするんだって?
本年もアホでマヌケなMADCONNECTIONを宜しくお願いします。

Posted by S.Igarashi at 01:37 PM | コメント (0) | トラックバック