March 29, 2009

JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...

と云うことで昨日は十条から岩淵までのEarthdivingでした。最終目的地の岩淵水門から荒川上流を...雲間からバロックの光が降りそそぎ...荒ぶる川の川面がとても穏やかに....

最終目的地の岩淵水門...地下鉄ポスターの写真の赤とは....違いすぎる...

凸凹地図に徘徊ルートを記してみました。最初の谷戸、稲付谷を流れていた川は石神井川から分流した農業用水の北耕地川(別名・稲付川)と云うことですが、元々あった谷頭からの湧水による谷戸の沢に土木工事(将軍家綱の時代とされているが定かでないが、年代的には1651年以降...か。凸凹地図を見ると姥ヶ橋から十条方向にも地形が下がっていることがわかる。水利権を巡って農民同士の争いも絶えなかったようである。なにやら、カムイ伝の世界がここにもあったようだ。)で農業用水を流し込んだものであろう。(川の地図辞典、302、321、332頁参照)GoogleMapへリンク
北区道路公園課・公園河川係:北区を流れる河川

右側の道路が暗渠化された北耕地川の川跡と思われる。昔は土手の桜だったのだろうが、ここも蕾は未だ固かったようで、季節外れな「寒の戻り」の所為か「花見」とは成りませぬ。
訂正:北耕地川の本流は右側の道ではなく、更に一本東側の道のようです。この道も下流で北耕地川跡と纏まり一本になります。

追記:4月4日に再調査を行いました。と云うことで右の赤丸で囲われた所に北耕地川跡に下る階段があります。北耕地川は右から左に流れていました。奥の建物は1995年に廃校となった北区立北ノ台小学校の体育館、現在は北ノ台スポーツ多目的広場の施設となっている。

追記姥ヶ橋跡と上流を探るをエントリー。下記のGoogleMapに再調査ダイブのルート(14Km)を追加。


大きな地図で見る


十条銀座から富士見銀座の商店街を抜け環七を渡り住宅地に入ったところで、合わせ技付き変則的十字路の逸品に遭遇....

aki's STOCKTAKING:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...
Across the Street Sounds:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(1)
Across the Street Sounds:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(2)
Across the Street Sounds:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(3)
Across the Street Sounds:JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...(4)
ONE DAY:アースダイビング『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』28March.2009
Things that I used to do.:十条から赤羽、岩渕までの散歩

Posted by S.Igarashi at 12:49 AM | コメント (11)

March 27, 2009

e-days

e-days.jpg

音楽系のサイトから辿り着いた、ニューズウィーク日本版やフィガロ・ジャポン等を発行している阪急コミュニケーションが発行しているWEBマガジン・e-daysであるが...その「東京大人の遊び場」を見てみると、なにやら御近所ブログで評判の店が...神楽坂の「キイトス茶房」に...下落合の「カフェ杏奴」と....それに未だ行ったことのない谷中ボッサも....うーむ。

Posted by S.Igarashi at 10:37 PM | コメント (2)

March 25, 2009

岩淵・水辺と崖線...『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』

と云うことで週末(3/28)の天気予報も概ね問題なさそうである。

私は東北本線に乗ることは殆どないが、たまにJR京浜東北線で荒川の鉄橋を渡るとき、河川敷の一部と思われる場所に墓地と寺があるのが目に入る。何故こんな場所に寺がと思っていたが、masaかその場所が広重・名所江戸百景に描かれていたとは想像もしなかった。それは日光御成街道の最初の宿場・岩淵本宿側から見た安藤広重・名所江戸百景「川口のわたし善光寺:安政四年(1857年)」である。上図はその絵が描かれてから27年後の明治13年(1880年)地形図である。これを見ると文明開化の足音は江戸東京周辺の岩淵には未だ届いてないようだ。
ところで地名である岩淵の意味をiPhoneの大辞林で調べると、成程と合点できる。やはり荒川の蛇行によって、円弧の外周部は川底が深く侵食され淵と成ったのだろう。そういえば、子供の頃に川遊びをした山里の川も淵には「どんどん淵」とか「いちどん淵」といった名が付いていたことを思い出した。
岩淵の地名も赤羽に吸収統一され消えてしまう危機もあったそうだが、住民の反対で地名が守られたと云うことである。水の力で地形、そして風景がつくられているとすれば、やはり岩淵は荒川があっての地名である。歴史から消してはいけないのだ。


1921年(大正10年)
北足立郡横曽根村大字浮間が横曽根村から分離し、東京府北豊島郡岩淵町に編入されたのは1926年(大正15年)10月1日とのことである。荒川大橋が完成するのは昭和3年(1928) 、この地図の橋は未だ「舟橋」である。特徴的なのは武蔵野台地には陸軍関係の施設が多く造られていることである。


1955年(昭和30年)
戦後10年経った地図では陸軍被服本廠の跡にブリジストンタイヤ、兵器庫跡に日本製鋼の工場が、そして兵舎の跡は学校や病院となっている。


1981年(昭和56年)
工場は移転し、ブリジストンタイヤの工場跡に出来た赤羽台団地は昭和37年(1962年)の完成と伝えられている。


1995年(平成7年)
日本陸軍の兵器庫は日本製鋼の工場と成り、やがて工場移転に伴い西が丘のサッカーグランドや国立の施設や官舎や団地へ替わり、それらも建替えが行われているようで、GoogleMapにある建物もストリートビューでは無かったり、工事中だったりする。官から民、民から官へと目まぐるしく所有権が移動している。そこには国家百年の計もグランドプランも何も存在しない。唯々、欲望の成すまま、自然を土地を切り刻んでいるように思えてならない。


凸凹地図
水が風景を作るとは云いますが、それにしても武蔵野台地の北東端の崖線は奇妙なカタチです。私にはフランケンシュタインの頭のように見えます...(^_^;)

AkabaneIsekiMapS.jpg

東京遺跡情報2000から北区の指定史跡地図(©東京都教育庁)を調べてみましたが、やはり岬の先端に古墳があります。そして台地には集落、低地には貝塚とか...ですね。
4:包蔵地・貝塚(縄文・弥生・古墳・奈良・平安)
5:集落(旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世・近代)
6:赤羽台古墳群(古墳時代)
7:赤羽台横穴墓群(奈良時代)赤羽八幡神社の辺りです。
8:集落(旧石器・縄文・弥生・古墳・奈良・平安)
9:集落(縄文・弥生・古墳・奈良・平安)赤羽台団地
12:集落(旧石器・縄文・平安・近世)
13:集落(縄文・弥生)
14:大塚古墳(古墳)
15:集落(古墳・奈良・中世)
49:集落(縄文・弥生・古墳・奈良・平安・近世)赤羽台団地


大きな地図で見る

追記:地図上の赤い線は当日歩いたルートに変更してあります。

そんなこんなで、3月28日に『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』を計画している。埼京線・十条駅に集合、午後一時頃から、いつものようにダラダラと歩き始め、商店街(十条銀座)を抜け、台地を巡り、崖線から低地に降り、荒川放水路岩淵水門までユルユルとダイビングして桜を愛でる予定なのである。因みに荒川放水路は1965年(昭和40年)に正式に荒川の本流とされているので、岩淵から下流も正式に荒川で良いのだが、放水路流域の低湿地帯に生まれた者には人工的な河川である荒川放水路の方が耳に馴染むのである。
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『JEDI・春だから荒ぶる川の桜と水門...』
開催日時:3月28日(土)午後1時〜5時、その後いつものように反省会
集合時間:午後1時 埼京線十条北口
岩淵水門:午後3時30分〜4時頃までには到着 
     荒川治水資料館(無料、9:30~17:00、入場は閉館の30分前)
反省会 :午後5時30分〜赤羽駅東口界隈にて、場所は未定
雨天の場合は当日午前9時頃までに中止等を判断し、ブログ及びメールにて告知します。

参照サイト赤羽駅東口:御菓子司・喜 屋赤羽時間旅行
赤羽の地形
赤羽歴史年表

Posted by S.Igarashi at 10:28 AM | コメント (8) | トラックバック

March 24, 2009

三分咲き...

高楽寺の枝垂れ桜は二分か三分咲きといった処でしょうか...去年よりも幾らか早いようです。この様子では今週末には満開でしょうか...

Posted by S.Igarashi at 11:39 AM | コメント (2)

March 20, 2009

真田濠

yotuyajyouchi.jpg地下鉄・丸ノ内線の四ツ谷駅から見える上智大のグランドが外濠だったことは分かっていたが、その真田濠跡地が都有地だとは東京新聞の記事を読むまでは知らなかった。今年十月が契約更新期限らしいが『将来的に、真田濠は水があった昔の姿に復元すべきだ。』の意見もあるようだ。四谷濠、真田濠、弁慶濠と連続する外濠の復元された昔の姿を見て見たい気もする。

てことでDoctor Fumanchuのリクエストで明治の地図を...
弁慶濠には未だ橋がありませんですね。
現在は四谷見附に中央線四ツ谷駅と地下鉄丸ノ内線四ツ谷駅、首都高四号線は迎賓館前庭の下を潜って紀の国坂の交差点下から弁慶濠に沿って地上に....






大きな地図で見る  真田濠と四谷見附方向を見る。(左上のホイールを回転すると赤坂見附方向も見える。)


大きな地図で見る

ついでに凸凹地図で地形の確認を....こうしてみると清水谷公園のある清水谷をそのまま外濠に利用した方が土木工事の残土処分が少なく済みそうですが....

Posted by S.Igarashi at 09:13 AM | コメント (5)

March 18, 2009

活断層図と1万分の1地形図

やっぱりEarthdivingには地形の解る地図が必携と云うことで国土地理院発行の都市圏活断層図(1:25,000)1万分の1地形図である。それにGPS機能を備えたJEDIの必携アイテム・JEDiPhoneがあれば完璧.....。それにJEDiPhoneはクリノメーター(clinometer)にもなるのである。

Posted by S.Igarashi at 09:00 AM | コメント (1)

March 17, 2009

鳩首協議

Dave-Holland-Quartet.jpg

春なのである。山里では雀やら、なんやら野鳥の囀りで賑やかである。既に啓蟄 から十日を過ぎ、雀たちも餌にも困らなくなったのかも知れない。と云うことで「鳥たちの囀り」を聴いていたら"Conference of Birds"を思い出した。昨年10月からiTunesStoreでもECMレーベルを扱うようになり、ちょっとマイナーな"Conference of Birds"も一曲買いできるようになっていたのだ。
Dave Holland Quartet - Conference of the Birds

Posted by S.Igarashi at 09:24 AM

March 14, 2009

The History of Blue Note - 70th Anniversary

Blue-Note70th-Anniversary.jpg
マイルス、ロリンズ、コルトレーン、モンクにパウエル.............等々とジャズのレーベル・Blue Noteの歴史が凝縮されたコンピレーションアルバムは70周年記念と云うことでドーンと一日分(7.2時間)70曲が1500円なのである。70曲中で自分がCDで持っていたのは14曲で20%、残りの80%は持ってなかった。まぁちょっと....昔のジャズ喫茶の雰囲気に浸りたい向きには御誂えのアルバムである。但し835.6MBあるのでダウンロードには些か時間を要する。
Herbie Hancock - The History of Blue Note - 70th Anniversary

Posted by S.Igarashi at 01:30 AM | コメント (4)

March 13, 2009

うぐいす

今朝、今年初めてうぐいすの鳴き声を聴いた。「声はすれども姿は見せず」で、その姿を見たのは片手で数えられるほど、羽の色からうぐいすと勘違いされるメジロは時折、仕事場の窓の外の手の届きそうな小枝に止まっていることもあるのだが...

Posted by S.Igarashi at 09:13 AM | コメント (0)

March 12, 2009

iPod shuffle DJ

iPod-DJ.jpg

これは4年前に私がApple Japanの“Tell Us”に要望を伝えたiPod DJではないか。う〜む。
それに1000曲/4GBの容量は第一世代のiPodと同じではないか。う〜む。

Posted by S.Igarashi at 09:39 AM | コメント (4)

March 09, 2009

ruby

i文庫が踊り字に対応したのは解ったが「任意テキストファイル」へのルビの振り方が解らない。ならばサンプルとなるテキストファイルを青空文庫からダウンロードしてみるのが手っ取り早いだろうと、芥川龍之介の短編「芋粥」を落とし、【テキスト中に現れる記号について】を見ると...
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《》:ルビ
(例)元慶《ぐわんぎやう》の末か
:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)藤原|基経《もとつね》に
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と云うことで記号を辞書登録してから試しにegwordでテキストを編集してみた。

i文庫に読込ませる為にテキストへ書き出すのだが、踊り字等も含むのでテキスト・エンコーディングはUnicode(UTF-8)とする。テキストファイルをzipで圧縮、任意のサイトに貼り付けてから、iPhoneでダウンロード、問題なく『ルビ』が振られた文章となった。ところでルビが宝石のRubyから転用された言葉だとは知らなかった。
まぁ好奇心で初めの個所だけルビを振ってみたが、テキスト全文までは、何れそのうち....

Posted by S.Igarashi at 12:22 AM | コメント (4)

March 08, 2009

リートフェルトの建築

リートフェルトの建築
リートフェルトと云えば世界遺産・シュロイダー邸とレッドアンドブルー・チェアーが代表作であるが、それ以外の建築作品は日本では殆ど知られていない。2004年に開催されたリートフェルト展でも建築作品はシュロイダー邸だけにフォーカスした構成となっていた。その展覧会の図録にはユトレヒトの建築マップが添付されていたが、写真はまさに爪の先・サムネイルで建築の全体像をイメージすることまでは不可能であった。本書は今まで日本国内で紹介される機会の少なかった戦前・戦後の「リートフェルトの建築」の現存する姿を「撮り下ろし写真」によって記録している。それだけでも20世紀のいわゆるミッド・センチュリーのモダニズムを再考する貴重な資料となるであろう。

内容
1 家具作家から建築家へ 1917-24
2 戦前の住宅:新即物主義を超えて 1925-45
3 戦後の住宅:「生活」と「空間」の同一化 1945-64
4 「構成」と「構造」の統合を目指して 1949-64

著者の奥佳弥氏は2004年のリートフェルト展に合わせて府中市美術館で「リートフェルトと日本をつなぐもの」と題した講演を行なっている。そこでも蔵田周忠の古仁所邸や旧 金子邸にも比較言及していたが、セゾン美術館で開催された「デ・ステイル1917-1932」の図録に「デ・ステイルと日本/日本における新造形主義の行方」と云う論文を寄せている。蔵田周忠は1930〜32に掛けてベルリンに滞在、グロピウスに師事、デ・ステイルの建築に見られる「面の立体的構成」に共感し、シュロイダー邸を高く評価している。帰国後の作品は、それまでの多摩聖蹟記念館(1927)に見られる表現主義は影を潜め、古仁所邸等の「等々力住宅区計画」(等々力ジードルング)にみられる面による立体的構成をモチーフとした非対象形な建築へと変化していった。


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嘗て等々力渓谷に面したこの付近の閑静な住宅街にリートフェルト建築の影響を受けた「等々力住宅区計画」が4棟建てられた。旧三輪邸を除いて既に現存していないようであるが、その旧三輪邸も竣工当時の面影は残していない。そうした情況はリートフェルト・設計による戦前の住宅が現在でも手入れされ使用されているのに対して大きな違いがある。住宅に限らず多くの近代建築が姿を消してゆくのは、耐用年数の問題以上に建築的価値が投資に見合う金銭的対価をもってのみ評価されているからであろう。巷では中央郵便局の再開発に対し、某大臣が異論を唱えている。文化的価値から保存を望まれた三信ビルディングは既に解体されてしまった。そうした保存運動に関心を持たなかった男が俄に中央郵便局の文化的価値を語るとは...今更ながらの政治的茶番に片腹痛い...。

蔵田周忠・参考文献:INAX REPORT / 蔵田周忠・生活芸術を追及したモダニズムの啓蒙家(HTMLは抄文であるが、全文がPDFとなっている。)

Posted by S.Igarashi at 12:10 AM

March 06, 2009

東京人 4月号

東京人 4月号の特集は『花街 色街』だ。
『色街』とくればその代表は荷風ゆかりの吉原玉の井、鳩の街だが今月号の東京人は八王子にあった遊廓も取上げられているのだ。
まぁ色街の遊廓は昭和33年3月31日を境に寂れて見る影もないが、花街の方は八王子市が東京都の『江戸東京・まちなみ情緒の回生事業』の支援により八王子市中町の料亭街周辺の花街の雰囲気を回生し、落ち着きを醸しだす路地の石畳舗装、外壁の黒塀風塗装、行灯風街路灯の整備等を行なうそうである。平成21年2月13日の八王子市長定例記者会見によれば総事業費1200万円(内:都補助480万円)で9月に着工、12月に竣工ということであるが、まちなみ情緒の回生の最初が花街の雰囲気というのが...なんとも.........お好き...らしい...
MSN産経ニュースの「八王子で黒塀の小路復活へ」にある写真の路地、見覚えがあると思ったら、小学校の同級生Kが20年前位までカレーの店を開いていた路地であった。


大きな地図で見る

と云うことでストリートビューで八王子市中町界隈の黒塀がある路地。手前右の建物は既に「外壁が黒塀風」に...

3年前に撮った中町界隈の写真....「外壁が黒塀風」は未だ工事中(左端)

Posted by S.Igarashi at 09:50 AM

March 05, 2009

大黒ふ頭にQM2...


(画像:ウィキメディア・コモンズ)

大型客船RMS Queen Mary 2(クイーン・メリー2)が3月6日の金曜日、横浜港にやってくる。接岸するのは大桟橋ではなく大黒ふ頭だ。何故って?大きすぎてベイブリッジの下を通過出来ないから...。どのくらい大きいかと云うと二年前に寄港したセブンシーズ・マリナー(Seven Seas Mariner)と比べると総トン数で約3倍、長さで140mも長いのである。


大きな地図で見る

30年前くらい横浜港でクィーン・エリザベス号の出港風景を見た時、初めてフェリーニの"Fellini-Amarcord"のこのシーンが解ったような気がした。

Queen Mary 2 : Bridge Cams(QM2は今何処に...)

横浜市港湾局 横浜港客船クルーズ情報
クイーン・メリー2見学場所等のご案内
「クイーン・メリー2」入港・報道資料(pdf)
MADCONNECTION September 25, 2007:大桟橋に、、

Posted by S.Igarashi at 08:06 AM | コメント (5)

March 04, 2009

ガセネタ・ワイアード

wirediPhone.jpg

Wiredの記事『何故、日本人はiPhoneを嫌うのか。』で引用されたコメントが悪意を持ったガセネタだったと云うオソマツをlivedoor ニュースが取上げている。因みに日本語版・WIRED VISIONからは記事は削除されているが...。まぁ...なんたってメディア・リテラシーは米国と国境を接するカナダでは必修教科ですから...ね。
今回の騒動に巻き込まれた方のブログ。
Wired 騒動: レピュテーションの蓄積はコツコツと
マスコミもブログも、兜の緒を締める頃合い!?

そういえば以前、週刊文春でもiPhoneの悪口が... ありましたね...。

Posted by S.Igarashi at 10:46 PM | コメント (11) | トラックバック

March 03, 2009

mini

Still-mini.jpg
Updateは騒がず...静かに...ですが...。

モデルによってレートが105.9円から116円まで...何故...
Fottune2009.jpg

ところでFORTUNEのWORLD'S MOST ADMIRED COMPANIES Top 50でAppleが二年連続だそうで...Top10にはM$の名もみられる...しかし...FORTUNEの語源の意味を見ると...アメリカンドリームの本質も...

Posted by S.Igarashi at 11:30 PM | コメント (2)

March 02, 2009

No Line On the Horizon

杉本博司の写真を使ったU2のニューアルバムと云うことだが、オジサンには何となく四十年昔のECMのレコードジャケットのようにも見えてしまうのだが...。
しかし、この写真は昔、勤め先の先輩の実家に投宿した晩に、球磨焼酎の酔いを醒すため先輩とその仲間と歩いた荒尾の有明海を思い出させる。海岸線に平行に走る鹿児島本線を貨物列車が通る時だけ灯が見えるだけの漆黒の闇、聴こえるのは波と砂を踏む音だけ、何故か空も海もミルク色に溶け合っていたように感じていた。それは遠い記憶の全てが未分化のぼんやりとした原風景のやうなものと溶け合っていたのかもしれない。
U2 - No Line On the Horizon

Posted by S.Igarashi at 08:43 AM | コメント (11) | トラックバック