The Carnegie Hall Concert / Keith Jarrett
略一年前、2005年9月26日のカーネギーホールに於けるキース・ジャレット・ソロコンサートのライブ盤である。"The Carnegie Hall Concert"の一ヶ月後、10月20日の池袋・東京芸術劇場"Keith Jarrett Solo 2005"を聴きに行ったが、1週間前の10月14日のコンサートに於ける聴衆の態度が問題となり、異例ともいえるチラシが入場者に配布された。幸いにもその当日、非常識な聴衆は現れなかった。このアルバムは10月14日のコンサートで不愉快な思いをされた多くのオーディエンスへのキースからの贈り物である。そしてコンサートへ行けなかった多くの人々への贈り物でもある。
追記:キース・ジャレットのソロアルバムは前作"Radiance"に続くものである。"Radiance "は2002年10月の大阪フェステバルホールと東京上野文化会館に於けるライブレコーディングであった。ツアー期間中、尤も優れた演奏会をライブレコーディングに残すのが常であるが、昨年の日本ツアーが選ばれなかった理由は推して知るべし。
さて、このライブレコーディングであるがコンサートの模様を殆ど編集せずに忠実に伝えていると思える。何しろ、最初の曲は出だしから18秒の間、静寂が続いている。決してオーディオ装置の故障ではない、コンサートを聴きに行った人なら解るが、キースが演奏に備えてコンセントレーションを高めている緊張の時間である。そして打楽器的な奏法による現代曲を思わせる演奏に入る。即興演奏は10のパートに分かれ、長くても10分弱、最短で3分32秒、アンコールが5曲といった内容である。曲間の静寂、鳴り止まぬ拍手、アンコールでのちょっとした観客とのやりとり。スピーカーに耳を傾ければコンサートの至福の一時が蘇る。
本日が上野・一角座でのもんしぇん楽日となりました。お見逃しのないように。
【上映開始時間】 11:00/13:40/16:20/19:00
一角座 東京都台東区上野公園13-9東京国立博物館内 TEL:03-3823-6757
因みに特別鑑賞券はJR上野駅の公園口改札手前左側の美術館・博物館の入場券売り場でも取り扱っています。
と云うことで、今日は用事があるので昨日・午後の回を見てきました。なにか試写室で見たフィルムと僅かに編集が違うような、、、気のせいかな。
「もんしぇん」と「一角座」
映画「もんしぇん」のイベント
何故か高解像度データがなくGoogle Earthとの相性がいま一つの浜松市だがV4.0の建物3Dデータは用意されているので表示可能だ。と云う事でピンボケ状態のGoogle Earthに3Dモデルは似つかわしくないので、こちらjm@foo氏作成による暗黒の地球のオーバーレイを使わせて戴いた。Google Earth の建物3D表示は元城町在住の古山くんがVectorWorksで作成している浜松の中心市街地には及ばないが、それなりである。
Google EarthはピンボケでもGoogleMapの新しいバージョンはゼンリンのベクトルデータを利用しているのだろうシームレスでスケラーブルなMapとなっている。これで指定範囲をPDFとしてダウンロードできるようになれば、デジタルマップを買う必要がなくなる。
GoogleのCEOエリック・シュミット博士がアップルの取締役なったというからに、次期OSのMac OS X LeopardではOSレベルでGoogleとの親和性が深まるのだろうか、期待したいところである。
先日の開運!なんでも鑑定団で600万円という高値の付いたApple Iがあったそうだが、ウィキペディア(Wikipedia)の向こうを張った、ネット上のApple博物館・Apple-wikiがオープンしたそうだ。内容はこれからと云ったところで、そのうちWikipedia のアップルコンピュータに追いつくのだろう。
試しに5G iPodのためにQTの".mov"から iPodの".m4v"に書き出してみた。571MBのファイルが218MBにダウンサイジングしたが、書き出しに要する時間が掛かりすぎるのが難点。暇なときに手持ちのLD(レーザーディスク)をMacに取込んで".m4v"に書き出そうと思うのだが、その前にLDプレイヤーをMacの側にセットしないといけないのだが、と云う事はその前に机の周辺も片づけないといけない。LDプレイヤーも20年は経っているので故障して粗大ゴミになる前に行動しないといけない。色んな意味で時間がなく、、、いけない話しだ。尤も、Macに取込んだところで、落ち着いて見られるかはわからない。
と云うことで我が"iPod-Familye"に80GBのiPod Generation5が仲間が加わりました。 40GBのiPod Generation4が手狭になったのでポッドキャストを全て削除したり、持ち運びするデータを最小限にしてましたが、倍の80GBに移転です。これで写真の取込みにも余裕が生まれ、iPodのフルスペックが使える状態になりましたが、残念なのはiPod Generation4用の音声取込みアダプタが使えないこと。
データストレージとしても使っていた 40GBのiPod Generation4から、データを取り除いて1.8GBの余裕が生じた。
5GBのiPod Generation1のバッテリー寿命は既に尽きてしまっている。
「東京オペラシティ メールニュース」から『10/8「リンガリング・コンサート」(東京アンサンブル)申込受付中』の案内が届いていた。対象は4歳〜高校生まで。
VectorWorks12で始めるCAD:ソーテック社・刊
と云うことで、夏の間、江戸十里所払いの地に引篭り、執筆・編集していた拙著が上梓されました。
内容はVectorWorks11ではじめるCADの改訂版ですが、全てMacとWindowsで再検証して新たにスクリーンショットを撮り直し、追加項目を加え再構築したもので、或る意味で新刊よりも手間が掛かかる仕事です。尚、表紙デザインについては著者の与り知らぬ間に斯様な結果となりに候。
akiさんとfuruさんがそれぞれのBlogで拙著を紹介して下さいました。ありがとうございます。
aki's STOCKTAKING:VectorWorks12ではじめるCAD
af_blog:VectorWorks12ではじめるCAD
iTunes 7.0 の新機能「アルバムのアートワークを入手する」を用いてリッピングしたCDのアルバムジャケットを揃えてみたが不足するアートワークも多く、入手したアートワークもオリジナルでなかったりと、結局、昨日は一日掛けて181枚のCDジャケットの取込みを行なった。と云うことで"Miles Davis"の"Jack Johnson"もオリジナルに戻したのである。何故か"Philip GLASS"のアルバムに間違ってこんなアートワークが付けられたのはどうしてだろう。しかし、テキスト情報だけでなく視覚情報によるブラウズは必要である。これで、ご無沙汰していたアルバムも聴いてみようと思う気持ちになれるのだ。
追記:i7AWF.php demo このサイトでも"Artist","Album"のタイトルからアートワークを検索できる。
今朝の東京新聞・TOKYO発の特集記事は「下町発長寿大作戦・23区の平均寿命 『西高東低』脱出へ」であった。所謂、東京下町は隅田川、荒川流域のデルタ地帯の平均寿命が他と比べて低いと云うものであるが、その根拠になっている厚生労働省大臣官房統計情報部による平成12年(西暦2000年)市区町村別生命表の概況を調べてみた。そこに都道府県別の市区町村別平均寿命の統計表が公開されており、Excelの.xls形式のデータもダウンロードできるようになっている。と云うことで、そのExcelのデータを取込んで平成12年度東京都平均寿命を表にまとめてみた。
記事では23区内だけであるが、多摩地域と諸島地域のデータも取込んでいる。すると、男女ともベスト3にランクしているのが三鷹市である。そして最下位の61位は男女とも奥多摩町である。男性の場合は低湿地帯の53位・江東区、54位・葛飾区、56位・墨田区、57位・足立区、59位・荒川区、60位・台東区の最下位グループに割り込むように52位・日の出町、55位・檜原村、58位・瑞穂町が並んでいる。奥多摩、日の出、檜原は東京の過疎地帯なので医療施設の遅れが考えられるが、不可解なのが横田基地を抱える瑞穂町だ。
男女共、ワースト10にランクされているのは足立区、荒川区、墨田区、そして西多摩地域の奥多摩町、檜原村、日の出町である。
さて、私の生まれた足立区と現在住んでいる八王子市との比較であるが男性で2.2年、女性で1.6年と寿命に差がある。何れにせよ大気汚染等公害が深刻化する兆しが見えてきた昭和32年に郊外への転居を決断した両親に感謝すべきなのだろう。
最近、GoogleEarthを立ち上げる度に日毎、日本語版が機能強化されているのが解る。今日もサイドバーのレイヤメニューが完全に日本語対応になっていることに驚かされたが、それだけにあらず道路標示や建物の3D表示も可能になっていた。新宿副都心だけなら兎も角も、八王子も3D表示されるようになっている。もちろん、aki隊長の御自宅も3Dモデリングされるし、私の仕事場も3Dモデリングされているのだ。
と云うことで"MADCONNECTION"を始めて三年が過ぎた。左はBlogを始めてからレンタルサーバーに置いてあるアクセス解析を月毎に記録しExcelで集計したグラフである。今日まで延べ619,190人のビジターが記録されているが、今月分でも国別ヒット率が「国名不明」が37%、日本が33%、USCommercialが23%、Networkが5%と云うところを分析すると検索エンジンやらスパム攻撃やら何やらもあるだろうから、ビジター数も話半分と捉えるのが無難であろう。
相変わらずジャンルに拘らず取り留めもなく何でも書いているが"MADCONNECTION"だからしょうがないのだ。
2006年9月13日のアクセス記録と過去一年間のデータ
Second anniversaries
First anniversary
大方の予想通りの展開をみせたNew iPodですが"iTunes"もアップデートされ"iTunes 7.0"となって、こんな機能が追加された。ん〜む、こうなるとCDジャケットも取込みたくなる。
それにしても来年リリースされるiTVの国内仕様が気になるところだ。
何気にArcspace - architecture onlineをチェックしたらRem Koolhaas OMAによるZollverein Mining Complexのマスタープランが目に付いた。ユネスコ世界文化遺産に指定されたエッセンのDer Schacht XII der Zeche Zollverein(ツォルフェライン炭坑遺跡群)の整備計画である。見覚えのあるタワーに、直ぐに自分が持っているBERND & HILLA BECHERの写真集・Typologien Typologiesを探してみた。やはりZollvereinのシンボルであるWinding Towerの写真があった。こうした近代産業の遺産をただ静態保存するだけでなく、コンバーションすることで新たな命を吹き込み動態保存することが、自らの作り上げた近代史に対して誇りと責任を持つことなのだろう。それにしても日本の炭坑の街とは大違い、緑豊かな住宅街が構成されている。財政破綻した夕張のその後はどうなるのか。
World Heritage Site Zollverein Foundation
炭坑の縦坑横坑を視覚化したサイトのインターフェース・デザインが秀逸。
GoogleEarth・Download file:Zollverein.kmz.zip( 51°29'16.65"N 7° 2'17.88"E)
音楽産業が"iTunes Music Store"(iTMS)を敵対視するか、積極的に販売チャンネルやマーケティングの一つとして活用するか問われている。カナダでCDデビューしたSophie Milmanのアメリカ進出は積極的に"iTMS"を活用し、新人として異例の"iTMS"のJazzChart一位を記録している。7月に発売された国内盤CDアルバムの価格1980円は、約一月遅れで発売された"iTMS"のアルバム価格1500円を意識した戦略的な価格付けである。480円の価格差で音質とライナーノーツに歌詞カードを選ぶか、選択肢は消費者に任されているが"iTMS"でのヒットがなければ国内盤がリリースされたであろうか。既に山里のCDショップでは"iTMS"で注目されてから店頭に並ぶと云う逆転現象が起きているのである。
子供の頃、一番好きな噺家は金馬だった。その三代目・三遊亭金馬の「孝行糖」は27分余りの噺であるが、その半分を超える14分が枕に充てられている。さて、その枕であるが本筋の孝行糖の売り声に掛けて、様々な出商人(であきんど)による「売り声」について、その絶妙な言葉選びと工夫を面白可笑しく語り、「売り声というものは難しいものでございます。」と締め括っている。「先々の時計になれや小商人」物売りの声が人々の生活に密着してた時代を物語る言葉である。この枕で語られている程、出商人の職種は豊富ではないが、50年前の足立区梅田には色んな出商人が往来していた。
どんな職種があったのか、極く一般的なところから記憶を辿ってみた。
豆腐屋:(とぉ〜ふ〜とぉふ)
納豆売り:(なっと〜なっと、なっとう)
浅蜊売り:(あさり〜しじみ)
金魚売り:(きんぎょぇ〜きんぎょ)記憶では(風鈴、釣りしのぶ)も売っていたような気がする。
サオ竹屋:(さおや〜あおだけ〜)、昔は近郊の農家の農閑期の副業だったと思う。
箒売り:売り声を聴いた憶えはないが、これも昔は近郊の農家の農閑期の副業だったと思う。
屑屋:(くず〜ぃ、おはらい)
研ぎ屋:包丁、ハサミ
傘屋:(こうもりがさのはりかえ〜)
梅田稲荷の境内にやってきて子供も相手にしていた職種は
玄米パン:母親は、あんなもの美味くないと、買ってくれたことがない。
アイスキャンデー売り:親から流しの出商人からアイスキャンデーを買うのは禁止されていたが、梅田稲荷の近くに夏はアイスキャンデー、冬は今川焼きを売る店があったので必要なかった。
爆弾あられ:おじさんが境内にやってくると子供達は一斉に米を貰いに家に戻ったものだ。
エンドウ豆売り:売り声(えんどうまぁ〜め〜、ほやほや〜♪)を掛けながら自転車で流していた。大声で呼び止めないと一町(約108m)も先に行ってしまう。新聞紙を三角に折った袋に入れてくれた。
焼売:自転車の荷台に蒸し器を載せて、焼売をばら売りしていた。
飴細工:縁日でなくても月に一度くらいやってくる。一番安いのが鳩、人気があるのが「猿の木登り」
覗き機関(からくり):自転車の荷台にからくりを載せ、水飴を買うと覗き機関が観られる。
紙芝居:当時流行った「かにちょ」は楳図かずおの「恐怖マンガ」に通じるものがあった。通称・頓智オッサンと云われていた紙芝居屋の口癖は「漫画だからしょうがないさ。」
出商人の定番、流しの屋台のラーメン屋とかおでん屋等は駅前や繁華街を中心に流しているのだろうか、それともチャルメラの音が聴こえる頃は子供の寝る時間だろうか、一度か二度しかチャルメラを聴いてない。焼き芋屋は子供の小遣いでは届かない価格なので、子供は相手にしなかった。それに焼き芋は駄菓子屋の店頭販売の壺焼きが主流であった。
因みに焼き芋屋も農閑期の農家の出稼ぎによるもので、東京の焼き芋屋は新潟県出身者で占められているそうだ。新潟県出身者の多い職業と云えば、お風呂屋(銭湯)もそうである。これは神田の銭湯の主人から聞いた話。
出商人ではないが、正月には獅子舞や万歳も家の門口に廻ってきていた。
流石に昭和30年頃にはTシャツを売り歩く出商人は梅田町界隈ではいませんでした。
昭和12年頃の梅田町の母(右から二人目)の実家である。敷地は写真手前の敷地内の池を挟み梅田稲荷に隣接し、東隣は真言宗の寺である遍照院と裏木戸で繋がっていた。周囲は未だ田園の面影を残し、西側道路に沿って流れる川では蜆も取れ、堀割や水路と溜池が点在しているような地域(1909年頃の地図)であった。この写真はある意味で当時の足立南部の低湿地帯に建つ住宅をよく表わしているのであろう。
母方の祖父は元々は現在の後楽園遊園地にあった陸軍省砲兵工廠に勤める事務職であったが、その後、木場で材木商を営み、材木商で儲けた資金で梅田町に土地を求め、養豚業を始める為に小石川林町の仕舞屋から越してきたのである。祖父は茨城の水海道出身なので、東京近郊の足立に越すことなど、何の不都合もないだろうが、母やその兄妹には住み慣れた林町を離れるには抵抗があったようだ。ましてや養豚業である。祖父は終戦後には養豚業を廃業していたが、戦前から保険代理店も兼業し、無尽講から派生した信用組合等の金融業とも関わりを持っていた。
写真の左端が伯父夫婦と従兄弟、続いて祖母と祖父、母の姉妹である。昭和15年に結婚した両親は戦時中はこの家の裏手にある祖父が娘達の為に建てた借家に住んでおり、疎開先も決まり荷物をまとめた日の深夜、つまり昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失し、焼け出され、着の身着のままで両親は疎開先の会津に向かった。終戦後は同じ敷地に祖父、伯父、両親とそれぞれ個別のバラックを建て疎開先から家族を呼び戻し住み始めた。その焼け跡に建てられたバラックが私の生家であった。私が物心着いた頃は空襲で焼失した母屋のモザイクタイル貼りの浴槽だけが残っており、その浴槽で金魚が飼われていた。浴槽もやがて取り壊されそのコンクリートガラを路床にして表木戸から祖父の家までのコンクリート舗装となった。やがて伯父の家族が梅島に転居、祖父も亡くなり、昭和32年に私の家族が八王子に転居し、梅田町から誰もいなくなり、その後、町名や住居表示等も変更され梅田町も梅田となった。今は祖父らの墓が隣の遍照院に残るのみである。
53年前の今日、昭和28年(1953年)9月9日、梅田稲荷の祭りの日、父が日曜大工で作ってくれた神輿を担ぐ私と兄、後ろに見えるバラックが私の生家である。この後、もう少し程度のよいバラックに建替えられ、明るい色のペンキで塗られたが、その家も天井は張られてなく、雨降りで遊びに行けない時は畳みに寝転がり小屋裏の材木の木目や等級を示す文字を眺めていた。
こんなバラックでも敷地は板塀で囲われ、木戸で外界とは画され、隣の遍照院を含めて其処は我々兄弟にとって他人の入り込まない聖域でもあった。一方の梅田稲荷は境内の片隅には遊具も置かれ、午後3時過ぎともなると学校から帰ってきた子供達が三々五々集まり、遊びの輪が広がっていく様な開放された場所であった。当然そこには紙芝居屋等の子供相手の出商人も定期的にやってきた。
お化け煙突
1956 西新井橋
荒川放水路
と云うことで、2006年のF1-GP 18戦が開催される世界各国のCircuitをGoogleEarthで探し求めた。今日からイタリアGPが開催されるモンツァであるが何故かサーキットだけが低解像度の航空(衛星)写真になっている。他のF1-GP Circuitは概ね高解像度である。但し、トルコGPが行われたイスタンブールパーク・サーキットは未だ影も形もなく、サーキットのサイトにあったアクセスマップから場所を推測した。他に来月初めに上海GPの行われる上海インターナショナル・サーキットはGoogleEarthでは未だ工事中であるが特徴あるスタジアムスタンドの骨格が伺える。またドイツGPの開催されるホッケンハイムリンクは未だ古いコースレイアウトのままである。市街地コースで行われるオーストラリアGP、モナコGP、カナダGP等も公園の利用方法としても興味深い。
FI-GP.kmz.zip:全18戦のサーキット位置情報(GoogleEarth目印)を納めている。
GoogleEarthのF1-GPシリーズを作成しようと、モンテカルロに飛び市街地コースを計測すると、あ〜ら不思議、市街地サーキットがメビウスの輪と化している。高低差の多い都市とはいえ、これだけ航空写真の継ぎ目に誤差が生じている例も珍しいのだ。
GoogleEarth:Circuit de Monaco.kmz.zip
と云う訳で"GoogleEarth"に目印(位置情報)を取込む"FileName.kmz"ファイルの作成法を考えました。(作業環境:MacOSX10.4.7)先ず作成した目印(位置情報)を選択しておきファイルメニューから「目印をメールで送信...」を実行します。するとディフォルトのメーラーに「新規メッセージ」が作成されます。その「新規メッセージ」に「目印名.kmz」が作成されます。その「目印名.kmz」を適当なフォルダーにドラッグコピーしてから、ファインダーで「アーカイブを作成」して、そのアーカイブをブログエントリーにアップロードします。
一例として下記のzipファイルの「目印名.kmz」(例:Stonehenge.kmz)をダウンロードして解凍します。解凍した"Stonehenge.kmz"をダブルクリックすると"GoogleEarth"の「サイドバー」の場所/保留に目印が追加されます。目印の説明にアドレスが書き込まれていると"GoogleEarth"からディフォルトのブラウザを起動しそのサイトにアクセスします。
Stonehenge.kmz:クリックすると目印の圧縮ファイルがダウンロードされます。
それは"Alvar Aalto"の"Helsinki University of Technology"の別名"Otaniemi"をGoogle検索していた時に偶然出会った。"Artifice Great Buildings Online"による"The Great Buildings Collection"である。検索はキーワードによる"Search"、建築名称による"Buildings"、建築家による"Architects"、場所による"Places"と四つの選択肢がある。特筆すべきは建築データの位置情報が"GoogleMap"にリンクされていることである。願わくば"GoogleEarth"でアクセス可能な緯度経度の情報があると有り難いのであるが。
と云うことで実はCD-ROMによる"The Great Buildings Collection"を持っているのである。1994年にハイパーカードをベースに制作されたものだがPowerMacG5のclassic環境でも難なく開くことができた。何故このCD-ROMが手元にあるかと云えば1995年2月のatで特集したMacintoshの記事を書く際に3D InnovationsのDesignWorkshopを取り上げ、3D Innovationsの井上淳氏に協力して頂いたことから始まる。DesignWorkshopはオレゴン大学建築美術学部のケビン・マシューズ助教授(当時)の手によるもので、DesignWorkshopによるモデリングデータとリアルな建築データを組み合わせたデータベースが"The Great Buildings Collection"と云う訳だ。このときシアトルに行く用事のあった古山くんがオレゴンまで足を延ばし、オレゴン大学建築美術学部のケビン・マシューズ助教授を取材しその時に頂いたCD-ROMと云う訳である。CD-ROMの閉じられた系からInternetによる開かれた系へと本来在るべきシステムに進化していたことを喜びたい。
左上の画面は"Architects"より"C"から"Le Corbusier"を選択し"Works"のリストから"Villa Savoye"を選んだ状態である。更に"Location"の項目に"map"があれば左図の"GoogleMap"に連動する。左図は"Villa Savoye"の"Location"を示す"GoogleMap"を最大限に拡大したものである。ディフォルトは航空写真に地図を重ねたデュアルであるが、もちろん地図だけ、航空写真だけも表示できる。
しかし、これだけのデータがあってもLouis I. KahnのBangladeshは"National Assembly in Dacca"の位置情報を示すMapはないのである。マイ・アーキテクトを見て"GoogleEarth"でダッカの議事堂を見つけられなかったが、やはり詳細な航空(衛星)写真がなく、見つけられないようである。