November 30, 2003

日本の「村」再考

【日本の「村」再考】--くたばれ近代化農政-- 山下惣一著  現代教養文庫

山下惣一氏の名前を知ったのは10年以上前、東京新聞の「本音のコラム」に執筆している頃のことだった。そのコラムには稲作を中心とした水利権と村社会の仕組み等、都市で生まれた人間にとって興味深い、目からウロコが落ちる話が毎回綴られていた。それまで、僕は農業について何も知らず、まったくの無知で、コラムを読むたびに自分を恥じる思いがした。この本は1936年生まれの氏が20代後半の1975年に刊行した同名の書籍を1992年に文庫本におさめたものである。文庫本の後書きにはこう記されている。

・・・・・この本のサブタイトルは「くたばれ近代化農政」であったが、どうやらくたばったのは、あるいはくたばりかけているのは、村と農民の方だった。この本を書いた直後から農業は国際化の波に飲み込まれ、ほんろうされつづけてきた。多くの百姓が農業を投げ出してしまった。別の言い方をすると農業から追い出されたのである。・・・・・
多くの農家が200万未満の農業収入しかないなかで、近代化に伴う農耕機械導入によって農協への借金返済に追われ、農業以外に現金収入を求めなければならない現実を考えると、この一年あまりに立て続けに起きている農作物の盗難被害は、まったくやりきれない思いにさせられる。

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November 29, 2003

Cupertino Font

1986年に買ったMacintosh Plusに付いていたAppleLogoのシール。
昔懐かしい【Cupertino Font】である。
そう云えば、昔、この【Cupertino Font】を使ってビルのサイン計画をしたことがあった。Macのフォントの中でもシカゴフォントはファンも多く人気があるので雑誌やテレビのタイトル等でも使われているのを見かけるけれど【Cupertino Font】はそれに比べるとすっかり忘れられてしまっているようだ。

NeXT.jpg
NeXTのロゴシール、この28度傾けるところがジョブズのこだわりなのだろう。
とうとう、NeXTを買う機会が訪れることもなく、NeXTはAppleに吸収されたけれど、MacOSXはそのNeXTの遺伝子も受け継いでいる。NeXTの名称は無くなったけれど、NeXTに敬意を表してDockは右側に置くことにしている。

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November 28, 2003

ユニバーサル・デザイン?

今日の夕方、八王子みなみ野駅前に完成した大型ショッピングセンターに立ち寄った。4階の駐車場に車を止めて、エスカレータで下階に降りた。2階までの下りエスカレータは普通のタイプだが、2階から1階の下りエスカレータと上りエスカレータは全て傾斜路式のエスカレータである。(オートスロープが一般名称らしい。)これはバリアフリー対策とショッピングカートのまま上層階の駐車場までアプローチできるようなシステムを考えて導入したのだろう。勾配にもよるのだろうが、このオートスロープは乗ってみるとあまり楽ではない。何しろ足元が傾いているものだからバランスを取るために自然と足首に負担がかかるのだ。その上、助走の水平部分から傾斜部分への移動が注意していないと前触れなしに訪れるので、足元が掬われ前のめりになる。(或いは後ろにのけ反る。)子供や若い人は問題ないだろうが、足元の覚束ない老人が一人で乗るには危険であろう。手すりには必ず捉まるよう等、何かしらの対策を講じないと転倒等の事故の可能性が考えられる。尤もエレベーターも併設されているから老人はオートスロープでなくエレベーターを利用せよと云うことか。

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November 27, 2003

PSION

英国サイオン(Psion Computer)のPDAと云うよりもハンドヘルドコンピュータの名が相応しいPSION sreies5(左)とPSION revo(右)です。

PSIONはシステム手帳のファイロファックスをデジタル化するとこうなった、そんな英国らしさが伝わってくるPDAだ。本体を開くとキーボードがせり出してくる仕掛けとかプロダクトデザインという視点から見ても面白い。残念ながら新製品の開発は中止、販売は継続しているがストックが底をついたら終了のようだ。Palmも日本市場からハードウェアを撤退、残るはSONYのCLIEだけで何だか面白くない。
それでもPSIONの遺伝子はSymbian OSとしてNOKIA等の次世代モバイルに受け継がれてゆくようだ。

カバーを閉めた状態のPSION revo

詳しくはエヌフォーのサイオン紹介ページはこちら。

Posted by S.Igarashi at 10:07 PM

November 26, 2003

LEXON "YOTT"

AssistOnで購入したライト付のルーペ【LEXON "YOTT"】

未だ老眼鏡は持ち歩いていないが、このルーペはいつもバックに入れてある。意外と役に立つ時は展覧会である、絵やドローイングの細部を見るにうってつけのアイテムである

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November 25, 2003

Canon Q-PIC

aki's STOCKTAKINGで秋山さんが最初に買ったデジカメ、AppleのQuickTakeについて触れていた。僕はそのAppleのQuickTakeが1994年に世界初のデジタルカメラとして発売される、その五年ほど前、アナログのスチールビデオカメラを手に入れたのが、いわゆる銀塩写真によらないカメラの最初の一歩だった。

1988年暮れにリリースされたキャノンのQ-PICを年が明けた翌年1月に手に入れた。それは2インチのフロッピーに静止画が50枚撮影でき、その画像をテレビのビデオ端子に繋いで見ると言うものだった。当時はカラープリンタなんて気の利いたものなんて無い、ようやくカラーデジタルコピーが普及し始めたばかりである。プリントと云ってもキャノンのサービス・ビューローにフロッピーを持参してインデックスプリントをしてもらう程度であった。アナログ画像の品位は知れたもので多くを期待してはいけないものだった。それでも即時性ということでは現場を撮影することでメモ替わりとして記憶に頼る必要はなくなった。それも、新技術によって淘汰され、今では遺物としての価値を残すのみである。

その後のデジタルカメラの遍歴は以下の通り。
Kodak DC20(玩具のようなもの)
FUJI DS20(画素数は低いが絵の作り方がうまい。)
OLYMPUS C-1Zoom(130万画素だが絵の作り方が自分好みでない。)
OLYMPUS C-5060WZ(35ミリフィルムカメラの存在理由を脅かす。)

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November 24, 2003

僕はどうやってバカになったか

先日、八王子のヨドバシカメラに行ったついでに駅前のスクエアビルにある三省堂書店に立ち寄った。建築系、PC系の売り場を覗いてから、社会科学系の売り場を通り過ぎる時、一冊の本が目に付いた。手にすると小説である。何故この売り場なのかと出版社名を見ると青土社だ。なんとなく納得して、元に戻した。歩き出し二三歩過ぎてから立ち止まり、買うことに決めた。本が読んで欲しいと叫んでいるように思えた。
【僕はどうやってバカになったか】マルタン・パージュ作、大野朗子訳
青土社刊  ISBN4-7917-6073-5

いわゆる最近流行の「自分以外みんなバカ系」の本ではない。フランスの新進作家マルタン・パージュが描いた21世紀の寓話である。プロローグの一文から小説に引き込まれていく。

アントワーヌには、あまり友だちがいなかった。ひじょうに寛容で物分かりがよすぎたことから社会に適応できず、辛い思いをしていたのである。彼の趣味は何物をも排除せず、雑多だったので、嫌いなものを共有することで成り立つ派閥から閉め出されていた

主人公のアントワーヌが社会参加を阻む障害を取り除くために選んだ解決法。
1、アル中になろうとしたが体質が合わずに断念。
2、自殺の決意、非営利団体の自殺講座を受講、講義の後に断念。
3、精神安定剤と抗鬱剤の服用
そして、アントワーヌが「ウーロザック」を飲んで知性を捨て去り、バカになるためにしたこと。
1、大学の非常勤講師を辞職する。
2、マクドナルドに行く。
3、理髪店に行く。
4、ナイキ、リーヴァイス、アディダスを買う。デパートにも行き上着も買う。
5、ゲームセンターに行く。
6、ジムに行く。
7、浪費癖がたたり銀行残高がなくなる。
8、職業安定所に行く。学位と学歴が役に立たないことを知る。
9、高校の同級生を頼り就職する。
10、金融トレーダーになりヤングエグゼクティブになる。
11、・・・・・・・・・
これは以外なエピローグの為の序章でもある。
翻訳の妙もあるのだろう、テンポよく爽快に読むことができた。
読み終えて、映像化したら、とても面白い作品になるだろうと考えた。その各シーンを想像するだけでも二重に楽しめる小説だ。

主人公・アントワーヌは意を決してバカになったが、僕は何の努力もせずにバカになっていた。
思い起こせば、小学生になり義務教育とやらを受け始めてから、バカの坂を転がり落ちるようにバカになっていった。小学生になる前の方が僕は幾らか分別が有ったように思える。両親が僕を幼稚園に入園させようとしたとき、僕は幼稚園がどんなところかリサーチした。先ずは、その幼稚園に出かけ金網越しに園児の様子を見学した。大人は嘘をつくことが分かってるから、次にその幼稚園に通っている近所の同い年の子を尋ね、幼稚園で何をするのか教えてもらった。それで僕の出した結論は幼稚園に行かないことだった。両親の「幼稚園に行けば何でも買ってあげる。」という誘惑に挫けそうになったけれど、僕は自分の意志を通した。僕の人生の中でこの時期が一番聡明だった。

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November 23, 2003

Apple Store Ginza Tokyo2


来週の日曜日にオープン予定の Apple Store Ginza 足場と仮囲いが取り払われていた。

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November 22, 2003

Twilight Time

造形大からの帰路、みなみ野にて撮影、富士山のシルエットを写そうとしたが展望台が閉鎖され断念、富士山の代わりに高尾山では分かる人にしか分からないかな。

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November 21, 2003

PowerBook 2400c/180

一月ほど前から【PowerBook 2400c/180】の液晶のバックライトが変調をきたし、起動しても見た目はブラックアウトしたまま、死んだふりをしていた。照明の加減と目を凝らしてみれば、液晶モニタにそれとなくメニューバーが見え、パワースィッチを押すとシステム終了のダイアログが表示されているのが微かに解る程度である。死んではいないがコミュニケーションを拒否し、「どうせ、ワシなんか誰もかまってくれないんだ、いいんだ、いいんだ、いなくなればいいんだ。」と、拗ねている。そうは云っても液晶のケーブルを交換するだけでも最低25000円は掛かることは、春先にiBookを修理したことで目安が付く。尤も交換部品があればの話である。そんな、こんなで暫く、【PowerBook 2400c/180】を放っておいた。昨日になって、もう一度試してみようとスイッチを入れて、液晶パネルの周辺を「いい加減に目を覚ませ!」とパシパシ叩いてみた。すると、どうだろう深い眠りから目を覚ましたように液晶が明るくなって、HappyMacのアイコンが表示され起動を始めた。

このPowerBook 2400c/180には96MBメモリの増設、G3-320Mhzのアクセラレータの取り付け、キーボードもJIS(カナ)タイプからUSタイプに交換、それにハードディスクは二度も交換等々、それなりに金も掛かっているし思い入れのあるマシンである。拗ねたりしないように時々は使って機嫌をとらねばならない。

追記:このPowerBook 2400c/180は開発途中のマシンにもお目に掛かっている。もちろんAppleと機密保持契約を結んだ上のことである。製品が公式に発表されるまで他言は無用というものだ。開発はAppleと厚木のIBM事業所との日本市場に特化した合作、オリジナルパーツの占有率は自社のThinkPadよりも高いと云われている。筐体に関して云えば、カーボンファイバー製のヘビーデューティな仕様も検討されていたようだが、これは実現してない。尤も、カーボンファイバーは釜で焼き入れしなければならないわけだからマス・プロダクト製品の素材としては手間が掛かって不向きなのだろう。
自分にとってもPowerBook 2400c/180は初めてのノートブックで待ちに待って買ったものであった。

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November 20, 2003

財布の中身

財布がはち切れそうで重い。一万円札がびっしり詰まっていて重ければ「ドーダ!」とばかりに成り金風情で自慢できて良いのだが、財布の中身は矢鱈と増え続けるポイントカードにレシートの類いが殆どで現金はごく僅か。いつ頃からだろう、こんなにポイントカードが増え出したのは。70年代はその頃の僕の体形と同じで財布もスリムで、せいぜい銀行のキャッシュカードが入っているくらいのものだった。デパート系のクレジットカードやポイントカード、メンバーズカード、サービスカードの類いが俄に増え出したのは80年代に入ってからだろう。ポイントカードは顧客の囲い込み、つまり顧客をリピーターにさせるシステムである。
pointcard.jpg
財布の中身をざっと見ても、これだけのカードの類いがある。これでも、なるべくカードは作らないようにしているから少ないほうだろう。以前持っていたデパート系のクレジットカードも更新手続き行わず、カードを破棄処分して、クレジットカードはVISAだけにした。近ごろは大手スーパーでもポイント機能付クレジットカードを始め、その勧誘のしつこいことには些か閉口する。
大手スーパーのイトーヨーカドーでも今年の四月からポイントカードを廃止して、ポイント機能付クレジットカード一本に統一した。あまりにも露骨な顧客囲い込み作戦である。僕はこのイトーヨーカドー・クレジットカード申込書を仔細に読んでみて、こんなものには入らないでおこうと決めた。住所氏名までなら許せるが、なんで、小売業ごときに年収やら家族構成やらの個人情報を売り渡さなければいけないのか理解できない。そこまで彼らのマーケティングに協力する義務などありはしない。道路を倉庫代わりに使って多くのトラフィック障害を起こしているイトーヨーカドー系列のセブンイレブンでは会計時に客を性別年齢別に分類していると云う。小売業にとって僅かなポイントサービスで顧客の個人情報が手に入れば濡れ手に粟、商品によっては顧客の生理的周期も掌握することだって可能だ。これでは1984の世界じゃなかろうか。個人情報保護法が成立したから、そんなことはないだろうと信じるのは勝手だが、まったく薄気味悪い世の中になっている。
ところで、今年の四月からポイントカードを廃止したイトーヨーカドーであったが、余程、不評だったのか、それとも売り上げが落ちたのだろうか、再び六月頃からポイントカードを復活させることになった。消費者をなめてはいけない。

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November 19, 2003

賞恤金

賞恤金、この馴染みのない言葉、何と読むのか、その意味も解らない。おまけにワープロの辞書にもなく漢字変換もしてくれない。【賞恤金】と書いて【しょうじゅつきん】と読む。意味は【警察官・消防職員・海上保安官・自衛官などが公務中に殉職したり負傷した場合に,その功績をたたえて国から贈られる金。】とある。つまりは流した血に対する代価なのだろう。
今朝の東京新聞「こちら特報部」は【なお続くイラク米兵の死】と云う内容だ。
命の値段は米兵130万円対自衛隊員1億円である。自衛隊がイラク派遣でどのくらいの賞恤金予算を組んでいるのか気になるところである。ちなみに戦場に自衛隊員を送り出す小泉純一郎は見送りにも行かないことを決めているそうだ。

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November 18, 2003

C5060WZ+WCON-07C

と云うことで【C5060WZ】にワイドコンバージョンレンズ【WCON-07C】(35ミリフィルム換算で広角19ミリ)を取り付けることにした。
C5060WZwcon.jpg
【C5060WZ】のカタログによる本体重量は430gとなっているが、それにバッテリー等を加えると大体540gとなる。さらにワイドコンバージョンレンズとコンバージョンレンズアダプタを加えると850gになる。流石に1kgを超えることはないが、それなりに重量級である

屋外での試し撮り【C5060WZ+WCON-07C/Wide19mm】

私の仕事机(狭いので通称:Cockpit)MacとWindowsの二系統入力できる液晶モニタに交換し、二つあったCRTを片付け多少は作業スペースができた。
【C5060WZ+WCON-07C/Wide19mm】

【C5060WZ/Wide27mm】

尚、露出調整等はしていないプログラムシフトのままである。ワイドコンバージョンレンズは口径が大きく内蔵フラッシュではレンズの影が被写体に投影されてしまう。その為、フラッシュをオフモードにして自然光と室内照明だけで撮影、なるべく一点透視になるようなアングルがレンズの特性を見るに相応しいだろうと、写真を入れ替えた。19ミリワイドコンバージョンレンズの特性として中心が膨らむ紡錘形(或いはエンタシス)になるようである。
可動式の液晶ファインダーは二眼レフや大判一眼レフのように上から見て構図を決めることができ、また身体に密着してホールドできるので手振れしにくい。可動式液晶ファインダーは誠に具合が良い。
追記:その後C-5060-WZは故障しました。(2005.10.31)

Posted by S.Igarashi at 09:56 PM

November 17, 2003

記述法としてのCAD

記述法としてのCAD(VectorWorks10で始めるCAD:前書きより)

CADを一言で語り尽くすことはできない。もしも一言で語るとすれば「言葉によって対象の形状を写実する記述法」と言えるのではないだろうか。つまり、絵や図版を用いず、言葉だけでモノ(対象・object)のカタチを表現することである。そう説明すると「本文の内容と矛盾するのでは」と訝しく思われる人も少なくないであろう。確かにグラフィック・ユーザーインターフェースのコンピュータとObject-based CADでは表面的に言葉を用いて対象の形状を記述することはないが、しかしユーザーインターフェースのバックグランドでそれは行われているのである。

「全ての事象は言語によって明確に語らねばならない。」とは「始めに言葉ありき」に代表されるように「音声中心主義」の西洋文明のドグマでもある。その西洋文明の文脈の上に作られたCADという記述法に従い、つまり言語によって対象を物理的に再構築することは容易いことであるが、対象の意味やイメージを伝えることはそう容易いことではない。 言語が人の遺伝子情報に組み込まれていない限り、それは人に先天的に備わっているものではない。言葉は人によって発明された最小単位のメディアである。それ故にメディアが持つ虚構性を避けることができない。言語は集団の属性として位置付けられ、集団の一員として学習することを義務づけられる。また後天的であるが故に、言語はたえず流動的に他の集団の文化をも呑み込み変化し続ける。そして集団固有の文化的文脈も時代と共に新しい潮流を生み、伝統的な文脈も交えレイヤとして重なり合う。言葉が「世界を写しだす像」にしかすぎないとしたら、意味は文脈の中にしか見いだせないのである。 我々は全く新しい言葉をそのまま理解することはできない。新しい言葉は常に古い言葉に置き換えられ、過去の文脈の中にその意味を探る。1980年代に我々の前に姿を現したMacintoshに代表されるようなグラフィック・ユーザーインターフェースのコンピュータもまた然り、その画面上にはアナログの道具が見立てられ置かれている。デジタルデータを扱うプログラム言語でさえもユーザーインターフェースの部分はアナログなのである。新しい道具の使い方は過去の文脈の中にこそ存在している。 VectorWorksを理解するに必要なのは見立てられた道具が何に対応しているのか、過去の文脈から探ることにある。そして自分が描き現そうとしている対象を一度言葉でどう表現できるか考えてみることである。本書にはヒントはあっても、その答えは書かれていない、何故ならそれは貴方の目の後ろにあるからである。イメージすることから何かが始まるだろう。
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November 16, 2003

私のいる場所

八王子みなみ野の栃谷戸公園から高尾方面を遠望。

左側半分を占めるのが高尾山、右側の山が八王子城趾に続く山並み、その間に景信から陣馬へと続く尾根が見える。高尾山右側の山裾手前にある低い山が初沢城趾、その右手の金色のパコダの頂部が見える辺りが御衣公園、かって東一少年も遠足にきた場所。この写真で私の居る場所は、初沢城趾の左下の麓辺りになる。こうして見ると、本当に山の中にしか見えないけれど、いちおう上下水道は完備しているのだ。

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November 15, 2003

CAMEDIA C-5060Wide-Zoom

オリンパスのCAMEDIA C-5060Wide-Zoomを買った。決め手は27ミリ広角レンズだ。本命対抗としてパナソニックのLUMIX FZ10も最終候補に残っていた。LUMIX FZ10は光学12倍ズーム、手振れ補正、ライカのレンズと魅力的なのだが、オプションで定価33,000円のワイドコンバージョンレンズを付けても28ミリ広角レンズにしかならないのが残念。
C5060WZ.jpg

C-5060Wide-Zoomはワイドコンバージョンレンズを付けると19ミリ広角レンズまで視野角が広がる。それも魅力的だった。ボディはマグネシウム合金製でしっかりして、ホールド感も良い。これで手振れ補正があれば云うことない。液晶モニタが可動式となっていて、ローアングルやセルフポートレートにも対応、格納時は液晶面を保護するように裏返せるのも良い。
画素数は5.1メガピクセル、ディフォルトの画質モードはHQ、サイズは2592×1944、JEPG高圧縮で約1.3MB のデータ容量となる。32MBのxDピクチャーカードでは25枚撮影可能。同サイズを非圧縮のTIFFで撮影すると約15MBとなり、32MBのxDピクチャーカードでは2枚しか撮影できない。非圧縮でもRAWデータなら約半分の約7.7MBとなるがPhotoshopで読み込むにはプラグインが必要となる。
128MBのxDピクチャーカードでも8480円、256MBで16800円、こうなるとメディアリーダーを取り付けられる新しいiPodが欲しくなるが、このBelkin Media Reader for iPodはxDピクチャーカードには対応していない。しかし、C-5060WZはもう一つコンパクトフラッシュ・カードも使える仕様となっているので心配はない。
サンプルは画像サイズ1280×960の非圧縮TIFFで撮影し、PhotoshopでJEPG高解像モードに変換したもの。

広角27ミリによる撮影(クリックすると拡大)

補正前の画像(クリックすると拡大)

補正後の画像(クリックすると拡大)
広角撮影で画質がよければPhotoshop上で遠近法による変形でアオリ補正しても問題ないことが確認できた。貯まったポイントを利用してワイドコンバージョンレンズを試したいと思う。

追記:その後C-5060-WZは故障しました。(2005.10.31)

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November 14, 2003

文字化けする人

10年程前のこと留守中にAppleJapanのマーケティング部の課長から電話があった。そのメモには「AppleJapanのYK氏より電話、文字化け多し」と書いてあった。後日、千駄ケ谷にあったAppleJapanを訪れ、課長に面会し用件を伺ったのだが、帰国子女ならぬ帰国成人と云うことらしく、本当に文字化けの多い人であった。その件以後、僕たちの周りでは矢鱈と話に外来・カタカナ語が多い人を「文字化けする人」と呼ぶようになった。
昨日付けで国立国語研究所による第2回「外来語」言い換え提案が発表された。
矢鱈と意味なく文字化けする人も困るけれど、こんなことに偉そうに御上が介入する問題でもないでしょう。言葉は文脈の中で意味付け定義されるものなのに、カタカナ語だからといって何でもかんでも言い換えすれば良いものでもない。どっちにしろ文章を書く人のスタンスとインテリジェンスの問題で、そんなこと放っておけばよい。(いけねぇ〜文字化けだ。)
その言い換えする言葉ですら、明治以降に外来語を翻訳し漢文表記したものが多いわけだし、漢文そのものが外来語な訳で、日本語から純粋な大和言葉だけ残したら、一体何が残るというのか。
年齢にかかわらず、そうしたカタカナ語を調べたり使ってみれば良いのだ。そうすれば「使える言葉」と「使えない言葉」、日本語との違いがはっきりするだろう。その方が人生面白くないだろうか。

本題と逸れるが「いいかえていあん」と入力して漢字変換すると真っ先に「言い換えて慰安」と変換され「言い換え提案」とは漢字変換されなかった。ん〜、言い換えない前の慰安は何だろう、はっきり言うと売春でしょうね。援助交際しかり、戦前から言い換えすることで物事の本質を曖昧にする風潮があるんだよな。

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November 13, 2003

Blogger 61日

Blogを始めて二ヶ月が経った。サーバーに置いたWebalizerによるアクセス解析によれば、この二ヶ月のアクセス数は5328となっている。これだけのアクセス数は普通にインターネット・サイトを開設しても得られない数値だ。ましてや何も宣伝している訳でもポータルサイトにも登録していない、Blog恐るべしかな。
access03.jpg
と、云う訳でこの表は24時間のアクセス分布を示したものだが、一日の最初のピークが午前十時、次が午後三時、そして午後9時となる。それから深夜12時頃にもピークが見られる。ちょっと一段落したところでインターネットにアクセスしているのが良く解る。

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November 12, 2003

Serendipity

Serendipity(セレンディピティ):研究社の「新英和中辞典」によれば「思わぬものを偶然に発見する才能(能力)」と云う意味で、原典は【The Three Princes of Serendip というおとぎ話から; この主人公が捜してもいない珍宝を偶然に発見することから】に由来しているらしい。(Serendipは辞書になく意味不明、Google検索によると昔のセイロンー今のスリランカーの国名でした。)
と云うことでこの言葉もGoogle検索でヒットした下記のサイトにあったもので、正にセレンディピティ。
小学生の頃、八王子市立富士森図書館(現存せず)に行った時のこと、自由に書架にアクセスできない閉架式書架とお役所的レファレンス・システムに、子供の知的好奇心が見事に打ち砕かれ、もう二度と来たくないと思った。図書館に限らず、僕らが本屋やレコード店に行くのは必ずしも目的の本やCDを買うと云う訳でもなく、いつもどこかでセレンディピティな出会いを期待しているものだ。
追記:5年前にはWikipediaにはセレンディピティはありませんでしたが...(2008.12.6)

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November 11, 2003

建築家の責任

月刊「東京人」2003年4月号に建築家・槙文彦氏と評論家・松葉一清氏との対談「建築家の責任」に於て松葉一清氏による上野駅構内、いわゆる公共空間を商業施設が侵食し商業化していると云う問題提起に対して、槙文彦氏がこう答えていた。

「、、最近、強烈に消費層がが都市を変えている。これは日本に限らず、アメリカ、ヨーロッパでもそうですが、かってある種の公共性をもって存在を主張していたものが、今や消費文化に侵食されている。公共施設の本質というのは、その空間がどこまでいっても消費されない強さを持っていることなんです。駅であり、タウンホールであり宗教空間、そういうものが、次第に消費空間に置き換えられていくことに対して、大変な疑問があります。、、、」

正にその通りだと思う、建築から公共性や社会性と共にヴィジョンも失われ、それに代わって、マーケティングが建築を支配するようになった。昨今、一般誌においては建築ブームのようであるが、専門誌の休刊・廃刊も目に付き、ちょっとした規模の書店においてすら建築雑誌を扱わなくなっている。その反面、消費される対象としての視点で建築がメディアの脚光を浴びている。CASA BRUTUS NO.44誌上で建築家・大江匡氏は「モダンを支配するのはマーケティング力です。」と述べている。
だが、マーケティングの負の文脈には独占と排除の思想が隠蔽され、消費者への情報操作が意図されていることをも、私たちは認識しなければいけないだろう。グローバルリズムの陰でマーケティングが支配する新自由主義スタイルの建築を未来の人間はどう評価するのだろうか。

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November 09, 2003

警察の常識・非常識?

東京新聞11月9日朝刊・特報「働く警察官は損!?」を読んで、昔あった事を思い出した。
20年程前、表参道で財布を拾った。場所は今のルイ・ヴィトンあたり、財布はワインレッドのカルチェ、一万円札が入っているのが見えた。面倒なもの拾ってしまったと、財布を手に持ったまま、歩道橋を渡り、表参道の交番に届けた。交番に警察官の姿は見えなかったが、奥から夕食の店屋物を何にするか相談する声が聞こえてきた。「すみませぇ〜ん!」と声を掛けると、奥から若い警察官が面倒臭そうに出てきた。警察官に向かって財布を差し出し「いま、向こうで財布を拾いました。」と届けた。
すると、その警察官は僕に向かって「放棄しますか」と言った。「えっ?」と聞き返すと、再び 「財布の拾得者の権利を放棄しますか」と尋ねてきた。僕はムッとして「放棄しません。」と答えた。
警察官は不承不承に書類を取り出し、拾得者(僕のことね)の立ち会いの元、財布とその中身を確認し、書類を作りだした。財布の中身は一万円札が二枚と、小銭が少々、持ち主を特定するものは何も入っていなかった。警察官から書類を受け取り原宿駅までの道のり、もしも僕が財布の権利を放棄したら、彼ら警察官はそれをどうするのだろう、それを想像すると暗澹たる思いにさせられた。

後記:結局、落とし主は現れず、その半年後、飯田橋の遺失物保管所に出向き、拾得者の権利を行使して財布を受け取ったことは言うまでもありません。この財布を拾う半年から一年前くらいに、僕も二万円程入った財布を落としたことがありまして。それも、交番に届けたけれど、、、出てこなかった。だから、拾ったこの二万円は、無くしたものが戻ってきた。そんな感じでしたね。で、その使い道はと云えば、仕事仲間に昼飯を表参道は佐阿徳の鰻重を奢らされた。「そーゆーお金は独り占めすると罰が当たるからね。」と脅され、不承不承に、、。

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November 08, 2003

米軍立川基地跡地

高校の同級生・伊能くんは新入生の自己紹介で「僕は立川基地の外に住んでいるので、キチガイ(基地外)です。」と、15歳にして自虐的オヤジギャグをかましてた。

僕の住んでいる八王子でもベトナム戦争が終わったとき、それを体感した。横田基地を飛び立ったファントムが音速の壁を超えるのが八王子上空辺り、その衝撃波や、帰還兵や負傷兵それに遺体を積んで立川基地に向かう輸送機カーゴマスターの編隊飛行がピタリと止んだ。世界で何かが変わったことを知った。
戦争を止めさせるには勇気と理性が必要、明日はNO!と意思表示したい。

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November 07, 2003

窓からBlogを見る

MacOSX10.3とSafariを使っているのでWindowsからこのBlogの見え方を気にしたことがなかった。MovableTypeもWindows優先で開発されているのだろうから、MacOSで正しくレイアウトされていれば、Windowsでは問題ないと思い込んでいた。それが、昨日になってAKiさんからMacで作ったBlogはテキストがフレームの横幅に合わせて自動改行されずに、横にだら〜っとだらしなく広がって正しくレイアウトされていないとの指摘を受けた。そんな訳でデータの検証とスクリーンを撮るくらいにしか使ってないWindowsPCをPowerMacG4(MacOSX+AirMac)のインターネット共有に繋いでからMyBlogにアクセスしてレイアウトを検証しながら直しました。


左がMacOSX10.3+Safari、右がWindowsXP+IEの画面。クリックで拡大。
Windowsから当Blogにアクセスして下さっていた方々、今まで見苦しくてご迷惑お掛けしました。

MovableTypeのStylesheetを変更、bodyと#contentにピクセル単位で幅指定、いちおう横幅832ピクセルのモニタを想定して、[body]に[width:800px;]を追加、[#links]のディフォルト値が[width:200px;]なので、適当にマージン分等も差し引いて[#content]に[width:560px;]を追加しました。

body {
margin:0px 0px 20px 0px;
background:#EEEEEE;
width:800px;
}

#content {
position:absolute;
background:#FFF;
margin-right:20px;
margin-left:225px;
margin-bottom:20px;
border:1px solid #FFF;
width:560px; }
これで一応、WindowsXPでもレイアウトが崩れないで見られるようになりました。何かもっと良い方法がありましたらご教授下さい。しかし、こんな基本的な事をBlog入門書で触れてないとは、親切じゃないよね。近々出版されるらしい入門書には書いてあるのかな。
Posted by S.Igarashi at 11:43 PM | コメント (0) | トラックバック

November 06, 2003

CADは必要?

VectorWorksで始めるCAD(1999年9月発行)の前書き。

杉の海によみがえる楼閣
1998年11月にNHKで放映された中国貴州省黎平県トンチン村の楼閣再建を取材したテレビ番組「杉の海によみがえる楼閣」は設計とはなにか、しいてはCADの存在意義を考える意味でも大変興味深い内容だった。
250年ぶりに再建される鼓楼と呼ばれる楼閣建築の為に用意された図面は一つもない。建築を一任された村の大工棟梁ウー・ファイジンの脳内では鼓楼は既に完成している。しかしその姿を知るのはウー・ファイジン一人だけである。彼の脳内にある鼓楼を現実世界に再構築するのに使う道具はメイバンと呼ばれる五本の竹の尺杖だけで、それが全ての寸法押さえの原器となり、棟梁の墨付けに従って村の衆一同で刻みと建て方を行い鼓楼を完成させる。鼓楼が竣工した時点で村の衆はようやくウー・ファイジンの脳内にあった鼓楼を知るのである。それでも村の衆がウー・ファイジンに仕事を任せることが出来るのは彼が所属する社会の文化的コンテクストを決して逸脱しないことを知ってるからであり、村人達が共通のコンテクストで結ばれているからである。
一人の人間の脳内に建築が揺るぎない姿で設計されていて、自ら施工まで行えば設計図など必要ないのである。従って当然CADも必要ない。
我々の設計行為は脳による世界のシミュレーションの結果を図面として再構築するものである。CADはその名の通り、その設計行為をコンピュータにより支援するものである。つまりは脳内にシミュレーションモデルがなければCADも機能しない。
CADの操作を習得する前に自分が見ている世界を観察し分析し再構築する能力、建築設計を志すならば建築への理解が最も重要である。でなければ、コンピュータに振り回されCADに使われることに成りかねない。

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November 05, 2003

マニフェスト

近ごろ巷ではマニフェストが流行っているようだ。マニフェストと聞いて思い浮かべるのものに「未来派宣言」("Manifeste fu Futurisme"1909/2/20 フィガロ紙、F.T.マリネッティ)がある、知識として「未来派宣言」を知っていても、「未来派宣言」全文を読んだことのある人は少ないと思われる。たぶんYK氏もその内の一人ではないだろうか、そうでなければNHKで自分が司会をした番組に「未来派宣言」等と名付けたりするのを許しはしないだろう。もしも、全文を読んでいて「未来派宣言」と命名したのならば、相当面の皮が厚いか、或いは慎太郎と同様に男根中心主義者ではなかろうか。語感だけでは「未来派宣言」から進歩、前衛、革新といったキーワードをイメージするかも知れないが、その内容は暴力を賛美するとんでもないものである。

建築を学んだものにとって「未来派 = 建築家アントニオ・サンテリア」をイメージするが未来派建築はドローイング・スケッチが残されているだけで実物(写真)を見ることは叶わない。スケッチを見る限りにおいて、それらはヒューマンスケールを超えた土木的スケールを持ち、威圧的であり、発電所やダム、軍艦を彷彿させ、至る所に屹立する塔や砲台がデザインされているのは男根(ファルス)を表象するものであろう。
「未来派宣言」が詩人F.T.マリネッティになされたこともあってか、「未来派宣言」に関する研究は文学系に於て行われているようであり、理工系建築史では歴史的史実としてのみ認識されている程度なのだろう。
「未来派宣言」は差別意識と暴力の肯定を前提とし、機械文明、戦争、軍国主義を讚え、それらを世界の唯一の衛生装置と見做し、女性蔑視を主張している。マリネッティは「機関銃の弾道を走るように見える自動車はサモトラケのニケよりも美しい。」と、その思想を表現している。
だが、「未来派」に未来はなく、イタリアに於ては後にムッソリーニ率いるファシストに収斂され、彼らが讚えた戦争にも敗れることになり、戦争と云う衛生装置によって「未来派」や「ファシスト」が駆除されるとは皮肉な結末ではないだろうか。
「未来派宣言」の男根中心主義とホモセクシュアルとの因果関係を研究した文献があるかどうか判らないが、マッチョ嗜好な「未来派」を見るにつけ、強ちそれを否定できない気もするのだが。

Googleにより検索された未来派宣言を紹介してあるサイト。
 未来派宣言(森鴎外・訳)あんとに庵
 未来派宣言(京都精華大学・高橋伸一氏による)
 京都精華大学 人文学部講義「比較文学概論 II」20世紀的暴力と破壊の芸術の誕生 イタリア未来派宣言(1909)

Posted by S.Igarashi at 12:39 AM | コメント (1) | トラックバック

November 04, 2003

音楽のゲニウスロキ・建築のゲニウスロキ

このテキストはMAD Pressに「神奈川県立音楽堂1994年5月17日」を掲載した、次の号に書いたものです。

音楽のゲニウスロキ・建築のゲニウスロキ 1994/10/31
 もう、大分前の事になるが、高橋悠治氏が芸能山城組を批判していたことがあった。芸能山城組は山城祥二氏を組長とする、素人を組員として団体生活を通して音楽芸能活動をする団体で一時期、新宿の三井ビルの広場でケチャを演奏(?)していた。高橋悠治氏の論旨は二つ有り一つは「土地と宗教に根付いたケチャを外国に持ち運ぶことはできない。」というもの、また「ケチャをバリから持ち去った後、彼らはバリに対して何を為しうることができるのか、何もせずにいるならば、植民地主義における搾取行為と何ら変わるものがない。」という二点を問題視していた。それは山城祥二氏に対する批判であると同時に、自分自身或いは日本人への問い掛けの意味もあったであろう。

 1960年代は西洋音楽の延長線にある現代音楽も行き詰まりを見せていた時期で、それらの解決の手掛かりを、インドネシアやインドの亜細亜やアフリカに求めていた。ミニマル・ミュージックの教祖となったテリー・ライリーのインドやペルシャ、同じくスティーブ・ライヒのインドネシアやアフリカにモチーフを求めた音楽も、結局のところ西洋のテキストで記述された流通される音楽であった。流通されると言う事は則ち経済活動を意味することでもある。音楽の流通はバロック以降、平均率コードの発明によって、記述可能な音楽としてデジタル化の道を歩むことになる。コンピュータの芸術への応用という意味で西洋音楽がいち早く、それに対応できたのも既に半ばデジタル化していたからであって、デジタルへの収斂も口伝からテキスト記述へと音楽の流通が変化した時点で予測可能なことであった。

 イタリア人アルダスによる出版技術の改良はルネッサンス・マニエリズムの建築家パッラーディオの建築四書を世界中に広めることになり、その影響はイギリスのパラディアニズムや合衆国大統領トマス・ジェファーソンによるモンテチェロ、そして遠く日本では大阪中ノ島の図書館にまで及ぼすことになった。国際様式が言われる以前から、建築の流通は行われていた。ゴシックの呪縛から解き放たれたルネッサンス建築のロジックは500年を経てデジタルへと収斂されることになる。
 ヴィッラのポーチを神殿風のオーダーとペディメントで装飾し、都市建築を舞台装置に変換し書き割りとするパッラーディオは建築をメディアに変換した情報の建築家であった。パッラーディオを諧謔的な建築家と看破したのは磯崎新氏に背中を押されてパッラーディオを研究することになった福田晴虔氏であった。情報の誇張、操作、編集は笑いの基本である。チャップリンの胡散臭さは情報操作と言う意味でヒットラーと同じレベルの人間だからである。情報化時代と言われる今日、好感度タレントのチャートにランクされるのが、お笑い芸人というのも宣なるかな。
 建築の情報化、流通化は土地、場所性との乖離を意味する。差し詰めロトンダの幾何学形態への還元はその最たるものである。
 ネグロポンテのソフト・アーキテクチャーマシンに至っては、もはや過去のビルディングエレメントからなる建築の概念では捉えることはできない。究極の情報化は人間の意識の流れとコンピュータとの交流である。しかし、これは意識の肉体からの乖離をも意味する。
 情報化、流通化された建築や土地はゲニウスロキの存在を否定する。場所性と乖離し幽体離脱した建築の保存運動ほどナンセンスなものはない。
 どうも、情報化時代を生き残るには「お笑い建築芸人」になることなのかも知れない。そう言えばすでにそれらしき人がいるじゃないですか。
 神奈川県立音楽堂について使った偶然性という言葉に対して古山氏や川端氏が反応していた。音楽家達が言った「神奈川県立音楽堂の音響効果は偶然の賜物」という言葉のコンテクストについてもう少し考えてみたい。
 記述される音楽、つまりはデジタル化され、ロジカルに構築された音楽とそれを演奏する側の肉体的精神的な要素や、それを演奏する空間や、さらに聴衆の質が音楽に与える影響には計り知れないものがある。レコーディングに於ては良いところだけ繋ぎ合わせて一つの曲にする事など、いまや常識である。それでも演奏会に足を運ぶ聴衆は「偶然の賜物」を期待しているのか。
 ユリイカの1976年1月号の寺山修司と武満徹の対談で寺山修司がJAZZを「日付のある表現」と言っていた。JAZZは記述されることを拒否することでその生命力を勝ちえた。それは西洋音楽が記述されること(デジタル化)で失われたものでもあった。そしてJAZZの衰退は西洋音楽と同じ記述化の道を辿ることで始まった。
 西洋音楽の究極の演奏家はデジタル楽器でありコンピュータである。つまり音楽演奏家の目標は肉体をデジタル化することであり、どれだけコンピュータに近づくことなのである。そういう音楽演奏家に替わってシンセサイザーやコンピュータが音楽を演奏するようになるのは自然の成り行きでもある。しかし、悲しいことに西洋音楽演奏家の多くは、精神を叙情的世界に置いて、肉体と論理はデジタルにあろうとする自己の矛盾に気付いていない。
 西洋文明のΩ点というのは記述化されないものを否定する言葉だけで構築された世界の終点ではなかろうか。究極のデジタル化というのも、どうもそういう方向に向かっている気がする。(iGa) 

Posted by S.Igarashi at 10:32 AM | コメント (0) | トラックバック

November 03, 2003

神奈川県立音楽堂1994年5月17日

神奈川県立音楽堂は保存運動の成果もあったのか、或いはバブルの破綻なのか取り壊されずに済んでいるようだ。これは1994年5月17日の保存運動を求めるコンサートをネタにMAD Pressに書いたもの、過激な内容もあるけれど、そのまま載せることにする。10年前とは考え方も違っているところもあるが、当時はこのテキストのように考えていた訳で、それを否定するつもりもない。

神奈川県立音楽堂1994年5月17日
 このホールに来たのは何年ぶりだろうか、かれこれ15年位は経っていると思う。やはりどうしても東京の人間には馴染みが薄い、余程のことが無い限り桜木町まで足を延ばすこともない。もっとも神川県民の為に造られた施設であるから県外の者があれこれ言う理由も資格もない。15年前にこのホールに来たのはストラスブール・パーカッションアンサンブルが演奏するヤニス・クセナキスを聞くためだった。

 クセナキスに興味を持ったのは彼が音楽家に成る前にコルビジュエのところで修業していた建築家であったことや、イギリス軍に死刑宣告されたギリシャのパルチザンだったことよりも、実際に彼の音楽に触れたことが大きい。高橋アキの「季節外れのヴァレンタイン」というケージのアルバム・タイトル曲の他にクセナキス、武満、ドビュシー、サティのピアノ曲が収められたLPは当時の僕の愛聴盤の一つだった。それまでクセナキスは上野の東京文化会館の小ホールで高橋アキによるピアノ曲を聞いたことがあるが、アンサンブルによる楽曲を生で聴くのは神奈川県立音楽堂での演奏会が初めてだった。僕の記憶によればストラスブール・パーカッションアンサンブルの演奏はステージと客席通路に奏者を配し、正にホール全体を楽器に変え、楽曲の響きの中心に聴衆がいるというものだった。音を星雲に変えホールを音楽のプラネタリウムにした演奏会だった。

 それから15年経った今、神奈川県立音楽堂は県による大規模開発によって取り壊されるという。建築家、市民、音楽家が夫々の立場で神奈川県立音楽堂の保存を訴えている、しかしその論旨には微妙に擦れと軋みが見られるようだ。尤も、そうした差異を包括した保存運動でない限りゴールに辿り着くことは困難だろう。

 この日の収穫は音楽家達の神奈川県立音楽堂に寄せる思いを聞けたこと、それと現代邦楽の演奏にこのホールがとても良く響き心地好かったことを発見したことだ。
 音楽家達の論旨は明解だ、神奈川県立音楽堂は音楽専門のホールとして我が国に於いて最も優れた音響効果を持つホールのひとつである。そして、そうした音響効果の優れたホールは現代の技術をもってしても再現することが困難なことを上げ、更に楽器造りに準えて神奈川県立音楽堂の優れた音響効果は全くの偶然の賜物であり論理的に造られた結果によるものではないことを再三にわたり強調していた。
 こうした意見を聞いていると心の中に砂漠が拡がり荒涼とした風景を見るようであり、何か此の国の文化的背景の貧しさを見るようでもある。他の分野の人達の仕事を尊敬できなくては、自分達が尊敬されることもない。これでは建築家前川国男と彼のスタッフもこの神奈川県立音楽堂の建設に携わった多くの技術者、職人達の仕事も音楽家には全く評価されていないことになる。彼ら音楽家が神奈川県立音楽堂の取り壊しに反対する理由はその建築的評価にあるのではなく、取り壊された後に造られるであろう音楽ホールが再び同じ音響効果を齎らすと考えられないというのが第一の理由である。(そして第二の理由として当然値上げされるであろうホール使用料が考えられる。)
 果たして偶然だけで音響効果の優れた音楽ホールを造る事が可能であろうか、それは素人がストラテバリウスに匹敵するヴァイオリンを造れないように、名匠といわれる釖鍛冶でも失敗するように、卓越した90%の技術力と残りの10%の記述不可能な体験値や或いは感性が必要とされているのではないか、同じことは音楽演奏家にも言えるはずである。

 5月22日の朝のテレビでピアニストの中村紘子が「努力も才能のうち」と言っていた。著名な音楽家ほど練習を怠らない、それが出来ないのは結局のところそこまでの才能しかないという意味であろう、耳の痛い話だ。
 いま、全国で演奏会の行われるホールが1500あり、今年中に30のホールが新たにできるそうである。外国から招致した演奏家の平均的な入場者率が約60%あるが、人口20万規模の地方都市で音楽愛好家の数は1000人位の単位で多くても2000人までと言われている。年々高くなる入場料に加え、聴衆によるブランド志向の結果、ベルリンやウィーンと名の付く俄仕立の外タレ集団が音楽市場に氾濫することになる。ただでさえ、その少ないパイを演奏家は分け合わなければならない、2000人規模の地方都市のホールを満員にするのは至難の技である。若い優秀な才能も海外の音楽コンクールで入賞しただけでは国内でデビューすることは難しく、音楽的才能に付け加えて美貌が伴わなければレコード会社も契約しようとしない。

 高橋悠治が以前、大衆消費音楽という言葉を使っていたが、消費音楽という意味ではクラシックとポピュラーの間の垣根は既に取り払われた。音楽も建築も消費されるものとしての価値しか此の国では与えられていない。四所帯に一台という世界一のピアノの普及率は毎年スクラップにされるピアノの数でも世界一であることがそれを証明するようだ。

 ラックスと聞いてもそれがオーディオ・メーカーと知る人は極く僅かな数にしかすぎないだろう。そのラックスが韓国の三星電機に買収されたという記事がセンセーショナルな扱われかたで新聞やテレビで報じられていた。僕の持っている二台のアンプは両方ともラックス製である、20年以上前のLUXMAN 507Xは一度だけ修理に出したけれど、まだ現役で仕事場のBGMに活躍している。ローズウッドの突き板による外箱とアルミの無垢の削りだしのつまみで構成されたシンプルなデザインは古さを感じないモダンデザインである。もう一つのアンプはアルプス電機が資本参加していたときに作られた真空管とソリッドステートとのハイブリット・アンプだ、これも既に10年は経っている。ラックスは国内メーカーで唯一の組立キットを販売していたオーディオ・メーカーとしてマニアには知られた存在だった。ラックスの真空管アンプを自分で作ることはラヂヲ少年達の夢だった。
 CDを聞いて育った世代はCDの音がミュージックであり、PAを通さない生の楽器の音はもうミュージックではなくなっている。今やクラシックもポップスも演奏会の音を如何にCDの音に近付けるかが問題とされている。「自然が人工を模倣する。」そういう時代になるのかもしれない。
 ナチュラルな音の再生を志向したラックスの経営が苦しくなるのも時代の成り行きなのだろうか。

 神奈川県立音楽堂建て替え問題の背景には様々な文脈がある、音楽にしても建築にしても明治政府以降の近代化政策は西洋を規範とし、それらをモデルとした文化政策が行われ、日本の伝統文化芸能は天皇制を堅持するもの以外は、一段も、或いはそれ以上格下のものとみなされていた。

 自治体の御為ごかしな保存行政も既に評価の定まった明治、大正期の建築にしか助成金が出ない仕組みである。
 以前、JIAの建築MAP作りの為に、助成金を御願いに都庁を訪れコミュニティ文化部振興計画室 文化担当課長という肩書きの人物に会ったことがあったが、「昭和の初期の建築だったら、何とかできるが、戦後の建物を対象にするんだったら、話にならない。」と暖簾に腕押しと言うべきか、取り付く島もなく断られた。その後、私達の手によって纒められた「JIA建築MAPの企画書」は、支部の幹事会、支部長を経て本部の幹事会で当時のJIAの会長であったN設計のH.S.の手によって、握りつぶされてしまった。後で聞いた話であるが、「こーゆーことは新建築のテリトリーを害するもので、JIAがすることではない。」とH.S.が言ったそうである。

 そんなこともすっかり忘れていたが、この間届いたTOTO通信を見て、はっ!とした。「建築MAP東京」がTOTO出版から発売されるとの折り込み広告が挾まれていた。TOTOは「JIA建築MAP」企画する際に協賛企業として協力要請していた会社で、企画会議にも再三に亘って出席してもらい、当然、企画書や私の作ったダミーにも目を通していた。編集がギャラリー・間となっているところをみると、「JIA建築MAP」の企画に参加していた、フリー・エディターのあの人物もからんでいるんだろうな。でも、彼はH.S.に散々、嫌味を言われたようだし、JIAの馬鹿共に振り回されたから、江戸の敵を長崎でという気持ちもあるだろうな。しかし、このレイアウトは気になるよな。イラストマップを見ると、結局Macを使って、イラストレータで作成したようね。あの頃は俺が何か言っても、誰も理解できなかったけど、Macも「あたりまぇー」になったのね。
 まあ、JIAの会長からにして、あの程度の認識しかないわけだから、神奈川県立音楽堂が風前の灯火なのも「あたりまぇー」なのだ。

 JIAの会長といえば、H.S.の後任のK.A.は、JIAの横浜大会にスタッフとして駆り出された俺達が、その大会が終了してタクシーの順番待ちをして、やっとタクシーに乗ったところ、ドヤドヤと傍若無人に取り巻きの腰巾着と共に俺達のタクシーに乗り込んできた。その腰巾着氏「どうせ、君たち桜木町まで行くんだろう。桜木町まで乗せていってあげるからいいだろう。」まったく、恥を知らない大人である。不承不承、会長達を同乗させた俺達のタクシーは工事中のランドマーク・タワーの脇を通り桜木町へ向かった。タクシーの中でK.A.が大観覧車を見上げ、「こーゆーものが、この場所に相応しいのかねぇー。」と呟いた。俺はランドマーク・タワーを指差して「でも、これよりは、ずうっと益しですよ。第一、見てて楽しい気分にさせてくれる。」と言った。

 オーソン・ウェルズ、ジョセフ・コットン、アリダ・ヴァリ出演の「第三の男」は第二次世界大戦後のウィーンが舞台である。ウィーンの街はまだ戦争の爪痕を残し、工事用の石材が街角に積み上げられている。そんな状況の中での大観覧車のシーンは印象的である。他の公共施設の復興に先掛けて、子供や恋人達の為に大観覧車はいち早く修復された。
 幼年期は一度だけ、夢見る季節を過ぎて見る夢は悪夢である。貧しい時代でも、子供達は夢を必要としている。

 野毛の丘の上から見るランドマーク・タワーを表現する言葉を私は知らないし、それから何も連想しない。でも、その隣の大観覧車を見ていると、色々な事を連想する。それが、第三の男であったり、子供の頃に行った後楽園遊園地の記憶だったり、まぁーるい形から色々なものを連想したりする。

 結局、現代建築は大観覧車以上のものを創ったのだろうか、そんな疑問が起きる。
 現代建築の保存問題が不毛な理由はこういうことではないだろうか。音楽家たちは神奈川県立音楽堂の音響効果を保存したいのであって、建築の保存は音響装置の入れ物であって二の次である。人々に建築から受ける感興が無い限りむりである。専門馬鹿が何百人いようがいまいが、鼻糞程度の存在である。
 現代建築の保存問題は環境保存を味方に付ける以外、他に打つ手はなさそうである。
 才能のない建築家ほど建築の周囲を緑で覆い誤魔化すとは、H.S.が良く言う手垢に塗れた言葉である。しかし、都市の背後に森林を控え、その成り立ちから異なる西欧の都市と比較するのはナンセンスでもある。シエナ・グラフィカ、書き割りとしての都市は西欧でのみ有効な言語なのだ。
 ショーグンの箱庭都市だった江戸東京から建築が人々の共通の理念となり得たことは一度もない、社寺仏閣の人工的箱庭ネットワークが人々の精神的慰めだった。(iGa)


その後、僕はJIA(新日本建築家協会)関東支部・事業委員会で出版事業の提言をKさん達と纏めた後、フェードアウトし、JIAから退いた。気持ちは阪神を辞めたときの江本と似たようなものかな。

Posted by S.Igarashi at 10:18 AM | コメント (0) | トラックバック

November 02, 2003

「ドーダ!」と「ヘェー!」

赤瀬川原平と東海林さだおの対談集「ボケかた上手」の第7話に、ゲストに黒金ヒロシを迎えた【人は「ドーダ」で生きている】と云う鼎談がある。

写真は「ボケかた上手」の表紙カバー(書籍本体の表紙は東海林さだおによる厄介棒?の漫画となってます。)
新潮社 定価:本体1300円 ISBN4-10-452302-X

東海林さだおの提唱するドーダ学とは人々が自慢するときの態度を分類・考察する学問?らしい。すると、男の場合は「ドーダ」で構わないが、女の場合は「ドーヨ」になるのか。オヤジは蘊蓄で「ドーダ」、勝ち組で「ドーダ」、オバハンはブランドで「ドーヨ」、セレブで「ドーヨ」、小僧はラップで「ドーダ」、タトゥで「ドーダ」、小娘はミニスカで「ドーヨ」、中田は雪駄で「ドーダ」、キラーパスで「ドーダ」、と実に小煩い。東海林さだお曰く「人間の会話の八割がドーダなんです。」と、男も女も「ドーダ」と「グチ」と「ウワサ」がなければ口数も減って世の中静かに平穏になるんだろうが、そうはならないのが此の世の常、インターネット・サイトには「ドーダ系」が溢れている。八割どころか九割九分が「ドーダ系」と云っても差し支えないかも知れない。従って、このBLOGも「ドーダ系」になるだろう。その主宰者である私のこうした発言は天に向かって唾を吐くようなもので「ドーダ」の誹りを免れない。
ビデオリサーチによれば深夜からゴールデンアワーに進出したフジテレビ系「トリビア(trivia)の泉」が20%以上の視聴率でその他の娯楽番組の一位だそうだ。視聴者からの投稿による無駄知識(番組ではこれをトリビアと定義)に対して五人のメンバーが点数(単位:ヘェー)を与え、ヘェーの感心度の高い無駄知識が高得点となる仕組みだが、まぁ、消費生活等経済活動の枠組みに囲い込まれていない知識はすべて役に立たない無駄でつまらないものである、という前提と云うか思い上がり(ドーダ)によって成り立っている番組である。

近ごろ流行の建築系というか住宅系番組は100%「ドーダ」である。司会進行役のタレントも「へぇー」と感心してるだけでなく半可通の知識をひけらかし「ドーダ」とくる。「ビフォーアフター」に至ってはヴァラエティ班のタレントを並べ「ヘェー」を連発するために仕込んでる。
空間の魔術師で「ドーダ」、すかさず所が「ヘェー」、その他大勢が「ヘェー」「ヘェー」。プロデューサーとスポンサーの思惑通りで「ドーダ」、躍らされている匠も「ヘェー」。

このエントリーはaki's STOCKTAKINGのBefore Afterに寄せたコメントを加筆編集したものです。

Posted by S.Igarashi at 03:17 PM

November 01, 2003

伝達不能

1993年のMAD Press 10に書いた原稿。
Context .jpg

図はE.T.ホールの「文化を超えて Beyond Culture」に出ていたものを元にしたが、知覚を伝達に置き換えてProtocol(通信規約・外交儀礼)の概念を加えてみた。情報+コンテクストが伝達されるとき必ずプロトコルが介在しフィルターの役目をする。プロトコルに共通性がなければ、フィルターではなくバリアになってしまう。まさしく伝達不能。

伝達不能 (MAD Press 10 1993/7/31) おい、I.S.の姪がオーストラリアかどこかで事件に巻き込まれて亡くなった話、知ってる?」「えー知らないなー、本当かよ?」久しぶりにクラス会で会ったK.K.に尋ねてみたがその事件のことは知らなかった。俺はI.S.とは一緒のクラスになったこともなかったし、まともに話をしたのがK.K.の結婚式のときが始めてだったから、K.K.なら知っていると思って確かめたかったのだ。それから数週間して、その話が俺の勘違いによるものだと知った。そして根も葉もない噂の発生源に自分がなるかも知れないと思いぞっとした。話の真相はバトンルージュで殺された服部君が事件当日に会いに行く筈だった日本人の女の子がI.S.の姪だったのだ。人の話を本を読みながら傍で聞いて、「へー、I.S.ならK.K.の結婚式のとき会ったよ、そうだったの。」と脇から口を挟み、かってに勘違いしてしまったのであった。どうして、バトンルージュがオーストラリアになったのかは定かでない。

 「ホールドアップの国にコンテクストはない。」とは古山君の弁である。「そう、コンテクストがないからプロトコルから始めなければいけない。」と俺、デスク・トップ・パブリッシングもガンも同じメディアとして位置づけられている国の大統領は人気が凋落すると、気に入らない国にミサイルをぶっぱなすことになっている。プロトコルもコンテクストも糞食らえなのだ。相手の言っていることが理解できないとき、ペンを選ぶかガンを選ぶか、後者を選択した彼らはその相手を抹殺して目の前の悩みから逃れるのだ。バトンルージュの悲劇はそのようにして起きた。

 ウィーンの哲学者ウィトゲンシュタインは「全ての事象は言葉によって明確に語らねばならない、語れないものについては人は沈黙しなければならない」と言った。ウィトゲンシュタインが神経衰弱に陥ったとき、治療をかねて姉の家の工事監理をすることになった。設計はアドルフ・ロースとされているが、実態はロースの弟子が設計したと伝えられている。その家の工事監理をしているとき、左官屋のやりとりを聞いてウィトゲンシュタインの哲学的世界観がマグニュチュード7.8の強震にぐらついた。「セメン!」足場の上の親方に応えて、小僧が下からセメント(モルタル)を放り上げる。下層労働者階級の会話にならない断片的言葉でもコミュニケーションが成り立つことを哲学者はそれまで知らなかった。

 E.T.ホールは「コンテクスト度が高い程、情報は少なくてすみ、コンテクスト度が低ければ情報が増える。」と述べている。「・・・いかなる情報システムも、情報の意味(情報の受け手に期待されている行動)は、コミュニケーションと、受け手の背景にあるあらかじめプログラミングされた反応と場面から成っている。(このうち受け手のあらかじめプログラミングされている反応を、内在的コンテクストと呼び、場面を外在的コンテクストと呼ぶ)という点で、普遍的であるということがわかる。
 したがって、コンテクストの本質を理解するにあたって重要なのは、受け手が実際に何を知覚するかである。生き物が何を知覚するかは、地位、活動、セッティング、経験の四つに左右されると言うことを思い起こしてほしい。だが人間の場合は、これに文化という、もう一つ決定的な次元が加わってくるのである。・・・・・」

 言葉とはアプリオリに存在するものではなく人間の身体機能の思考・知覚の拡張したものである。そして言葉の拡張したものが書き言葉であるのだが、厳密に言えばそれは西欧的な解釈である。我想うモノローグとしての声すなわち話言葉の写しから書き言葉が発明されたという考え方は、デリダが批判するところの「音声中心主義」と呼ぶもので、つまるところ「形而上学」?世界を言葉でとらえて真理をもとめようする態度?を支えるものとなり、「はじめに言葉ありき」となってしまう。ウィトゲンシュタインのように「形而上学」の枠から抜け出ることが出来ない哲学者は下層労働者階級の言葉を耳にすると目が点となり、その場にフリーズしてしまうのだ。

 マクルーハンの言うように「・・・世界中のすべての語をもってしても、バケツといったような対象を描写することができない。もっとも、どうすればバケツを作るることができるかということなら、数語あればできる。ことばは対象について視覚情報を伝えるのに不適切である。
 デカルトが十七世紀はじめに哲学の世界を概観したとき、用語の混乱に愕然として、哲学を厳密に数学的な形式に還元しようと努力を開始した。どうでもいいほどの厳密さを求める努力をしてみても、結局は、哲学から哲学の問題の大部分を排除するのに役立っただけであった。そして、あの哲学の大帝国が分割されて、こんにち知られるような、広大な範囲にわたる伝達不能の科学や専門ができたのである。・・・」
となってしまう。斯くて我々凡人は哲学を理解するためのプロトコルの段階で睡魔に肉体を奪われてしまうのである。

 ところで、日本人、朝鮮人、中国人、ベトナム人だけが使っている(使っていた)漢字は話言葉の拡張したものではない。それ自体が直接的に脳内思考のプロセスが抽象化されたものである。したがって、これら東亜細亜の人々の思考は「音声中心主義」には馴染まない。嘗て江戸と呼ばれた時代に多くの大衆が読み書きを憶え、俳句・川柳を嗜み、文化的に成熟したのも、「音声中心主義」とはべつの回路、文字や記号で思考する事が日本語に於いて不可欠だったから他ならない。(注1)現代においては既に文語体、口語体の区別も日常においては明確ではない、それでも、漢字熟語など「音声中心主義」では理解出来ない。昭和30年頃、流行った「イキナクロベイ ミコシノマツニ アデナスガタノ オトミサン」が「粋な黒塀 見越しの松に 艶な姿のお富さん」と知ったのは大人になってからであったように。言葉を聞き取ったとき漢字をイメージできなければ意味が伝わらない。
 第二次大戦後、占領軍による漢字廃止の動きがあったと父に聞いたことがあるが、日本語の構造上というよりも、思考そのものを変えねばならないとしたら、それは日本人が日本人でなくなる事を意味したのではないか。日本人が英語は読めるが話せない、(私は両方出来ない、トホホ・・)或いはディベートを苦手としているのも「音声中心主義」と異なる言語体系-思考体系(音声と抽象記号の二重構造をもった言語体系)を持っている事に由来するのではないだろうか。

 このように考えてみると、Macintoshが東亜細亜の対岸で誕生したのも汎太平洋という視点で捉えれば、地中海文化があるように、亜細亜文化圏の影響によるところではないだろうか。しかし「音声中心主義」のパルテノンを脱構築したMacが先鋭であっても、決して主流になれなかった、そしてこれからも主流になることはないだろう。米国で主流になるには余りにも亜細亜的なマシンだったのかもしれない。「音声中心主義」の王道を歩むマイクロソフトが世界の覇権を手に入れんと欲するのも「形而上学」的世界観からくる当然の帰結である。なんだかんだ言っても米国はWASPとJewが支配している国、やがてスカリーも東海岸に戻り、白人社会で余生を過ごすのである。

 伝達の意味を考えていたら、またしても話が脱線してしまった。(iGa chang)

注1:日本人の学習好き、識字率の高さは豊富な和紙があったからだという説もある。しかし、そうであろうか?西欧において大衆が文字を必要としなかったのも、言語構造の違いが大きいのではないだろうか。随分前に、教育テレビで金田一春彦が日本語と外国語の音節の違いを話していたことがあった。数は憶えていないが英語も仏語も日本語の数倍の音節をもっている。それは音節を聞き分ける能力でもある。音声だけで言葉を伝えるのに充分な音節がある。一方、日本は漢字を輸入してから、逆に音節が少なくなってしまったと言われている。金田一博士は「みゅ」と言う音節は大豆生田という珍しい姓の為のみある音節とそのとき言っていた。(EgBridgeに最近人名辞典を入れたら「おおまみゅうだ」が一発で変換された。)そして、永六輔がしきりにいう鼻濁音の美しさなど、我々はもう聴くことが出来ない。

 と言う事は、西欧においては言葉を時間空間を越えて保存する以外は文字を必要としていなかった。それに引き換え音節が少なく同音意義の熟語が多い我が国では、言葉の学習は口述だけでは不可能であり、文字による学習が不可欠だった。
 音節を聞き分ける能力は6才くらいで固定してしまうと言われている。6才で耳にしたのが「イキナクロベイ ミコシノマツニ アデナスガタノ オトミサン」では、万葉人より音節を聞き分ける能力が低下しているのは明らかである。ましてやRとLの区別など聞き分けられる訳がない。

Posted by S.Igarashi at 08:11 PM | コメント (0) | トラックバック