妻を帽子とまちがえた男
自動車税を払う為に歩いて駅前の銀行とついでに郵便局にも行き、そのついでに古本屋に立ち寄った処で本書に遭遇、パラパラと頁を捲り中身を確認してそのまま会計…定価[本体2840円+税]の古書が内税込み価格で500円…新本と言われても納得してしまう程、状態が良い。Amazonで検索してみると、文庫本もハヤカワ・ノンフィクション文庫から出ているようだ。
オリバー・サックスについては映画『レナードの朝』は見ていたが、その名前はインタビュー集『知の逆転』を底本にNHK-ETVで二年前に放送された「世界の叡智(えいち)6人が語る 未来への提言」で知ったのだが、昨今の自称・脳科学者と異なり、自ら脳神経科の臨床医として患者に寄り添い、その治療体験を通して、人間の適応力の可能性を語る姿に興味を持っていた。本書はサックスの24の臨床体験に基づいて書かれたものである。
病気について語ること、それは人間について語ることだ―。妻の頭を帽子とまちがえてかぶろうとする男。日々青春のただなかに生きる90歳のおばあさん。記憶が25年まえにぴたりと止まった船乗り。頭がオルゴールになった女性…。脳神経に障害をもち、不思議な症状があらわれる患者たち。正常な機能をこわされても、かれらは人間としてのアイデンティティをとりもどそうと生きている。心の質は少しも損なわれることがない。24人の患者たち一人一人の豊かな世界に深くふみこみ、世界の読書界に大きな衝撃をあたえた優れたメディカル・エッセイ。(「BOOK」データベースより)----------------------内容--------------------------------------------
第1部 喪失
1・妻を帽子とまちがえた男
2・ただよう船乗り
3・からだのないクリスチーナ
4・ベッドから落ちた男
5・マドレーヌの手
6・幻の足
7・水平に
8・右向け、右!
9・大統領の演説
第2部 過剰
10・機知あふれるチック症のレイ
11・キューピッド病
12・アイデンティティの問題
13・冗談病
14・とり憑かれた女
第3部 移行
15・追想
16・おさえがたき郷愁
17・インドへの道
18・皮をかぶった犬
19・殺人の悪夢
20・ヒルデガルドの幻視
第4部 純真
21・詩人レベッカ
22・生き字引き
23・双子の兄弟
24・自閉症の芸術家
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失った四肢の感覚が残っている状態を「ファントム(幻影肢)」と言うらしいが、事故等で失われた手足が疼いて痛いと云う話しは良く聴いた事がある。どちらかといえば「ファントム」は悪い作用をするものと考えられているが、「ファントム」を活かせば義足でも自分の足の如く動かすことが可能になるらしい、しかし「ファントム」が眠っていると歩くことはおろか立つことも叶わないそうで、義足を装着する前に先ずは「ファントム」を目覚ますことから始めなければ成らないそうである。しかし、「ファントム」が目覚めれば健常者と遜色ないと云う。人間の適応力の奥深さを感じる。
フィドルとウッドベースに二十五弦箏と弦楽器奏者三人によるユニットによるアルバムだ。多くの曲はフィドル奏者であるLena Willemarkによるヴォーカルがフィーチャーされているが言語はスェーデン語、スカンジナビアのフォークロアにルーツを求められそうな音階は聴き慣れた西洋音階のそれとは異なる。むしろ地理的歴史的に見れば西洋音階の方が特殊なのかも知れない。其処に日本人である二十五弦箏・奏者である中川かりんが加わっても何の違和感も憶えないのは僕らの世代は西洋音階と和音階、それにJazzのブルースコード等を聴いて育っているからかも知れない。
国内盤のリリースは今月末のようだが、既にiTunesStoreから音源がリリースされている。
YouTube:Trees of Light
リアストゥライニ LYÖSTRAINI
因みに、かりんさんの二十五弦箏の演奏を初めて聴いたのは2008年12月1日明治百話の公開通し稽古だった。その数日後、玉井さんの事務所に大阪から訪ねてきた光代さんと玉井さんとで神楽坂の五十番で軽い食事をとっていたとき、舞台をはねた後の、夕海さんとかりんさんが偶然やってきて同席したことがあった。詳しいことは憶えていないが、かりんさんのおとうさんがメンバーだった富樫雅彦カルテットを聴きに何度か芝の増上寺ホールに足を運んだことがあることを話したりしたが、かりんさんが食い付いたのは、その年にリリースされたばかりのiPhoneとアプリのBrian EnoによるBloomでした。余談であるが、その時、玉井さんが二人に謝罪したと云うエピソードは御自身のブログに詳しく書かれている。
関連
MyPlace-明治百話
もんしぇん
Psalm Dark Sky
と云うことで昨日の土曜日、旧・藤野町の廃校跡の体育館(牧郷ラボ)で行われた『いのち感じろ!渋さ知らズオーケストラLIVE―福島生きもの応援チャリティーイベントーライブ』を見て聴いて来た。イヴェントを知ったのは今回のライブにヴォーカルで参加している夕海さんの前日のFacebookでしたが、肝心な日程の記入漏れがありメッセージでダメ出しをして、「うわっ明日かよ!」と分った次第です。藤野は中学の夏休みの林間学校で一度行っただけでしたが、最近は色々と工房ができたりとか、ちょっと興味があった場所なので、家からどのくらい時間が掛かるのかも確かめたいとも思っていました。家からは町田街道を経由して浅川トンネルから甲州街道(20号線)に入り、久しぶりに大垂水峠越えで相模湖ICの先を左折して橋を渡り、右折して日連から牧野に向かい神奈川C.C.の案内看板を確認して右折、なんとか迷わずに現地に行き着いたと思ったら、目立たない廃校入口をオーバーラン…ちょっと先で車を切り返して廃校入口のアプローチの狭い坂を登って校庭に到着…所要時間35分くらい。車の走行距離が往復で48kmだから片道24km、渋滞はなかったけれど、ワインディング‐ロードの山坂道を平均時速41.1k/mの安全運転でした。
追記:Torino Jazz Festival 2015 - Shibusa Shirazu
旧・藤野町の公演から略三週間後、北イタリアはトリノのジャズフェスティバルでのライブ。
渋さ知らズオーケストラを聴くのは今回が初めて…まぁフリージャズと暗黒舞踏のコラボは70年代から...見て聴いてるが…観客やミュージシャンを巻き込んでダンサーに仕立てる処が「渋さ知らズ」の由縁なのかも…そんな訳で快適渾沌状態の音のシャワーを浴び続けた2時間余りでした。
ライブが終わって車で帰ろうと取付道路の坂道を下っていると、バス停まで歩いて帰る人がいたので声を掛け、藤野駅まで送って行くことに...二人連れの女性は淵野辺から、一人で来た男性は吉祥寺から来たということで、皆さん「渋さ知らズ」のフアンだそうで、東京フォーラムのライブは満席になるのに、今日は空いていたけど、これはこれでまた良かったとか…で、フアン同士の交流が…そんな三名を無事に藤野駅まで送り届け…あたしは一路大垂水峠の山越えへ...。
昨日のMX-TVの夕方のニュースであるが、まぁ、知事が言うのだから間違いないでしょう。八王子は田舎です。しかし…言葉に詰まった処は…他に言い換える言葉が見つからず「ボキャ貧」を露呈してしまったようにも見えました。しかし相変わらず上から目線の物言いは直らないですね。
まぁ田舎には故郷の意味と都会の対義語としての辺境の地とか鄙びた文化果てる地の意味があると思うけど、地元の人が言う「八王子は田舎です」は謙遜と自虐が含まれているが、23区内に住む人の言う「八王子は田舎です」は優越感と差別意識が含まれていると言っていいでしょう。どっちにしろ目糞鼻糞の類いですが、この男の本質が垣間見えたようです。
と云うことで田舎に住む私の家も土砂災害警戒区域に引っ掛かってますが…その原因の多くは人為的なモノの様に思えます。
数ヶ月前のことだが『添田唖蝉坊の長歌を演歌する』を聴きに行った時、FreeJazz・percussionのplayerで演歌師の土取利行が静岡にある大杉栄と伊藤野枝の墓を詣でた話をしたとき、そういえば...川の地図辞典・出版記念ウォーク「谷田川跡をあるく」で辻潤の墓所を訪れていたことを思い出した。翌日、ブログで調べると墓に行ったのは2008年3月16日、もう7年も前のことだが、東日本大震災と原発事故の3年前、当時と比べると社会情勢も様変わりしている。改めて青空文庫で辻潤の「ふれもすく」(フランス語: Humoresques, チェコ語: Humoresky、ドイツ語: Humoreske/「奇想曲」)を読み直した。書かれたのは1923年11月四国Y港、関東大震災から2ヶ月後のことである。この時代は宮崎駿の『風立ちぬ』でも描かれているが、別な視点から書かれた「ふれもすく」を読むことで時代を構成する様々なレイヤーが表れ奥行きを増すのではないだろうか。
その日(1923年9月1日)風呂屋で大震災に遭遇した辻潤は、慌ててK町の自宅に戻り老母と息子の無事を確認する。家は庭木と平屋建ての小屋が支えとなり全壊は免れたもの住める状態ではなく10日ほどの野天生活の後、老母と息子を隣のB町の妹の所に預け、お腹がフクレタリアな同棲相手を里に送り届ける為に名古屋へと向かう、自分は金策の為に大阪へ…道頓堀で号外を見て…事件を知る。四国のY港に渡ると…九州の新聞社が待ち受け「大杉他二名」の取材を受けるも断り…事件の二ヶ月後...出版社から改めて「野枝さんの思い出」の執筆依頼を受けて書いたのがダダイストを自称する辻潤による「ふれもすく」である。
と云うことで青空文庫のテキストデータをiPadで「ふれもすく」のさわりを...
と、野枝さんとの染井での生活を語っている。
『野枝さんや大杉君の死について僕はなんにもいいたくない』と言っているが、甘粕のことは『マメカス』と揶揄し、僕も彼女を「よき人なりし」野枝さんといいたい。僕には野枝さんの悪口をいう資格はない。と語っている。
辻潤の母が伊藤野枝に三味線の手ほどきをしていたようで、大杉栄のもとに行ってからも、度々、三味線のおさらいに来ていたそうで…伊藤野枝の三味線で大杉栄が演歌…なんてことがあったら愉快だが…。
花柳界のあった柳橋から目と鼻の先にあった下町浅草橋生れの辻潤にとってアナーキストにシンパシーを感じても、上昇志向の強い人間や教条主義的振る舞いは粋に思えず、故に斜に構えダダイストを自称していたのかも…。因みに私はユーモレスクの旋律を聴くと何故か自分が生れた足立区梅田界隈の夕景が思い出されるのだが...
昨日の憲法記念日、横浜臨海パークに3万人を集めた「平和といのちと人権を! 戦争・原発・貧困・差別を許さない」をテーマにした集会に、この人も生きていたらきっと参加していただろうと、日付が替わった深夜に日本テレビで放送された『ドキュメンタリー『9条を抱きしめて』〜元米海兵隊員 アレン・ネルソンが語る戦争と平和〜』を見終えて、そう思った。...あの日テレで「9条を守る」番組とは以外であったが、BSとCSでも再放送もされる。どうやら自主製作映画を放送したようで、下記のサイトからDVDも入手可能だ。
アレン・ネルソン平和プロジェクト 2013
関連エントリー:ベトナム戦争:戦後40年
そういえば10年前に初めて人を殺す・老日本兵の戦争論をエントリーしていた。それと日本国憲法も…。
やはり、誰に聞いても僕らの父の世代の戦争体験者は生涯悪夢に魘され苦しめられてますね。戦争による精神的外傷は直るものではないようです。それから3月10日の東京大空襲を体験し精神を病んでしまった母の世代も知ってます。一人は伯母(父の兄の妻)、一人は高校時代の先生のお母さん、二人とも家族に守られ日常生活を過ごしてましたが、話すとちょっと普通ではありませんでした。こうした統計に表れない戦争犠牲者も数多くいたと思います。
アレン・ネルソンも米軍が散布した枯葉剤による後遺症で亡くなったと云うことで、生物化学兵器は敵味方の区別なく殺傷するものだと...それも直ぐには健康への害はないと…自国民を騙す。
ガルシア・マルケス(Gabriel José García Márquez)の小説に出てくる架空の街・マコンド(Macondo)のモデルとなったとされているのが、彼が祖父母の許で少年時代を過ごしたAracatacaである。その土地にあったのは米国大資本によるプランテーションだが、奇しくもマルケスの生れた年に農場労働者によるストライキが勃発、軍による弾圧、そして多くの犠牲者を出し、米国大資本は撤退。その米国大資本による暴力的な進出を落葉とつむじ風に喩え、マルケスは1955年に出版された最初の小説『落葉』の前文に記している。
そのバナナ会社とはユナイテッド・フルーツ(United Fruit Company)だが、現在の社名・ブランドは誰でも知っているあれである。
これは20世紀前半の話しと片づけられない。21世紀でも多国籍ブランド企業により、農水産業は歪められ、さらにTPPにより追い討ちを掛けられる気もする。絞り取るだけ絞り取って逃げ去ってゆく、似たような例は国内にもありそうだし、日本そのものがMacondoになるやも知れぬ。
中南米の近現代史は嘗ての宗主国に代わり支配力を強めた米国大資本やマフィアそしてCIAに対する抵抗の歴史だが、それは単に図式的な資本主義vsレーニン主義と云ったものではなく、ラテンアメリカに生まれた人々の自立性を守る人間の権利そのものと思える。
...等と考えたのはひょんなことから『グアバの香り』について5分で語れと云うミッションがあったからなのだが…
辺境の地にもストリートビューが...小説の読み方も違ってくる気がする。