September 10, 2006

梅田町界隈の出商人

子供の頃、一番好きな噺家は金馬だった。その三代目・三遊亭金馬の「孝行糖」は27分余りの噺であるが、その半分を超える14分がに充てられている。さて、その枕であるが本筋の孝行糖の売り声に掛けて、様々な出商人(であきんど)による「売り声」について、その絶妙な言葉選びと工夫を面白可笑しく語り、「売り声というものは難しいものでございます。」と締め括っている。「先々の時計になれや小商人」物売りの声が人々の生活に密着してた時代を物語る言葉である。この枕で語られている程、出商人の職種は豊富ではないが、50年前の足立区梅田には色んな出商人が往来していた。

どんな職種があったのか、極く一般的なところから記憶を辿ってみた。
豆腐屋:(とぉ〜ふ〜とぉふ)
納豆売り:(なっと〜なっと、なっとう)
浅蜊売り:(あさり〜しじみ)
金魚売り:(きんぎょぇ〜きんぎょ)記憶では(風鈴、釣りしのぶ)も売っていたような気がする。
サオ竹屋:(さおや〜あおだけ〜)、昔は近郊の農家の農閑期の副業だったと思う。
箒売り:売り声を聴いた憶えはないが、これも昔は近郊の農家の農閑期の副業だったと思う。
屑屋:(くず〜ぃ、おはらい)
研ぎ屋:包丁、ハサミ
傘屋:(こうもりがさのはりかえ〜)

梅田稲荷の境内にやってきて子供も相手にしていた職種は
玄米パン:母親は、あんなもの美味くないと、買ってくれたことがない。
アイスキャンデー売り:親から流しの出商人からアイスキャンデーを買うのは禁止されていたが、梅田稲荷の近くに夏はアイスキャンデー、冬は今川焼きを売る店があったので必要なかった。
爆弾あられ:おじさんが境内にやってくると子供達は一斉に米を貰いに家に戻ったものだ。
エンドウ豆売り:売り声(えんどうまぁ〜め〜、ほやほや〜♪)を掛けながら自転車で流していた。大声で呼び止めないと一町(約108m)も先に行ってしまう。新聞紙を三角に折った袋に入れてくれた。
焼売:自転車の荷台に蒸し器を載せて、焼売をばら売りしていた。
飴細工:縁日でなくても月に一度くらいやってくる。一番安いのが鳩、人気があるのが「猿の木登り」
覗き機関(からくり):自転車の荷台にからくりを載せ、水飴を買うと覗き機関が観られる。
紙芝居:当時流行った「かにちょ」は楳図かずおの「恐怖マンガ」に通じるものがあった。通称・頓智オッサンと云われていた紙芝居屋の口癖は「漫画だからしょうがないさ。」

出商人の定番、流しの屋台のラーメン屋とかおでん屋等は駅前や繁華街を中心に流しているのだろうか、それともチャルメラの音が聴こえる頃は子供の寝る時間だろうか、一度か二度しかチャルメラを聴いてない。焼き芋屋は子供の小遣いでは届かない価格なので、子供は相手にしなかった。それに焼き芋は駄菓子屋の店頭販売の壺焼きが主流であった。
因みに焼き芋屋も農閑期の農家の出稼ぎによるもので、東京の焼き芋屋は新潟県出身者で占められているそうだ。新潟県出身者の多い職業と云えば、お風呂屋(銭湯)もそうである。これは神田の銭湯の主人から聞いた話。

出商人ではないが、正月には獅子舞や万歳も家の門口に廻ってきていた。
流石に昭和30年頃にはTシャツを売り歩く出商人は梅田町界隈ではいませんでした。

Posted by S.Igarashi at September 10, 2006 10:33 AM
コメント

わきたさん、ど〜も。
こちらでは一般的に砂糖は使用してないですね。
そういえば、いつだったかタモリ倶楽部で色んな食材を使った「爆弾あられ」の特集をやってました。
>関西では、銭湯は石川県出身者です。
日本海側と云う点が共通ですね。寒い地方の人はかまどの火加減が上手なのと忍耐強いのかしら。
そういえば新潟県は東北でも、北陸でもなく、それらの要素を持ちながらも、甲信越と云うところが微妙で、もっと広域になると関東甲信越になりますからね。

Posted by: iGa at September 12, 2006 10:31 AM

iGaさん、こんばんは。「爆弾あられ」って、その解説の内容からするに、クルクル回す圧力釜のなかで溶かした砂糖と米をまぜ、一気に爆発させて米菓子つくる…あれのことですか?僕たちは、「ポン菓子」と呼んでいました。iGaさんが、「親から流しの出商人からアイスキャンデーを買うのは禁止されていた」ように、僕のばあいも、「ポン菓子」は禁止でした。アイスキャンディーは腹を壊す可能性がありましたが、「ポン菓子」は安全だと思うんですけどね。で、「ポン菓子」のおじさんの傍で、じっとみていたら、そっと一握りのポン菓子をくれました。話しは変わりますが、関西では、銭湯は石川県出身者です。

Posted by: わきた・けんいち at September 11, 2006 09:53 PM

私の叔父も新潟から出てきて江戸川橋で豆腐屋をやっております。

Posted by: fuRu at September 10, 2006 10:53 PM

市内でもそうですか。
山里に越してきてから、紙芝居屋と縁がなくなりました。
「爆弾あられ」だけは、山里にも何度かきたことがあります。

Posted by: iGa at September 10, 2006 11:17 AM

よく覚えていますね。八王子のこのあたり、そんなに物売りはこなかったなぁ。
新潟県出身者の多い職業って、「豆腐屋」もありましたね。

Posted by: AKi at September 10, 2006 09:15 AM