神さまがくれた漢字たち
白川 静・監修、山本 史也・著、理論社YA新書
"腰巻き"の白川 静氏の推奨文の通りである。出だしから説教魔の蘊蓄オヤジと化した金八先生が言いそうな「え、人という字は、人と人が支え合って形作られたものです。」と云った定説を真っ向から否定している。漢字の起源は紀元前1300年、今から3300年前の殷の時代につくられたものとされている。したがって、古代中国の支配の仕組みから、神と民衆の間に立つ媒介者としての王が、神との交信に用いる方法の一つが漢字であるとすれば、その時代背景抜きに漢字を理解することは覚束ない。それがタイトルの由来のようだ。
それで問題の「人」であるが、山本 史也氏は「哀れな人」と題し、支え合う人という定説を否定した上でこう述べている。
「人」の字形は、もとはすこし首をすくめた人を横から見る形で示されました。もっとも後漢の許慎の著した字書「説文解字」は、「人」を「天地の性、最も貴き者なり」と解説するのですが、どうしても「万物の霊長」を思わせるような尊い人の風貌を写す形とは見えてこないのです。かえって何かに服従してでもいるような、あるいは重いものをひしひしと背に感じてでもいるような、心なしか、うつむきかげんの姿勢を写しとった形にも見えてきます。
この「バーボン・ストリート・ブルース」は先頃、亡くなった高田渡の遺言のように思える。この本は一昨日、吉祥寺のトムズボックスで偶然手にしたものだ。たまにメディアに登場する高田渡はどうみても自分より一回り上だと思っていたが、奥付を見ると意外や意外、自分と同い年である。それで同時代を生きた者の時代の証言を読む気になった。ボヘミアン的人生を全うした高田渡はその生い立ちから漂泊の人生を約束されていたようである。最終章には「、、、そして酒がまったく飲めなくなったときにパタンと死ねたら最高だと思う。」の言葉が、これも人生。合掌。
フォークソングは僕らが高校生の時、流行った音楽だが、僕はあの私小説的な世界が好きになれず、距離を置いて傍観者として見ていただけだった。高校の同級生に"S"というフォークソングの上手い奴がいた。唄うのはもっぱらピート・シガーやディランやPPMのコピーなのだが、ギターにマウスハープ、それにウッドベースの伴奏者という、いちおう本格的にスタイルを決めていた。美術室に置いてあるトルソーのアグリッパ像に似た風貌の"S"はボヘミアンとして生き、野垂れ死にする人生を標榜していた。そんな"S"は僕に向かって「おまえはニヒルな奴だな」とよく言っていた。誰が何と思おうがどうでもよいが、"S"から見ればフォークの世界に白けていたように見えたのだろう。その後の"S"はフォークシンガーになることも、ボヘミアンになることも、ましてや野垂れ死にすることもなかったようである。
能登半島・西海岸は七海漁港の民家。249号線を挟んで日本海、これは防風、防潮の竹垣なのか。漁村には日本海の荒波だけでなく、IT化の荒波も押し寄せている。右側の電柱には工事中の光ファイバー・ケーブルが見える。
石川県羽咋郡富来町七海(しつみ)漁港(第1種漁港) 位置37-07.7N,136-43.9E付近
民家の基本アイテムは釉薬の施された日本瓦と下見板張り、山陰地方の日本瓦の釉薬は赤み掛っているが、北陸の日本瓦の釉薬は黒である。倉は海岸側だけが下見板張り、モノトーンの佇まいが美しい。
石川県羽咋市は母方の祖母が生まれたところ、祖母の生家は典型的な没落士族、曽祖父は死ぬまで髷を結っていたとか、働きもせず、他人の面倒や祭り事には私財を投げ出し、晩年、屋敷は他人の手に、最後はその長屋門の使用人部屋で息を引き取ったとか、曽祖父は時代の変革を拒否しつづけたのだろう。
昨夜、JRの踏切を渡ったところで突如現れた警官に車を止められた。酒気帯び運転の検問である。酒気帯び検査の後、「ごくろうさまでした、どうぞ。」と言う警官に向かって、私が「変じゃないか?」と言うと警官は明らかに不快感を顔に表わし「何が?」と言った。「こんな所で車を止め検問して、後続車が踏切で立ち往生したらどうするんだ。危険だと思わないのか。(酒気帯び運転の)検問なら、もうすこし交通の支障にならない場所があるだろう。」と私が言うと、その警官、困惑の表情をうかべ「そうですね、これから気をつけます。」
金沢市東山の「ひがし茶屋街」の街並保存地区である。歴史的コンテキスト度は高く、金沢21世紀美術館とは対極にある建築群である。茶屋という性格上、建物は決して開放的ではなく、格子によって街路と隔てられ街並みを殺風景なものにしている。花街として栄えた頃は、これでも良かったのであろうが、茶屋以外の店舗やギャラリー等の用途に転用するにはインターフェースに工夫が必要であろう。こうした歴史保存地区をそのまま静態保存すべきなのか、経済活動を維持するためにコンバーションし、歴史的コンテキストを考慮してリデザインすべきなのか二つの意見があるだろう。
こうして静態保存された街並みを見ると、他の解決法もあるのではないか。そう思うのも、これらの街並みが現代を生きているように見えず、日常から乖離しテーマパーク化しつつあるからだろう。
裏道に入ると、以外とモダンな感性で作られた建物に出会ったりする。
先週末、金沢21世紀美術館を見てきた。
北陸の城下町・金沢に不時着したUFOの如く金沢21世紀美術館は古都の文脈とは何の関係性も持たないように見える。その平面計画の特異さにも拘わらず周囲環境に圧迫感も違和感も与えず、ごく普通にその場所に馴染んでいる。それは外観的には平屋で、ガラスと白くペイントされたスチールと云うごく見馴れた素材による建築デザインと、道路からセットバックし建物周囲を芝生広場として開放した配置計画によるものであろう。それによって金沢21世紀美術館の裏隣に建つ平凡な意匠の金沢市役所の異様さが逆に目立つ結果となっているのは想定外なのだろうか。それでもこの建築が忽然とその痕跡だけ残して姿を消しても誰も驚かないような気もするのは何故だろう。どこか季節ごとにやってくるサーカスのテント小屋を思わせるような儚さを持っているのかも知れない。
妹島和世氏の作るような存在感の虚ろなホモジナイズされた空間の試みは彼女が初めてではない。雑誌「a+u」1972.01号の特集「"AN ARCHITECT IN AMBIVALENCE"=磯崎新」に於いて、磯崎新氏は「増幅」と云う手法概念を用いて建築や物質の持つ存在感を打ち消す試みについて述べている。磯崎新氏は3Dワイヤーフレームだけで群馬の森美術館を作りたかったのであろう。
抽象的な観念のレベルにおいては、このような無限連続立体格子は、初歩的な空間分割手法そのものだが、それを建築物として実在させるとき、その座標軸上に配列された線だけとりだすように限定することは、あきらかに反自然的な手法になってしまう。ということは、建物は、地球上にあるかぎり、一定の重力場で支配され、質量をもった物体でそれを構築する以外に方法がない。確か、林昌二氏も建築構造を必要悪と言っていたような記憶がある。
増幅の手法は、構成素子となっている物体もそれ自体の特性とは無縁の立体格子という、連続システムに従属させることにある。そのうえで枠組みそのものが浮かびあがり、すべての物体が、格子の背後に消し去られ、無化することを意図している。格子そのものが先験的に存在するのである。物体からは可能なかぎり、その材質感と重量感を消す。ねけがらの格子だけが空間を支配する。、、中略、、、このようにして獲得されるのは、無限に展開する立体格子という、比例の存在しない、したがって部分が明確化せず、物質感の希薄な空間である。これは、おそらく薄明のような、透明感と浮遊感をかきたてるにちがいない。影と色彩を可能なかぎりのせまいラチチュードの中に分布させることで、あらゆる表面を漂白し、中性化する、すると、元来各々独自の情報を内包していた物体で構成されている空間内で、判読可能のコンテキストが減少してゆく、そして茫漠とした単一の形式だけが全体を覆うことになるのである。おそらく、非実在感だけが実在するという、論理的パラドックスが具体化される。磯崎新氏が論理的に試みたことを、妹島和世氏は彼女の感性で臆面もなく実現してしまったのであろう。それは建築家としての出自から由来するものなのか不明だが、彼女が「建築構造を必要悪」といった言説や建築の常識に支配されていないことは確かであろう。
一番これが面白かったかも、、
天候によって左右されるジェームス・タレルの部屋は空が、、、、残念
そして、日曜日は輪島まで足を延ばし、二日で1200km近くステアリングを握っていた。
「ねぇ〜、もし付き合うんだったら、オタクか、ヤンキーか、どっちがいい?」
「ん〜、ヤンキーに車の話されても、わかんなくない?」
「そうね、オタクだったら、アニメとか話し合うかも。」
「じゃー、外見がオタクで中身がヤンキーと、外見がヤンキーで中身がオタクならどっちがいい?」
「外見がオタクってどういうかんじ?」
「ほら、秋葉原とかさ、、いるじゃない。」
「あ〜、それで中身がヤンキーじゃ、きもくて、話し合わないし、さ・い・あ・く〜」
「やっぱ、見た目ヤンキーで、中身がオタクなら許せるかも。」
授業前の学生の会話でした。
F1がおかしい、BAR.HONDAの二戦連続出場停止はF1崩壊の序章のように思える。既にフェラーリを除くマニファクチャー5社はF1に替わるモータースポーツを検討している。結局、今回の問題でも明解な規定がないまま、FIAがルールブックであるという専制君主的統治が明確にされたが、要するに問題はFIAを牛耳る少数の者による利益の独占に尽きるのではないか、FIAの反対勢力にフェラーリが参加していないのは、フェラーリの監督であるジャン・トッドが将来のFIA会長候補だからと云う噂も絶えない。今回のBAR.HONDAに対するペナルティもBAR代表のニック・フライが将来FIA会長選に出馬するらしいから、その前に叩きのめそうという穿った噺もある。そうこうするうちに今度はトヨタがライセンスの届けを忘れたまま今年のF1 に参戦していたことが分かった。規則に従えば獲得した全てのポイントが失効することになる。しかしFIAはこれを咎めるつもりはない。相変わらずフェラーリはFIAの定めたテスト日数を無視してテストを行っているし、FormなきFormula1には明日がなさそうである。
T君の日記にNTT光ファイバーの勧誘電話がしつこくて困っていると書いてあった。そういえば、最近は通常の業務時間外にこうした勧誘電話が増えている。たまに、(亡くなった)親爺を出してくれという勧誘電話には、連絡できないところにいます、と応えることにしている。昨日も夜の7時台に勧誘電話があった。母の名前を出して電話会社だという、こちらから文句言う前に切られてしまったが、数えで90、満89歳で病院に入院中のバアサンに電話会社が何の用だというのか、怪し過ぎる。尤も、家の母はこうした電話セールスには引っかからない。ひとしきり、相手に用件を言わせた後で、母は入れ歯をガタつかせ「何、言ってんだか分からない。フガ、フガ、」と電話を切る。そう、母は耳が遠いのだ。これは究極の勧誘電話撃退法である。
5月11日の「谷口吉生のミュージアム」開催記念・槇文彦講演会にいってきた。講演会の様子はishikawaさんがBlogdesign platformに書かれているので省くが、谷口吉生氏、槇文彦氏、共々、モダニズムの人であることを再確認することができた。槇文彦氏はメキシコのノーベル賞作家・オクタヴィオ・パスの言葉「1000人の人間がいれば1000のモダニズムがある。」を引用した。メモを取っていなかったので記憶は曖昧で聞き間違いや誤解もあるかも知れないが、その意味するところは私自身のモダニズムの解釈である「個の覚醒」と同意義であったと思う。モダニズムの反対概念は原理主義(fundamentalismーファンダメンタリズム)、つまり、個が思想、宗教に隷属し、国家に溶解する様である。それに対しモダニズムは現実世界を直視し、自己の意志で理性を持って行動することから始まる。つまり「1000人の人間がいれば1000のモダニズムがある。」と云うことであろう。それはモダニズムが決して形式主義でなく、多様な個性を受け入れるものでなければならないと云うことである。そうした一様でない"個の織りなすゆらぎ"が豊かな社会を作るのではないだろうか。
5月12日にストックホルムの自宅マンションで起きた火災でモニカ・セッテルンドが亡くなったという新聞死亡記事を読んだ。火災原因はベットでの喫煙らしい。享年67歳、合掌。日本で「ベットでたぼこを吸わないで」といえば沢たまきの定番であるが、JazzではHolly Cole Trioの「Don't Smoke in Bed」は持っているが、他に同じ曲がないかiTunesを探したけれども見つからなかった。AmazonにもHolly Cole Trioのアルバムしかない。「Don't Smoke in Bed」と「ベットでたぼこを吸わないで」は全くの同名?異曲である。沢たまきの「ベットでたぼこを吸わないで」はいわゆるピロートークであるが、Holly Cole Trioの「Don't Smoke in Bed」は置き手紙をして家を出てゆく妻の別れの最後の言葉である。Remenber darling don't smoke in bed.
シェリーズ・マン・ホールのミシェル・ルグラン
いわゆるウェストコースト・ジャズの大御所であるドラマーのシェーリー・マンがオーナーを務めるジャズクラブ"シェリーズ・マン・ホール"に於けるミシェル・ルグラン・トリオのライブ盤である。ミシェル・ルグランが映画音楽の仕事でハリウッドに訪れていた1968年の演奏である。ミシェル・ルグランは、その10年前の1958年にはマイルスやコルトレーン、ビル・エバンスらを従えた小編成のオーケストラによってルグラン・ジャズを残しているが、このアルバムではホスト役のシェーリー・マンのドラムとレイ・ブラウンのベース、そして彼自身のピアノによるトリオである。映画音楽の作曲家・編曲家として知られているミシェル・ルグランのジャズピアニストとしてのもう一つの面が伺えるアルバムである。My Funny Valentineではレイ・ブラウンのベースソロにからむルグランのスキャット・ボーカルをフィーチャーした、まさにファニーな演奏となっている。リラックスした演奏とノリの良い聴衆がニューヨークのジャズクラブとは一味違った雰囲気を伝えている。
「シェリー・マンズ・ホール」でなく「シェリーズ・マン・ホール」としたところは、オーナーのジョークであろう。CDジャケットもそれに合わせミシェル・ルグランの似顔絵をあしらったマンホール・カバーをデザインしたものとなっている。但し、オリジナルのLPでは黒地に銀紙でマンホール・カバーをレリーフした凝ったデザインであったが、CDジャケットは安易なカラー印刷となりデザインの質の低下は否めないものとなっているのが残念である。
東京新聞戦後60年 特集の60年目の風景に浅川地下壕のことが出ていた。韓国の世論調査では驚異と感じる国の第1位が日本となった。建前としては軍隊はなく、核もなく、軍事教練も行われていない日本人の多くは自分たちの国がそう思われていることが理解できないだろう。金平茂紀氏の「ホワイトハウスから徒歩5分」の5月4日付けのコラム[足を踏んだ側は踏まれた側の痛みはわからない?]を読むと、侵略された側の傷は日本人が考える以上に深い。「ホワイトハウスから徒歩5分」によれば5月の連休にワシントンを訪れた国会議員は40人を下らないと云う。そこには日本の国連常任理事国入りの根回し(効果があるとは思えないが、)も含まれているのだろう。東亜細亜の国々にとって日本の国連常任理事国入りは日本の再軍備とイコールと云う認識であろう。
東京新聞 戦後60年 特集
記憶 新聞記者が受け継ぐ戦争
60年目の風景
昭和零年 1925年生まれの戦後60年
密林状態となった庭の落葉松の根元に小さな白い花が咲いていました。ん十年以上も前に母が植えたスズランです。ファイル名を付けるためにスズランを電子辞書で検索したら"a lily of the valley"【谷間の百合】とは知りませんでした。
と云うことで静態保存してあるMacintosh Plusを久しぶりにMacOpenerでバラシてみました。既にアナログボードが御釈迦になってモニターもブラックアウトしたままですが、初めてのMacなので永久保存品にしてます。ところでMacMiniをMacintosh Plusの筐体に組み込めたら面白いでしょうね。問題はモニタを液晶に交換することと光学メディアのスロットですね。そのMacintosh Plus-G4Miniをオーディオ専用機にできたらいいですね。
MacOpenerの柄が長いのはボルトが深いところに隠れているからです。
筐体の中はこんな風です。如何にもアナログボードが古くさいですね。このサイズでもハードディスクは未だ付いていません。私が買ったハードディスクは純正の20MBでフロッピーポートに接続するもので、SCSIではありませんでした。
マザーボードとメモリです。メモリスロットは4つで256kbのSIMM四枚で1MBが買ったときのメモリ容量です。それを大枚10万円以上を投資して2MBに増設しました。1MBのメモリが2枚と回路をショートカットするためのジャンパーが付いてました。左の2枚が256kb、長いのが1MBです。マザーボード中央にある縦長のCPUは32ビットMC68000の8MHzですが、モトローラではなく日立のロゴがついているが何故だろう。しかしG5の2.7GHzと比べると、、、、ノロマな亀です。
雑誌に2MBのMacPlusを2.5MBにする方法と云う記事がありました。マザーボードの回路に手を加えるというものです。それはRAM SIZE 256K BITと云う部分の抵抗を切断して余っているメモリスロットに256kbのメモリを二枚差し込むと云うものです。もちろんAppleの保証はありません、当然自己責任です。
マザーボードのAppleのロゴ、懐かしのクパティーノ・フォント。
さて、元に戻さないと。
19年近く経っているので、プラスチックが劣化しているせいかプログラマスィッチを取り外そうとしたら壊れてしまった。残念。
筐体の内側、ご存知、Macintosh開発チームの寄せ書き。
MacOpenerと云うのが正しい名称なのか不明だがMacintosh128kやPlus等の一体型Macを開けるための道具である。使用法は写真を撮って説明しようと、、、その前にGoogle検索したらこちらにありました。名称もMacOpenerのようです。
メカゴジラのウンコではなく、シリコン単結晶のインゴットである。Googleでシリコンをイメージ検索すると何やら妖しい雰囲気になるが、シリコンウェーハとシリコンインゴットのような企業のサイトも見つかる。写真はシリコンインゴットから半導体の基板となるウェーハをスライスした残りの端部をペーパーウェイトにしたもので、玉井さんから戴いたものだ。
放浪する雄ライオンをノマドと呼ぶらしい、そのノマドがライオンの群れに遭遇し、群れを率いる雄ラインに勝ち、その群れを乗っ取ると、先ず最初に行うことは乳飲み子のライオン(以前のリーダーの子供)を殺すことである。それは乳飲み子のいる雌ライオンでは受胎しないので、雌ライオンを受胎可能にするための行為である。この話しをテレビで見ていて、30年以上前に我が家の猫に降り掛かった災難を思い出し、成程と合点した。
それは、我が家の二代目の飼い猫(雑種)が小猫を生んだときのことである。その小猫の父親の猫は遠くから通ってきたペルシャ猫の掛かった雑種であった。小猫は父親の遺伝子を引き継ぎ、愛らしい毛並みをしていた。しかし、その雑種のペルシャ猫の恋敵であった近所のシャム猫は面白かろう筈はない。未練がましく、ストーカーの様に家の周りをうろついていた。そして、家の者が目を離した隙に家に侵入、逆恨み宜しく小猫二匹を噛み殺してしまった。獣医さんの話ではシャム猫は野生の本能が強く、時に凶暴になるということだった。つまり、そのシャム猫は自己の遺伝子を残す為に雌を求めて放浪する雄ライオンに近いのだろう。
その一件の後、避妊手術を受けて、我が家に帰ってきた猫は、子供に戻ったように情緒不安定に成ってしまった。ちょっと美形で狂女な猫となったが、あまり長生きはしなかった。その後、我が家では猫は飼ってない。
今朝の東京新聞・特報欄『雪印百株運動』 酪農家の戦いより。
「農家は、農産物の自由化などで厳しい状況にずっとさらされてきた。その中でふるいにかけられ、自分の言葉で物をしゃべれない人は残っていない。でも会社という組織の中では歯車として動いていればいい。個人が個人として判断して行動していない」
先日、無殺菌牛乳を製造する酪農家を取材したテレビ番組をチラッと見ましたが、衛生管理は勿論のこと乳牛にストレスを与えないことが第一と云うことで健康な牛からしか搾乳できないという話しに納得したばかりで、やはり生き残っている農家はそれ自身ベンチャーなのですね。
昔、餓鬼の頃、米食よりもパン食の方が健康にも美容にも良いというガセネタが罷り通っていたけれど、あれは誰が仕組んだ陰謀だったのでしょうか。まぁ、やはり主食ぐらい自分で米をといで炊き上げた御飯を食べたいものです。
Keith Jarrettの7年ぶりのピアノソロ・アルバム"Radiance "(レイディアンス)がリリースされた。前回の"The Melody At Night, With You"は1998年に自宅スタジオで録音されたピアノ・ソロによるスタンダード・アルバムなのに対して今回の"Radiance "は2002年10月の大阪フェステバルホールと東京上野文化会館に於ける即興演奏による実況録音盤である。1971年の初めてのピアノソロ・アルバム"Facing You"から数えると34年経ったことになる。Keith Jarrettがジャズ愛好家のみならず、音楽愛好家に広く聴かれるようになったのは1973年の二作目のピアノソロ・アルバム"Solo-Concerts"からだ。
「どうやって何もないところから、何の枠組みもなく、演奏できるんだ?」とマイルス・ディヴィスがキース・ジャレットの自由奔放なプレイに感心したように、2002年10月30日の上野文化会館の演奏も無から音楽を紡ぎ出す試みであった。つまり聴衆は彼の創造の現場の目撃者でもある。それはライナーノーツに書かれたKeith Jarrett自身の言葉にも表わされている。
日本に行く何ヶ月も前に、あるアイディアがひらめいた。今までの私は、演奏する度にエネルギーを新しいものへと変換することに主眼を置いてきたが、今度はエネルギーだけでない、実際の楽曲形式も、新しいものに変換される素材の中に含めてしまおうと思ったのだ。ぼくが過去に行ったソロ・コンサートを聴いてきた人達の多くは、演奏の始めの部分にメロディーの要素が--それどころか、モチーフとなる要素さえも--欠落していることに(少なくとも)一瞬戸惑うかもしれない。、、、、中略、、、、、この演奏を聴く皆さんには、私のやることを辛抱して見守っていただきたい。すべての試みはリスクを伴うもので、今までにも、そうすることで皆さんにいろいろな世界を紹介させてもらってきたわけだし、今回もがっかりさせるためにこうした演奏を試みたわけではない。、、、(続く。)音楽の世界に予定調和を求めない人々にとってこのような即興演奏の現場に立ち合えることはまたとない喜びであるが、音楽に予定調和を求める人々にとって、それが苦痛であろうことはKeith Jarrettも承知であるようだ。
昨年の6月28日にその概要を知らされた"Safari RSS"がMacOSX Tigerに搭載され登場した。
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