November 17, 2003

記述法としてのCAD

記述法としてのCAD(VectorWorks10で始めるCAD:前書きより)

CADを一言で語り尽くすことはできない。もしも一言で語るとすれば「言葉によって対象の形状を写実する記述法」と言えるのではないだろうか。つまり、絵や図版を用いず、言葉だけでモノ(対象・object)のカタチを表現することである。そう説明すると「本文の内容と矛盾するのでは」と訝しく思われる人も少なくないであろう。確かにグラフィック・ユーザーインターフェースのコンピュータとObject-based CADでは表面的に言葉を用いて対象の形状を記述することはないが、しかしユーザーインターフェースのバックグランドでそれは行われているのである。

「全ての事象は言語によって明確に語らねばならない。」とは「始めに言葉ありき」に代表されるように「音声中心主義」の西洋文明のドグマでもある。その西洋文明の文脈の上に作られたCADという記述法に従い、つまり言語によって対象を物理的に再構築することは容易いことであるが、対象の意味やイメージを伝えることはそう容易いことではない。 言語が人の遺伝子情報に組み込まれていない限り、それは人に先天的に備わっているものではない。言葉は人によって発明された最小単位のメディアである。それ故にメディアが持つ虚構性を避けることができない。言語は集団の属性として位置付けられ、集団の一員として学習することを義務づけられる。また後天的であるが故に、言語はたえず流動的に他の集団の文化をも呑み込み変化し続ける。そして集団固有の文化的文脈も時代と共に新しい潮流を生み、伝統的な文脈も交えレイヤとして重なり合う。言葉が「世界を写しだす像」にしかすぎないとしたら、意味は文脈の中にしか見いだせないのである。 我々は全く新しい言葉をそのまま理解することはできない。新しい言葉は常に古い言葉に置き換えられ、過去の文脈の中にその意味を探る。1980年代に我々の前に姿を現したMacintoshに代表されるようなグラフィック・ユーザーインターフェースのコンピュータもまた然り、その画面上にはアナログの道具が見立てられ置かれている。デジタルデータを扱うプログラム言語でさえもユーザーインターフェースの部分はアナログなのである。新しい道具の使い方は過去の文脈の中にこそ存在している。 VectorWorksを理解するに必要なのは見立てられた道具が何に対応しているのか、過去の文脈から探ることにある。そして自分が描き現そうとしている対象を一度言葉でどう表現できるか考えてみることである。本書にはヒントはあっても、その答えは書かれていない、何故ならそれは貴方の目の後ろにあるからである。イメージすることから何かが始まるだろう。
Posted by S.Igarashi at November 17, 2003 09:49 PM | トラックバック
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