パナソニック 汐留ミュージアムで開催中の『建築家ピエール・シャローとガラスの家』を見てきたが残念ながら期待外れに終わった。A.D.A.EDITA Tokyoから出版された二川幸夫の写真による『ガラスの家:ダルザス邸 La Maison de Verre/Pierre Chareau』を超えるだけの情報も感動も得ることは叶わなかった。出品資料リストにある映像の素材はモノクロプリント乃至はカラープリントとなっているが、それらは編集されプロジェクターによるスライドショーとして時間軸に支配され鑑賞者が自由に写真を選択することはできない。その上、プロジェクターの明るさが不足しているのか、会場が明るい所為か、映像が不鮮明であったりもする。昨今の建築に関わる展示会は鑑賞者の理解を深める為に展示にも、大判プリントや原寸模型やモックアップ等様々な工夫が成され、空間を追体験する仕掛けを考えているが、この展覧会は家具什器の展示台にダルザス邸のサロンで使われたモノに似ている黒のゴムタイルが使われているくらいで、模型も人造大理石の1/100があるだけ、図面等も昔の雑誌から引用したものだけ…なんともお粗末...。と云う訳で、ピエール・シャローによるアールデコの家具の実物が展示されているのが…唯一の救い…かな?。
関連:因みに映画・地獄の貴婦人 (Le Trio infernal)で2階のサロンが使われている様だが、YouTubeのビデオを子細に観察すると其のままではなく床や階段、壁等は既存の内装の上に新たに映画のセットが組込まれているのだろう。
YouTube:La Maison de Verre - Pierre Chareau,1932.(汐留ミュージアムの4階ロビーで流しているビデオと同じものか分らないが…このビデオで用いられた空間構成を分析してある模型位は展示すべきだろう。)
発売前にAmazonから予約案内のメールが届いた時、そのタイトルに何か考えさせられるものを感じた。Last Danceは2010年にリリースされたKeith JarrettとCharlie Hadenとのデュオ・アルバム『Jasmine』と同じ2007年3月にKeith Jarrettの自宅スタジオで録音された音源を用いたアルバムである。アルバムタイトルの「LAST DANCE」とアルバム最後の曲「Goodbye」が暗示しているかの如くCharlie Hadenは7月11日ロサンゼルスで息を引き取った。両方のアルバムに別テイクの「Where Can I Go Without You」と「Goodbye」が収録されていたのも最後のデュオ・アルバムであることを表象する曲であろう。嘗てKeith Jarrettは彼のアメリカン・カルテットの時代にCharlie Hadenがドラッグの問題をかかえていたことを明かしている。C.Hadenはキースがリスペクトしていた音楽家だけにもうアメリカン・カルテットを続けることに限界を憶え、ECMのレコーディングで何度か共演していたゲーリー・ピーコックとスタンダード・トリオを組むことなったようだ。だから、『Jasmine』で二人が数十年ぶりに邂逅しスタンダード中心のデュオ・アルバムを制作したことに驚きもしたが、其処には何か蟠りのようなものを昇華する時の流れもあったのだろう、旧友同士による演奏は自然である。録音から7年の歳月を掛けてリリースされたこのアルバムの終章とも云える三曲の曲順にKeith JarrettとCharlie Hadenに加えてManfred Eicherからのメッセージも含まれているようだ。
Where Can I Go Without You. / Every Time We Say Goodbye. / Goodbye!
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Song For Chè
….ゲルマンが賞杯を手にし…ラテンは敗れ… 決勝も三位決定戦と同じ構図に…別な見方をするとプロテスタントvsカソリックの闘いでもありましたね。今大会は合理的指向のプロテスタントが勝利し、プレイに美を求めるカソリックが敗れた感もあります。アルゼンチンと云えばバチカンの大司教も試合を見ていたのだろうか…。
と云うことで昨日は築十年を経て外壁の塗装が風化してきた別所沼の風信子荘で待合せ、見学を終えて集合写真を撮ってから、歩いて埼玉県立近代美術館で開催中の『戦後日本住宅伝説ー挑発する家・内省する家』を見学…浦和の某所で反省会…は、16の戦後日本住宅伝説について喧々諤々の異論反論objectionと相成ったのである。当然の如く…川合健二の自邸を取り上げないで、その亜流の石山修武の幻庵はないでしょうとか...やはり川合邸を取り上げて欲しかったと思うのは…私だけではなかったようだ。そういえば2005年にX-Knowledgeから昭和住宅メモリーなるムックが出版されており、内容的には今回の展覧会とダブるものもあり、「丹下自邸の謎」と題された探偵・F森教授のレポートが目を引く内容であった。しかも。丹下の協力者であった川合健二の川合邸も掲載されていた。新宿ホワイトハウスも「伝説」と云う要件は充分に満たしているが…建築界に影響を与えた住宅としての要件を満たしているかと思えば疑問が残る。何れにせよ企画者や監修者の恣意的判断による16の住宅であり、なんたかんたと政治的パワーバランスも作用しているような気もするのである。それは兎も角、研ぎ澄まされた鉛筆の筆圧が感じられる原図は一見の価値有りです。
最近頓に米軍機の飛行回数が増えていると感じていたが、今朝の東京新聞一面『横田、騒音飛行が急増 「基地機能を強化」地元警戒』の記事を読み『やはり…そうか。』と思った。先日も山陰に隠れる位の低空を米軍機が横田に向かって飛行しているのを見て、穏やか成らぬものを感じていたばかりだ。来週辺りにはオスプレイも飛来すると云われている。集団自衛権が行使されれば、多摩地区も攻撃対象になることは必至であろう。まぁ、昭和19年辺りから制空権を失っていた訳だから、既に70年間に亘ってこの空は『アメリカの空』だった訳であるが...。
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6月3日付けの東京新聞・多摩版に『高尾駅に「南北自由通路」22年度開通へ』の記事では計画概要が不明なので八王子市のHPにアクセスして計画概要のPDFをDownloadしてみた。IllustratorでPDFを開き、上書きしてあるオブジェクトを取り除くと既存の駅舎を取り壊さなくても「南北自由通路」は成り立つであろう。恐らく計画立案の段階では駅舎を保存してリノベーションする選択肢も検討していたのではないか。「南北自由通路」と駅舎保存を両立させることは可能であるが、特に駅舎の保存運動も起きていない事から解体移築が既成事実として住民に浸透していると見做され計画が進められているのだろうか…。しかし、地元住民は「南北自由通路」は求めていても駅舎の解体までは求めていないのが実情のようである。JR中央線始発駅の東京駅丸の内口駅舎も竣工当時の元の姿に戻された。同じJR中央線始発駅の高尾駅北口駅舎も大正・昭和の時代を残す建造物である。駅舎だけを移築静態保存しても、それは建築としての機能を失ったモノでしかない、駅構内に動態保存するのが筋だろう。高尾駅北口駅舎は高尾駅1・2番線のホームと同じレベルにあり、足腰の弱った人には優しい駅舎である。主要な駅改札機能を橋上駅に移動しても一つくらいの改札口は残すべきであろう。
現在の高尾駅は嘗て皇室利用の為にあった貴賓室や団体改札口をリノベーションして島根県の石見地方に本社を置く会社がカフェとブティックを運営している。石見銀山と八王子とを関係付ける人物としては大久保長安の名が真っ先に浮かぶだろう。更に高尾駅駅舎と出雲の大社駅の設計者が曽田甚蔵と云う共通点も見られる。(訂正:近年、小屋裏から棟札が発見され設計者は鉄道省技師の丹羽三雄であったことが解った。)JR中央線下り始発駅の東京駅丸の内口駅舎も建設当時の姿に復元されたことだし、JR中央線上り始発駅の高尾駅・北口駅舎も解体移築して静態保存するのではなく、現在の場所で動態保存すべきであろう。「南北自由通路」との共存も可能な筈であるし、歴史的にも大正期から昭和への時代を表わす観光資源としての駅舎活用の道もあるのではないだろうか。取り壊してから後悔しても遅いのである。
関連:八王子と鉄道
一月ほど前にiTunesStoreの「100円レンタル・今週の映画」で借りた『ダージリン急行』の30日のレンタル期間が終わりそうなので「アルゼンチンvsオランダ」の試合が終わった後、ダウンロードしたムービーが消える前に慌てて観た。この映画、コメディ・タッチのロードムービーらしいので借りたのだが、監督には特に関心もなく、後でaki's STOCKTAKINGの記事で「グランド・ブダペスト・ホテル」(観てないが...)の監督であることを知ったくらいである。
と云うことで、列車内で問題ばかり起こしている兄弟三人がダージリン急行から追い出されたインド西北部の辺境の村で潅漑用水路で溺れた少年たちを助けた下りで…この集落建築の塗壁の色彩が...なんとも素敵だった。と云うことで、肝心のストーリーよりも、こうしたロケ地のディテールに目が奪われてしまうのである。
どうやら…決勝戦も「欧州vs南米」の構図は崩れず、当然、三位決定戦も「欧州vs南米」となった。それにしても昨日の試合は、まるで日本対ドイツの試合を見ているかのようだったが、この人が応援するチームが敗れると云う都市伝説もあったようだ。
そして…ベスト8からベスト4に勝ち進んでも欧州vs南米の二対二の均衡は崩れないですね。それにしても…ナショナルチームの背番号10を背負い、且つバルセロナのチームメイト同士の戦い、メッシvsネイマールが見られなくなったのは残念だ。
こうして、日付変更線を基本とする世界標準の地図で見ると、グループリーグで全て敗退した亜細亜は蚊帳の外の感は免れませんね。そしてベスト8に勝ち残った国は嘗てのインターコンチネンタルカップ のナショナルチーム・バージョンの様で、欧州サッカー連盟vs南米サッカー連盟の体を成しているようです。短期決戦故に何処が勝ってもおかしくないと言われていますが、結局の処は底力のあるチームが勝ち抜けており、アフリカのチームがワールドカップ・チャンピオンになるのは時間の問題でしょうが、亜細亜のチームには遙か遠いゴールのようです。まぁ...広告代理店が望むようには…ねぇ。
東京人 8月号は特集『東京人的台湾散歩』だ。台北には1996年4月に行なわれたMacWorldを取材する目的で一度だけ行ったことがある。その紀行文の様なモノは台北蘋果紀行(Taipei Apple Tour)として当Blogを始めた当初にエントリーしてあるが、改めて台湾の知らない処が満載の東京人今月号に注目。そういえば、数年前に台北からの留学生R君に東京の印象を聞くと、バイクの数が少なくて驚いたと言う。彼はホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキと世界の名だたるバイクメーカーを有する国の道路には最新のバイクが溢れていると思ったようだ。そんな彼もバイクが犇めく台北の道路事情は...慣れないと怖いらしい。1996年当時と比べると台北世界貿易中心には台北101が建ち、あのバラックの不法建築だった円環も建替えられ、子供だったR君は90年代の円環のことは知らないと言う。(知ってたら逆に恐ろしいが...)
ストリートビューで投宿した緑峰大飯店の表玄関と緑峰大飯店の裏玄関を眺めると、随分とディープな台北の下町とわかる。ビニール傘を買ったコンビニではないよろず屋も健在のようだ。
台北の裏窓
日本語を正しく理解するならば昨日の閣議決定が憲法違反であることは明白でしょう。このコメントもお読み下さい。
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『憲法9条にノーベル平和賞を』
『日本弁護士連合会へ: 安倍内閣を憲法違反で訴えるよう即します』