October 31, 2006

阿佐ヶ谷式...

こんなメーターボックスを見たのは初めてだ。プレキャストコンクリートの枠にスレート板を嵌め込んだものである。阿佐ヶ谷テラスハウス固有のディテールはこちらに倣い取り敢ず『阿佐ヶ谷式...』と呼ぶことにした。

2階窓に設けられた手摺りの腰板にスリットが3箇所設けられている。意匠以外の用途があるかは不明だが、全て共通の意匠である。この棟は増築はされておらず、アルミサッシュへの交換以外、外観は略オリジナルのままのようだ。

Posted by S.Igarashi at 09:15 AM

October 30, 2006

荒玉水道通りのアローハウス

「あの〜、、、済美橋へはどちらに行けばよいでしょうか、、、」
「→ ...」
「あ、右、、そ、そうですよね。(^_^;)」

Posted by S.Igarashi at 09:43 AM | コメント (3)

October 29, 2006

善福寺川・調査ミニダイブ

と云う事で昨日はこのコメントの通り、善福寺川の調査ミニダイブしてきた。スタート地点は上図右上の丸ノ内線・東高円寺駅、ゴール地点は阿佐ケ谷テラスハウスだ。ゴールでmasaさんと落ち合う予定で、先ずは蚕糸の森公園を通り抜けて環七に出る。妙法寺入り口の信号で環七を横断して、妙法寺の前を通り荒玉水道通りに出る。この道は青梅街道から善福寺川に向かって緩やかに下ってゆく。そして済美橋から善福寺川沿いの遊歩道を歩き調査ミニダイブの開始だ。歩き始めて感じたのは、善福寺川流域の自然と緑を守ろうとする行政の意志である。流域の空き地やぽつねんと取り残された廃屋に、既存の公園や緑地帯を更に拡幅整備して善福寺川流域をグリーンベルトにする構想が読み取れる。杉並区21世紀ビジョン・答申書を読むと、その目標の1に「水辺をよみがえらせ、みどりのまちをつくろう」とある。全体構想が実を結ぶまでは長い年月が掛かるであろうが、未来の人々に共有の場所としての緑の流域を残せたら素晴らしいことだろう。
反省:帰宅してからもう一度地図を見て気付いたが、スタート地点は丸ノ内線・方南町駅(上図右下のGoogle)にした方が良さそうだ。因みに方南町から阿佐ケ谷テラスハウスまでのルートでは約4.19キロの距離で歩きが一時間+道草ロスタイムでミニダイブに適した距離だろう。

GoogleEarthでは建造物が撤去された跡があり、緑地は整備されてないが、現在は緑地となっている。なだらかな起伏が嘗ての地形を彷彿させる。( 35°41'19.00"N 139°38'40.97"E)
対岸上流の川べりに建つ廃屋( 35°41'12.78"N 139°38'40.26"E)の周辺は空き地(原っぱ)となっている。


和田堀公園( 35°41'4.70"N 139°38'24.27"E)の池の周囲は鬱蒼とした緑に囲まれている。


和田堀公園付近の善福寺川、左手は大宮八幡宮の森、鬱蒼とした緑は想像以上であった。現在はシートパイルと間知石積みの護岸工事がされている。水害対策と親水性、相矛盾する目標も、流域に運動公園に転用可能な多目的な調整池を整備するなどして両立させられるような気もする。


明治13年(1880)の善福寺川流域、公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。水田や畑の他に杉林や楢(ナラ)の森や林が多い。


大正10年(1921)の善福寺川流域。未だこの時代は、中央線の中野駅と荻窪駅の間に駅はなかった。集落は街道沿いにある程度。


昭和30年(1955)の善福寺川流域。中央線沿線から青梅街道沿いに市街地化が進んでいるが、まだ公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は水田であった。



東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスにある遺跡地図は生憎とこの善福寺川流域が継ぎ目となっていたので遺跡地図四枚分を貼り合わせ善福寺川流域だけを切り抜いた。尚、遺跡名称等は杉並区-遺跡一覧を参照。
ダイブ中に怪しいと思っていた済美橋南側の小高い丘は済美台遺跡(No.62)だった。
因みに公団・阿佐ケ谷住宅の敷地は低地(水田)なので、当然遺跡はみられないが善福寺川対岸の台地縁辺には縄文集落の熊野神社遺跡(No.62)がある。

数値地図データによる善福寺川流域の地形図。公団・阿佐ケ谷住宅付近の海抜が38m、青梅街道・南阿佐ケ谷駅付近が海抜44mである。


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October 27, 2006

三池 終わらない炭鉱の物語

Miike.jpg

来年1月に「もんしぇん」を再上映するポレポレ東中野をネット検索したら、11月4日から「三池 終わらない炭鉱の物語」を再上映することを知った。三池炭鉱を産業遺跡として保存し、負の歴史も含めてそこで生きてきた人々の生活の実態を後世に伝える事は大切だろう。因みにドイツではエッセンのツォルフェライン炭坑遺跡群がユネスコ世界文化遺産に指定されている。

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October 25, 2006

軍艦島

gunkanjima.jpg

最近、軍艦アパートとか、昭和の建造物や産業遺跡や軍事遺跡や廃墟に関連したテーマの出版物が増えている気がするが、その本家本元とも云える軍艦島はどうなっているのかGoogleEarthで調べると既に高解像の画像データが用意されていた。GoogleEarthの良さはこうしてズームインして見るだけではなく、長崎市内等や他の島との関係性が手に取るように解る事であろう。これは軍艦島をテーマにした数々のドキュメンタリー番組だけでは知り得ないことでもある。
緯度経度( 32°37'40.86"N 129°44'18.70"E)

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October 24, 2006

TOTAN GALLERY

昨日、授業の前に阿佐ケ谷テラスハウスTOTAN GALLERYに行ってきた。同行者はブログで私の行動を嗅ぎつけたsimple pleasureのりりこさんである。丸ノ内線・南阿佐ケ谷駅から適当に南に向かって住宅街を抜けると団地が現れる。団地内の周回道路の南端は芝生広場の向うにTOTAN GALLERYのある公団阿佐ケ谷住宅25号棟がある。『道に迷われた方から、電話で道順を尋ねられますが、駅から迷わず真直ぐ来るよりも、少し迷子になってから、ここを見つけたほうが楽しいようです。』と、TOTAN GALLERYのTさんは言う。それはそうだ、散歩の楽しみは普段と違う道を歩いて迷子になることなのだ。

29日まで展示のhana写真展『全窓全開』はGRによる作品ということである。hanaさんは田中長徳さんらによるGR DIGITAL BOXに作品を載せている10人の1人だ。
これはGRのユーザーは必見でしょう。誰とは言わないけれど。

階段のディテールを見ると、前川国男邸と共通の印象を憶える、骨太のディテールが前川さんらしい。壁には団地の地図が、、、これも作品だ。


築48年の建物は雨漏りもするが、ステンレスのボウルもここではアート、かな?

と云う事で、昨日は残念ながら雨降りの上に、朝から中央線の人身事故で30分も時間を無駄にしたので、授業の準備もあってゆっくりする間もなくギャラリーを後にした。晴れているときに又来よう。
南阿佐ケ谷駅前でりりこさんと分かれる際、彼女はこのチラシを大学に置くようにとのミッションを残し、いそいそとランチへとむかった。私はあたふたと地下鉄に飛び乗り、大学に急いだ。結局、授業の準備でランチを食べる暇はなくなり、恐怖の三コマ(90分×3)授業へ突入したのであった。

追記:因みに女子美祭2006が10月27日から29日まで開催されます。杉並校舎の最寄り駅は東高円寺で、南阿佐ケ谷とは二駅離れているだけ。
Kai-Wai 散策:阿佐ヶ谷テラスハウス

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October 21, 2006

昔は声優だった

昨日、俳優の藤岡琢也さんが亡くなりましたが、あの人は昔は声優でしたね。Wikipediaのバイオグラフィーにはそうした経歴はあまり詳しく書かれていないけれど、昭和30年代にNTVで隔週金曜日に放送されたディズニーランドでのドナルドダックの声や、アニメでない実写のスラップスティック・コメディの三馬鹿大将の怒りん坊のモーの声なんか担当してましたが、ガキ相手の仕事は経歴には載せたくなかったのかしらね。やはり業界ではスラップスティックよりもシリアスな芝居が上等と云う差別意識があるんでしょうね。そういえばガキの頃は「琢也」を何と読むのか分からなくて「トンヤ」とか間違えて読んで失礼しました。ここに御詫び申し上げます。

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October 19, 2006

阿佐ケ谷テラスハウス

AsagayaTH.jpg

今日の朝刊には『シモキタ』再開発了承の文字が目に付いたが、一昨日の夕刊に前川国男による「阿佐ケ谷テラスハウス半世紀たち取り壊し」の記事が社会面トップを飾った。昨年の生誕100年・前川国男建築展によって再評価の高まった建築だが、またモダニズムの建築が地上から消えることになる。東京新聞の記事では阿佐ケ谷テラスハウスの自宅を開放してTOTAN GALLERYを開設した阿佐ヶ谷住宅日記の管理人で「とたんギャラリー実行委員会 」代表の大川さんが紹介されていた。ギャラリーのオープニングを飾ったhana写真展『全窓全開』 の展示期間が延長されたようなので、来週、途中下車して立ち寄ってみよう。

asagayatotan.jpg

この団地は空が広くて気持ちいいだろうな。ブルートタンで葺き替えた家もありますね。

Kai-Wai 散策:阿佐ヶ谷テラスハウス

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October 18, 2006

土木絵葉書

dobokucard.jpg

音無橋をネット検索して見つけた土木学会図書館の戦前土木絵葉書ライブラリ、土木関連の絵葉書3,600点が収録されている。

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October 17, 2006

アースダイビングはトラムに乗って

「第三回アースダイビング@江戸東京地下水脈」から随分と時が流れましたが、そろそろ行動しなければと「第四回」の企画を考えました。題して『アースダイビングはトラムに乗って』。実は春先に考えていた企画で、実行に移す機会を逸してましたが。日程を調整して晩秋の11月23日に開催すべく目下資料等準備中、取り敢ずは開催の告知です。今回のポイントは図説 江戸・東京の川と水辺の事典で触れた「音無川(滝野川)の謎」等、武蔵野台地とデルタ地帯を結ぶ点と線をダイブ。

音無(おとなし)川: 石神井用水とも呼ばれた。石神井川を北区飛鳥山の北側で堰き止めたダムから分流されて東南に流れ、1R京浜東北線に沿って田端、日暮里、根岸と流れ、荒川区と台東区の境を蛇行し、三ノ輪、日本堤(にほんづつみ)、山谷堀(さんやぼり)を経て隅田川に注ぐ農業用水だった。

音無川の由来は熊野信仰にあったようです。王子、飛鳥山の地名もそのようですね。熊野本宮大社旧社地・大斎原

参考資料:東京の原風景川添登・著、ちくま学芸文庫
田園都市、庭園都市としての江戸・東京を解読、嘗て王子、飛鳥山は吉宗の意向もあり江戸近郊のレクリエーション・エリアとして位置づけられていた。

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October 15, 2006

屋上工作物

石神井川の下流、王子の堰で分流された音無川(既に暗渠)の下流を辿って行くと或る街に出ます。その昔、日本橋は人形町辺りにあったらしいのですが、幕府の政策でこの地に移転、昭和33年にその商売は法律で禁止され、この地も昔の面影は無くなったそうですが、この屋上の工作物群を観ると、やはり、他とは事情の異なる街のようです。( 35°43'26.08"N 139°47'43.91"E)

Posted by S.Igarashi at 11:17 AM | コメント (7)

October 14, 2006

何だか、

昨日の朝刊にこんな一面広告を見ました。普通なら見逃す広告ですが、どうも構図が気になりますね。

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October 13, 2006

Google SketchUp

Google SketchUpを試した。今更、これで3Dを作るつもりはないがVectorWorksのデータが流用できるかのテストである。コンバートの為の中間ファイルにはDXF/DWGよりも3DSの方が具合が良さそうである。但し取込設定で"Merge coplanar faces"をチェックしていないとサーフェースが三角に分割される。

と云うことで世界遺産のSchroderHouseをGoogle SketchUpにコンバートしたデータです。これも3Dデータを共有する一つの方法かな。
Download file 132kb

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October 12, 2006

利殖

あ〜、結局、これって利殖だったのだ。昨日のディープインパクトの引退記者会見(?)のニュースを見てそう思った。
斯くいう私、生まれてこの方、競馬場へ行ったこともなく、馬券も一度も買ったこともなく、日曜日の競馬中継は時々見るくらいですが、記者会見の池江調教師の落胆ぶりが悲痛に思えた。パトロンに見放された芸術家と言ったら大げさでしょうが、泣く子と地頭には勝てないのである。

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October 11, 2006

Get a Mac

TV-Ads.jpg

いつの間にかAppleのキャンペーン"Get a Mac"の"TV-Ads"のラインアップが増えている、"Network"には日本人女性も登場「ねぇ、ねぇ、彼ってオタクっぽくない?」、日本語の台詞がオタクかよ。(この女性も喋らなければ、韓国人か中国人か、なんだか分からない。)

Posted by S.Igarashi at 08:46 AM | コメント (0)

October 10, 2006

iPod Battery

iPodG1and-Battery.jpg

バッテリー寿命の尽きた"iPod 1st-Generation"は兄の手に渡り、SonnetのOn-lineStoreで求めたバッテリーを装着し、電源のない場所でも使えるようになった。因みに"iPod 1st-Generation"から取り外したバッテリーはSONY製であった。同じ、リチウムイオンバッテリーでもこちらは構造が異なり発火する心配はないということである。

ipod1g-mov01.jpgと云うことで紙のマニュアル類は付属していないが日本語によるインストールマニュアルのビデオが付属している。因みに価格は税込で3980円+送料1000円の合計4980円であった。商品はカルフォルニアから送られてくるので通関手続きに多少時間を取られるようである。

ipod1g-mov02.jpg問題はケースの開封、オープナーが付属しているが、そのオープナーが中々差し込めない。ビデオではケースの両端を押えればケースが歪み隙間が空くと説明しているが、それには米国標準の怪力が必要と思える。


ipod1g-mov03.jpg"iPod 1st-Generation"はケースを空けると直ぐにバッテリーなので交換は簡単である。3rd-Generation以後のiPodはバッテリーが小型化されハードディスクの裏に配置されているので一手間掛かるようである。iPod miniはもっと大変そうだ。


ipod1g-mov04.jpgつまり、完全互換と云うことでしょうね。

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October 09, 2006

図説 江戸・東京の川と水辺の事典

図説 江戸・東京の川と水辺の事典 鈴木 理生 (著)
事典とあるように江戸の川・東京の川の著者・鈴木 理生氏による研究の集大成である。書名の事典故に貸出禁止図書の指定がされていたが「そこをなんとか、m(__)m」と図書館司書にお願いして1週間だけ借りてきた。わきたさんが「東京の元・湿地帯をダイブする(その3)」の中で「江戸の川・東京の川」を取り上げていたので『出版されてから30年近く経っているので、、、云々』とコメントしたところ本書の存在を知らせて戴いた。Amazonで「江戸の川・東京の川」を買っているので、その後Amazonから本書の案内が来たと思うが値段が張る故に無視していたような気もする。

と云うことで「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」を借りてきたのは出版されてから30年近く経った『江戸の川 東京の川』に於ける仮説的論考の、その後の研究成果を知りたかったのである。それは本来の石神井川が飛鳥山手前で右手に折れ谷田川(藍染川)と名称を変え不忍池に流れていたのであるが、或る時代から武蔵野台地東端の上野台地を切り裂き隅田川に注ぎ込むようになったのであるが。鈴木理生氏は『江戸の川 東京の川』に於いてはこの様に仮説を断言していた。

さきに渓谷状の石神井川が王子に抜ける形が異例だといったのは、河流がつくる谷の形は徐々に谷幅をひろげる形で発達するのが普通である。滝野川の王子側のわずか一キロたらずの渓谷地形を、自然現象の結果だとしたならば、この部分の地盤だけが局地的に隆起したという理由だけしか考えられない。
、、、中略、、、
正史の『吾妻鏡』には滝野川という地名はでてこない。滝野川が地名として扱われるのは、前述のように頼朝上陸の時点より約一世紀後に成立した『源平盛衰記』以後のことである。
以上のことから、私は石神井川が現在のように石神井川と谷田川に分断されたのは、人為的なものだと断定したい。
と述べている。

それが「図説 江戸・東京の川と水辺の事典」では人為的な土木工事説を捨ててないが、自然現象説の可能性についても述べられている。

最近の東京における自然地理(地形学)の調査・研究の結果では、幾度かあった海進期の海の波の浸蝕力は非常に強く、この辺りの武蔵野台地の海に面した場所は「1000年間に250メートルも削られた」という見解も発表されている。
(『駿台史学』第98号・1996年9月刊の中の(研究ノート)「武蔵野台地東部(本郷台) における石神井川の流路変遷」、筆者は中野守久・増渕和夫・杉原重夫の三氏)
 この研究の結論は、谷田川〜不忍池方向に流れていた石神井川が、「縄文海進最盛期に本郷台の崖端浸蝕に起因した河川争奪を起こし、流路を変更して台地から東京低地へと急勾配で流下した。流路を奪われた谷田川の上流部では沼沢地となり滝野川泥炭層を河床に堆積させ一方、王子方向へと流出した新たな河流は河床を深く掘りこんで峡谷状となり、現在の流路を取るに至った。」とする。つまり、海側からの浸蝕と石神井川側からの双方の浸蝕力で、壁状になった台地の緑(ふち)が崩壊して石神井川が海側に流れ出したというのである。

鈴木理生氏による人為による河流の変更説の根拠となっているのは以下の項目による。
1)滝野川の地名発生の時期
歴史上のことでいえば、鎌倉幕府の正史といわれた『吾妻鏡』の治承四(1180)年十月四日の条(くだり)の解釈に、源頼朝が「隅田宿」から「長井渡」を経て武蔵に最初に上陸した場所として、この石神井川流域の滝野川付近が推定されている。それから約百年後の十三世紀後半に成立したといわれる『源平盛衰記』には、源頼朝の上陸地点を「武蔵国豊島の上、滝野河、松橋」とあるのが文字で見られる限りの最古の例である。

近くの王子神社(王子権現)の起源によると「創立は、この地の領主・豊島氏の紀州熊野権現よりの勧請と伝えらる(元亨二年、1322)。王子村は古くは岸村といったが、紀州熊野三所若一王子が勧請され、若一王子宮(わかいちおうじしゃ)と称した事から、王子村と改められた。」とされている。

2)鎌倉古道の位置づけ

また鎌倉時代の軍用道路(鎌倉古道のうちの「中の道」が後北条時代に受けつがれ、それが江戸時代になると岩槻道(いわつきみち)、別名日光御成道=本郷通りから岩淵(北区)〜川口 (川口市) とつづく道も現在の石神井川を跨ぐ形でつけられている。
 しかし本来の岩槻道は石神井川を跨がずに、台地の縁沿いに通っていたと考えた方が、軍用道路の路線設定の条件を考えた場合、より自然である。
 この点から、あるいは岩槻道が成立した後に、自然的または人為的に石神井川の流路が変わったとも推察できる。
 現地に立てば分かるように岩槻道と今の石神井川との交差の有様は、各時代の状況に応じた社会と川の関係を偲ばせるものが多い。

これらの理由だけで実証もなく人為的な土木工事説と断定するのは難しいと思われるが、江戸時代の土木工事で本郷台地に切り開かれた仙台堀(御茶ノ水・神田川)に架かる聖橋と、滝野川に架かる音無橋がよく似た意匠のアーチ橋と云うのも興味深い。

追記:江戸時代と明治時代の飛鳥山周辺の地図と古墳時代の遺跡分布地図
edoasukayama.jpg
岩槻道が飛鳥山に添って一旦下り谷底で石神井川を渡り、再び武蔵野台地に登っている。
石神井川は谷底で流れが二つに分かれ隅田川に向かう流れと、武蔵野台地の旧海岸線に沿った流れとなる。(この下流は日本堤に流れ、山谷堀から隅田川に注いでいる。)
江戸・東京の地図と景観(正井泰夫・著)より引用。

meiji13asukayama.jpg
明治13年。

kitakuiseki.jpg

王子権現のある場所(半島、岬)は19の十条台遺跡群とされ、縄文、弥生の住居跡はあるが古墳はない。赤丸22は王子稲荷裏古墳、赤丸24は四本木(よもとぎ)稲荷古墳、これも地霊信仰の一つである稲荷が古墳跡にある典型だろう。飛鳥山には赤丸46の飛鳥山古墳群が見られる。中里と西ヶ原に貝塚が見られるのは縄文海進期の海岸線が京浜東北線に沿っていたのであろう。
東京都遺跡地図情報インターネット提供サービスによる北区-遺跡一覧より引用。

Posted by S.Igarashi at 10:30 PM | コメント (11)

October 08, 2006

radioioJazz & iTunes

radioiojazz01.jpg

と云うことで iTunesのInternetRadioを聴くようになったが、専ら最近のミュージシャンが聴けるradioioJazz にチューニングを合わせている。とは言っても、最近はスイングジャーナルも読まなくなり、ミュージシャンの名前にも疎くなってしまった。そこで iTunesStoreの検索機能が役に立つのである。放送されている曲目表示を見て検索するのであるが、テキスト入力が面倒である。そんな無精者にはradioioJazz のサイトを表示しておけば放送中のミュージシャンの名前が表示されるので、それをコピー&ペーストして検索すれば良い。ん〜、 iTunesStoreには未だ私の知らないミュージシャンが沢山いるのだ。勿論、検索にヒットしない場合もあるがヒットする確率の方が断然高い。

radioiojazz02.jpg

Posted by S.Igarashi at 10:25 AM | コメント (1) | トラックバック

October 07, 2006

InternetRadio

RadioioJazz.jpgプロバイダの都合でADSLが12Mから50Mに切り替わった。来年三月まで従来の12Mと同じ料金なので取り敢ずこのまま様子を見る事にして、IP電話で色々とトラブルの出ている光に切り替えるのを先延ばしした。ADSL-50Mの切替えはモデムの交換で無事終了、それまでプロバイダが使っていた平成電電の回線よりも安定しているようだ。と云うことで iTunesで128kpbsのInternetRadioを聴いていても音が途切れることはなくなった。

Posted by S.Igarashi at 11:40 AM

October 06, 2006

新版・母は枯葉剤を浴びた

新版・母は枯葉剤を浴びた/ダイオキシンの傷あと
中村悟郎・著、岩波現代文庫
著者である報道写真家・中村悟郎氏の名は先日9月26日の「視点・論点」を見るまで知らなかった。その前日のTBS/News23ではラオスのベトナム国境近くのいわゆるホーチミンルート周辺で不発弾処理に携っているJMAS(日本地雷処理を支援する会)の活動を特集していた。ベトナム戦争当時のラオスの人口一人当たり1トンの爆弾が落とされていると云う。改めてベトナム戦争の負の遺産について気になり、ネットで調べてから書店で購入した。枯葉剤の被害としては双子のベトちゃんドクちゃんの事が知られているが、中村氏は彼らの分離手術に報道写真家として立ち会った唯一の人である。本書は1983年に新潮文庫として刊行されたものだが、ベトナム戦争・終戦後30年を経た昨年、再びベトナムを訪れ取材した二つの章を新たに追加、83年版の各章に加筆修正を行ない、昨年末出版された。

Posted by S.Igarashi at 09:07 AM

October 03, 2006

東京坂道散歩

東京坂道散歩:冨田均・著、東京新聞出版局・刊
タモリのTOKYO坂道美学入門に次ぐ坂道の本、つまり坂本である。東京新聞朝刊に週1で連載されていた「坂道を歩こう」が単行本「東京坂道散歩」となって刊行された。筆者の冨田均は東京散歩の達人である。興味深いのは四谷荒木町の津の守坂の項である。聞書き・寄席末広亭の語り部である席亭・北村銀太郎から往時の荒木町を偲ぶ話を聞き出していることである。嘗て荒木町が四谷の箱根と呼ばれていたとは知らなかった。

Posted by S.Igarashi at 10:07 PM | コメント (3)