「世界はたくさん、人類はみな他人」と云う、この映画のキャッチコピーいいね。これは大乗の思想ではないでしょうか。そういえば公営賭博による寺銭の既得権益を手中にした誰かさんが、公共電波を使って一家だの兄弟だのと、もっともらしく言っていたけど、それって渡世人の世界と同じ…、故に…重しが外れた途端に争い事が絶えない訳で、近現代史にその事例は有り余るほど…。
追記:5月1日の東京新聞夕刊社会面に四段抜きで紹介されてました。
昨年暮から今年の1月に掛けてテレビドラマ(29日放送)のロケが行なわれた場所である。そのシーンの一つがこれらしい。物語の舞台は前橋周辺に高崎辺りの北関東らしいのだが、このマンションがドラマでどう使われているか分らないが、ここは群馬ではなく八王子の山里である。尤も映画やテレビドラマでは遠く離れた場所でも空間をワープさせて無理矢理近づけることは常識の様ですね。
このマンションの建っている辺り、私が小学生の頃は畑でした。この道は幅が一間程度の農道で、その左は雑木林で丘陵から山間部と変わる境界線でもありました。その雑木林も今ではこの写真にあるような建て売り住宅が並んでいます。この道路の正面にはこの霊堂の尖塔部分が見えてしまうので、カメラアングルには気を使ったかのかなと思います。
今年1月の夕刻、買い物からの帰りにロケに出会したことがありましたが、この道の手前を左折して次の丁字路を右折すると私の住んでいる谷戸に降りますので、マンションの前を交通規制していても無問題でしたが…どうやら私が遭遇したロケの現場に富司純子さんもいたようですね。
追記:どうやら撮影協力は無視されたようです。
と云うことで、全部ではなく確認の為にところどころと最後のエンドロールだけ見ましたが、高崎市の皆様とか、撮影協力として川越市、秩父市とかはありましたが、八王子○○町会の皆様とはありませんでしたね。と...するとこれは口止め料でしょうか、昔々、獅子舞を取材しに来た時はタオル一本でしたから、時代も変わりましたですね。まぁ...町会でも警察署の協力を戴いて防犯対策とか行なっているのに…DV犯罪現場のロケとは…後味悪くて残念でした。
相も変わらずブラタモリの番組内の説明用地図にオリエンテーションは示されていない。(訂正:最初の1〜2回、画面面示した地図には左を北にしてありましたが、その後の古地図や、屋外でのフリップボードには方位の表示がなく、対応付けに疑問。)正月に放送された京都篇もそうだったが、昨日放送された金沢もそうだった。新しく番組担当になったPが地図の上を北とするオリエンテーションに頓着しないのだろう。地形には執拗に拘りをみせるが、オリエンテーションは無視するのもなんだかである。ましてや昨日は犀川から城内に水を引いた辰巳用水を取り上げているのに…その用水に命名されている方位を示す辰巳についての説明もない。そのくらい常識だから必要ないとでも考えているのだろうか。浅野川と犀川に挟まれ辰巳から戌亥に向かい下る台地上に築かれた城が方位と無縁である訳がないだろう。
我々の様な設計に携わる者はオリエンテーション(方位)を抜きにして建築や街づくりは考えられないのだが...そんなことには頓着しないで地図をつくる人間もいるようで、地図を読めない者に合わせてか、方位を無視した案内板も増えているし、進行方向に向かって向きを変えるカーナビ等も自己中の典型のようなもので、これでは方位との関係性を理解するのは難しそうだ。
まぁ、番組サイト内に設けられた「#3 金沢〜加賀百万石はどう守られた?!〜ルートマップ」があるのがせめてもの救いか...
追記 辰巳用水のサイホン原理を用いた通水技術ですが、玉川上水でも使われています。
河川の立体交差
福音館の月刊予約絵本「こどものとも0.1.2.」の2015年5月号はたむらしげる作『ペロチュパチュー』だ。たむらくんは同シリーズの『ごろんこ ゆきだるま』では布を使った手縫いによる絵本、『ふわふわぐーぐー』では毛糸玉を使った絵本、そして最新刊の『ペロチュパチュー』では色紙を使った「ちぎり絵」による絵本と… 0歳児が初めて出合う絵本だからこそ、妥協も手抜きもせずに毎回、表現方法の可能性にチャレンジし続け、新鮮な出会いを子供達に送り届けている。それは昔、子供だった大人にもほっこりとした気持にさせるものだ。
東京新聞朝刊一面の記事は予想通り、相変わらず、謝りもしない反省もしない人の演説内容である。小学校の時、こう云う奴居たよね。曰く「俺の所為じゃない、俺は悪くない、彼奴だってやっている。」等々、屁理屈付けて居直る奴。
しかし、謝らない人って何だろう。まともに信頼関係も人間関係も築けない人じゃないのかな。こーゆー人は御近所関係でもトラブルの種になるくらいだから、国際関係も似たようなもの、ABEに限らず、大人の対応ができないこんな人間が増殖しているような気もするのだが…あゝわからない、…わからない。
添田唖蝉坊・新わからない節
と云うことで先月の11日に更新手続きを申請した建築士事務所登録通知書が本日届いた。五年毎であるが、こうした事務手続きは楽しい仕事ではないので、つい先延ばしにしまいがちになる。今年も提出期限の4日前と…相変わらずである。今年度は三年毎の定期講習も受けねばならない。そして出講日と重ならない定期講習の日程となると選択肢が少なくなるのが悩ましい。今回で三回目の定期講習となるが受講申込書に既に氏名などの必要事項がプリントされている処は納税通知書のようでもある。こうしたところは改善?されているようだ。
東京人5月号は「東京35区の境界」(※23区ではない)の特集である。う〜ん、昔、勤め先やその後、仕事場のあった南青山4丁目は赤坂区、其処から数10m下った処が麻布区、古い表札に麻布笄町と書かれたままで、西麻布と直してない家もありました。
そういえば6年前に幻の区界なんてエントリーを書いていたことを思い出した。東京人5月号の70頁でも『神田川 / 流れの約半分は区境』と云う記事がある。この記事の筆者も「ブラタモリ」第一回放送について言及しているが、敗戦直後のGHQ指導による区界変更案があったことまでは言及してない。
本号の特集で大活躍しているのが「東京時層地図 for iPad」… iPadを片手に街歩きも当たり前の時代になったようだ。
因みに八王子の地元ネタでは「多摩森林科学園・サクラ保存林へようこそ」とか「Close Up TOKYO Interview」に市長が何か…。
それにしても5月号の東京人の特集だがいきなりの35区の境界線で、区部についての変遷について纏めて書かれている記事がないというのも何だかオソマツ。表紙に使われている凸凹地図にも旧・東京市の15区のボーダーが示されているが、そのくらい分って当たり前だろうの、上から目線なのか一切の説明がないので、ちょこっとメモを。
1878年(明治11年)東京府
1889年(明治22年)東京市-15区
----関東大震災----
1932年(昭和7年) 東京市-35区
1943年(昭和18年)東京都(都制)
----第二次世界大戦・敗戦----
1947年5月(昭和22年)22区
1947年8月(昭和22年)23区(板橋区から練馬区が分割)
と云うことで東京市の15区は江戸市中の範囲まで、今でも日本橋区や神田区生れの人は渋谷、新宿、池袋は東京郊外の田舎とおもっているようですよ。