November 05, 2003

マニフェスト

近ごろ巷ではマニフェストが流行っているようだ。マニフェストと聞いて思い浮かべるのものに「未来派宣言」("Manifeste fu Futurisme"1909/2/20 フィガロ紙、F.T.マリネッティ)がある、知識として「未来派宣言」を知っていても、「未来派宣言」全文を読んだことのある人は少ないと思われる。たぶんYK氏もその内の一人ではないだろうか、そうでなければNHKで自分が司会をした番組に「未来派宣言」等と名付けたりするのを許しはしないだろう。もしも、全文を読んでいて「未来派宣言」と命名したのならば、相当面の皮が厚いか、或いは慎太郎と同様に男根中心主義者ではなかろうか。語感だけでは「未来派宣言」から進歩、前衛、革新といったキーワードをイメージするかも知れないが、その内容は暴力を賛美するとんでもないものである。

建築を学んだものにとって「未来派 = 建築家アントニオ・サンテリア」をイメージするが未来派建築はドローイング・スケッチが残されているだけで実物(写真)を見ることは叶わない。スケッチを見る限りにおいて、それらはヒューマンスケールを超えた土木的スケールを持ち、威圧的であり、発電所やダム、軍艦を彷彿させ、至る所に屹立する塔や砲台がデザインされているのは男根(ファルス)を表象するものであろう。
「未来派宣言」が詩人F.T.マリネッティになされたこともあってか、「未来派宣言」に関する研究は文学系に於て行われているようであり、理工系建築史では歴史的史実としてのみ認識されている程度なのだろう。
「未来派宣言」は差別意識と暴力の肯定を前提とし、機械文明、戦争、軍国主義を讚え、それらを世界の唯一の衛生装置と見做し、女性蔑視を主張している。マリネッティは「機関銃の弾道を走るように見える自動車はサモトラケのニケよりも美しい。」と、その思想を表現している。
だが、「未来派」に未来はなく、イタリアに於ては後にムッソリーニ率いるファシストに収斂され、彼らが讚えた戦争にも敗れることになり、戦争と云う衛生装置によって「未来派」や「ファシスト」が駆除されるとは皮肉な結末ではないだろうか。
「未来派宣言」の男根中心主義とホモセクシュアルとの因果関係を研究した文献があるかどうか判らないが、マッチョ嗜好な「未来派」を見るにつけ、強ちそれを否定できない気もするのだが。

Googleにより検索された未来派宣言を紹介してあるサイト。
 未来派宣言(森鴎外・訳)あんとに庵
 未来派宣言(京都精華大学・高橋伸一氏による)
 京都精華大学 人文学部講義「比較文学概論 II」20世紀的暴力と破壊の芸術の誕生 イタリア未来派宣言(1909)

Posted by S.Igarashi at November 5, 2003 12:39 AM | トラックバック
コメント

未来派宣言が1909年、ダダ創立が1916年、それら全て、20世紀初頭の西欧の時代精神というべきものではないのでしょうか。
そして、その最大の事件が1917年のロシア革命なのではないかと.....ということなのかな。そして、それは..........。

Posted by: 秋山東一 at November 5, 2003 01:45 PM