建築家の責任
月刊「東京人」2003年4月号に建築家・槙文彦氏と評論家・松葉一清氏との対談「建築家の責任」に於て松葉一清氏による上野駅構内、いわゆる公共空間を商業施設が侵食し商業化していると云う問題提起に対して、槙文彦氏がこう答えていた。
「、、最近、強烈に消費層がが都市を変えている。これは日本に限らず、アメリカ、ヨーロッパでもそうですが、かってある種の公共性をもって存在を主張していたものが、今や消費文化に侵食されている。公共施設の本質というのは、その空間がどこまでいっても消費されない強さを持っていることなんです。駅であり、タウンホールであり宗教空間、そういうものが、次第に消費空間に置き換えられていくことに対して、大変な疑問があります。、、、」
正にその通りだと思う、建築から公共性や社会性と共にヴィジョンも失われ、それに代わって、マーケティングが建築を支配するようになった。昨今、一般誌においては建築ブームのようであるが、専門誌の休刊・廃刊も目に付き、ちょっとした規模の書店においてすら建築雑誌を扱わなくなっている。その反面、消費される対象としての視点で建築がメディアの脚光を浴びている。CASA BRUTUS NO.44誌上で建築家・大江匡氏は「モダンを支配するのはマーケティング力です。」と述べている。
だが、マーケティングの負の文脈には独占と排除の思想が隠蔽され、消費者への情報操作が意図されていることをも、私たちは認識しなければいけないだろう。グローバルリズムの陰でマーケティングが支配する新自由主義スタイルの建築を未来の人間はどう評価するのだろうか。
Posted by S.Igarashi at November 11, 2003 05:58 PM
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