テレビを見ていると亡くなった俳優や有名人がコマーシャルに出演していることがある。最近、頓に目立つのは夏目雅子や石原裕次郎である。そこで、故人の意志はどうなっているんだろうと疑問に思えてしまう。きちんと故人が遺志を伝えてあればまだしも、そうはとても考えられないケースの方が多いような気がする。冥土に旅立った者をいつまでも俗世界に縛りつけ稼がせているように思え浅ましい。亡くなった俳優に会いたければ彼らの残した作品を見れば良い、幾らCGの技術が向上しているからと云って、それらを編修改竄して、故人の意志と異なる編修するのは如何なものか。
何年か前に手塚治虫が彼の生み出したキャラクターのお茶の水博士と共に某社の車のCFに出ていた。手塚治虫は自分の作品を再版するときは新たに書き直し、そのまま復刻再版することを許さなかった人である。手塚治虫が亡くなった後に、コレクターアイテムであった初期の作品の宝島やロストワールドの復刻版が挙って出版された。故人の意志(遺志)がどうなっているのか知る由もないが、何か割り切れないものだけが残った。
昔のスイングジャーナルのコラムでニューオリンズの「名物遣り手婆さん」の逸話を読んだことがある。僕の曖昧な記憶によると、彼女はホンキートンク(安酒場兼売春宿)の生き字引的存在で彼女自身売春婦でもあった。多くのライター等が彼女から半生記を聞き出そうと試み断られた。理由は「あたしが死んだら、あたしのブックは閉じられるのさ、死んでまで博物館の展示品になるなんて、まっぴらだね!」