会期も残すところ今週末までとなった八王子市夢美術館の『チェブラーシカとロシア・アニメーションの作家たち』を見てきた。
チェブラーシカの絵は見た事はあるが、物語もその作家も知らず、アニメーションも見た事はなかった。ユーリー・ノルシュテインは3年前、神奈川県立近代美術館 葉山で開かれた『話の話/ロシア・アニメーションの巨匠 ノルシュテイン&ヤールブソワ』に会期終了間際に観に行ったが、そのノルシュテインがチェブラーシカの物語をアニメーション作品に仕上げたロマン・カチャーノフの元で修行時代を過ごしていたことを今回初めて知った。カチャーノフのコマ撮りによる人形アニメーションに対し、ノルシュテインは切絵によるアニメーションだが、そのルーツを今回の展覧会で知ることができた。カチャーノフのアニメーションの中でもミトンは素敵だ。10分弱のアニメーションはYouTubeでも観られる。
因みに夢美術館の収蔵作品展示コーナーにはこの表紙の原画を描いたakiさんの立川高校の先輩・城所祥氏の作品が展示されていた。
世界は「使われなかった人生」であふれてる
沢木耕太郎・著(暮しの手帖社・刊 2001.11)
世界は「使われなかった人生」であふれている (幻冬舎文庫)
本書をいつ買ったのか憶えてないほど、読む切っ掛けもないまま、本棚で眠っていた本である。本棚から探して読もうと思った動機付けはNHK スペシャルの「沢木耕太郎推理ドキュメント運命の一枚”戦場”写真最大の謎に挑む」と日曜美術館「ふたりのキャパ」を連続して見て、そういえば『世界は「使われなかった人生」であふれてる』を持っていたことを思い出したのだ。沢木耕太郎が架空の人物名であるロバート・キャパに隠された男と女の人生に興味を抱くのも至極当然な様に思える。
巻頭の書名に使われたエッセーは映画評論家・淀川長治との対談のこんなエピソードから始まる。『...無礼を承知でこんなことを訊ねた。「淀川さんから映画を引いたら何が残るのですか、」と。すると、淀川さんは、「あんたはやさしい顔をしてずいぶん残酷な質問をするね、」と笑いながらこう答えてくれた。「わたしから映画を引いたら、教師になりたかった、という夢が残るかな」...』...別な対談で吉永小百合さんは「もし、女優になっていなかったらどんな職業についていたと思いますか。」の問いに対し、すこし考え、こう答えた「学校の先生でしょうか。」
『どんな人生にも、分岐点となるような出来事がある。.....中略....いずれにしても、そのとき、あちらの道でなく、こちらの道を選んだのでいまの自分があるというような決定的な出来事が存在する。』.....この文章を読んで或るJazzのレコードジャケットを思い出した。それは1967年のKeith Jarrettの初めてのリーダーアルバムだ。この"Life Between the Exit Signs"と云うアルバムタイトルには「人生の二つの扉」という邦題が付けられていた。サイドメンにはCharlie Haden (b)、Paul Motian (ds)、二人ともオーネット・コールマンの影響を受けたフリージャズの人だ。それまでKeithが属したCharles Lloydのグループとは方向性の異なるメンバーである。Keithは自分にとっても人生の分岐点になるアルバムに"Life Between the Exit Signs"と名付けたのである。
『一見、「使われなかった人生」は「ありえたかもしれない人生」と良く似ているように思える。しかし、「使われなかった人生」と「ありえたかもしれない人生」との間には微妙な違いがある。「ありえたかもしれない人生」には手の届かない、だから夢を見るしかない遠さがあるが、「使われなかった人生」には、具体的な可能性があったと思われる。』
本書は俗に云う映画評論集と云うべきものではなく、一つの映画をモチーフにしたエッセーを30集めたエッセー集だ。従って、各エッセーのタイトルには映画タイトルは使用されてない。暮しの手帖に連載されていたと云うのも頷ける。
目次
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・世界は「使われなかった人生」であふれてる
・出発するための裏切り(マダム・スザーツカ)
・薄暮の虚無(偶然の旅行者)
・にもかかわらず、よし(マイライフ・アズ・ア・ドッグ)
・飛び立つ鳩を見送って(日の名残り)iTunesStore・日の名残り
・天使が砂漠に舞い降りた(バグダッド・カフェ)
・焼き払え!(シルビーの帰郷)
・最後まで降りられない(スピード)
・官能的にしてイノセント(髪結いの亭主)
・不可視の街で(タクシー・ブルース)
・敗残の可能性(黄昏に燃えて)
・海を待ちながら(フィッシャー・キング)iTunesStore・フィッシャー・キング
・郷愁としての生(恋恋風塵)
・もう終りなのかもしれない...(許されざる者)iTunesStore・許されざる者
・行くところまで行くのだ(人生は琴の弦のように)
・悲痛な出来事(オリヴィエ オリヴィエ)
・プレスリーがやって来た(グレイスランド)
・水と緑と光と(青いパパイヤの香り)
・滅びゆくものへの眼差し(ダンス・ウィズ・ウルブズ)
・貧しさと高貴さと(運動靴と赤い金魚)iTunesStore・運動靴と赤い金魚
・切れた絆(フォーリング・ダウン)iTunesStore・フォーリング・ダウン
・老いを生きる(春にして君を想う)
・新しい世界、新しい楽しみ(ムトゥ 踊るマハラジャ)
・わからないということに耐えて(17歳のカルテ)iTunesStore・17歳のカルテ
・男と女が出会うまで(ワンダーランド駅で)iTunesStore・ワンダーランド駅で
・ひとりひとりを繋ぐもの(ローサのぬくもり)
・煩悩に沈黙が応える(フェイク)iTunesStore・フェイク
・笑い方のレッスン(八日目)iTunesStore・八日目
・夢に殉じる(ペイ・フォワード 可能の王国)
・父に焦がれて(セントラル・ステーション)
・神と人間(トゥルーマン・ショー)iTunesStore・トゥルーマン・ショー
・そこには銀の街につづく細い道があった
あとがきー心地よい眠りのあとで
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(エッセーのタイトルには映画名は記されていないが、参考の為、映画タイトルと映画案内のリンクを追加)
この30作品の内、10作品はiTunesStoreからレンタル可能である。因みに30作品の内、私が観たのは3作品だけ。う〜む...
「9歳のアメリカ人少女がはじめて『はだしのゲン』を読んだとき」とネットで紹介され話題となった米国人漫画家が夕刊の一面に、この記事も一つの「Beginnings(きっかけ)」から...
東京新聞・「はだしのゲン」の衝撃 米少女を漫画家に
GORAINA・Beginnings
GORAINA・‘Beginnings’ in Japanese!
パンとスープとネコ日和
群 ようこ ・著 (ハルキ文庫 む 2-4)
群 ようこの文章を読んだのは群 ようこが本の雑誌社・社員第1号時代に未だ季刊誌だった「本の雑誌」に定期掲載されていたエッセーだと思う。「本の雑誌」は四谷にあった文鳥堂書店に置いてあったバックナンバーで創刊四号くらいから読み始めたと思うが、季刊誌から隔月刊、月刊となる頃には何処の本屋でも置くようになり、そのうち本屋でパラパラと立ち読みで済ますようになった。「かもめ食堂」はレンタルDVDで見ただけで小説は読んでない。群ようこの小説を読むのはこれが初めてだ。
本書を読む気になったのは、何気に訪れた歌手・大貫妙子のオフィシャルサイトに主題歌を担当したドラマの放送案内を見て「かもめ食堂」や「めがね」のキャストやスタッフと共通する面子が揃っていた。放送は終わっているし、第一WOWOWを見られる環境にはない。iTunesStoreで検索すると「パンとスープとネコ日和 オリジナル・サウンドトラック」がリストアップされた。次にAmazonで検索するとハルキ文庫にあるようなので、買い物ついでにくまざわ書店に寄ってみた。角川文庫に較べるとハルキ文庫は弱小なので文庫本書棚の分類案内にもなく、探すのに一苦労したが、隅っこに二冊並んで置いてあった。
最近読んだ小説は青空文庫で堀辰雄の「風立ちぬ」である。主な登場人物が主人公と許婚・節子とその父の三人だけと云う極端な人物設定は煩わしい人間関係を排除しているように思えた。許婚・節子の母親について何も語られていないのは...やはり男の書いた観念的な恋愛小説だからであろう。「パンとスープとネコ日和」には堀辰雄が排除した煩わしい人間関係がてんこ盛りであるが、群ようこの人間観察眼によって可笑しみに変換されている。作者の人間観察眼はタモリやイッセー尾形、いや女性芸人の清水ミチコや友近に共通するものがありそうだ。此のような細かい人物描写は女性にしか書けそうにもない。話の内容は省くが、主人公・アキコを手伝うことになるしまちゃんをプロゴルファーの不動裕理に似ていると喩え、『ちゃらちゃらしておらず無口なお地蔵さんといった雰囲気が似ている。』には、しまちゃんの登場場面に不動裕理のイメージが付いて離れなくなった。読み終わってからドラマのキャスティングをWOWOW・パンとスープとネコ日和で確認すると...イメージが大きくかけ離れていた。昔、務めていた事務所のボスである高木さんに「子供が犬を飼いたい。と言ってるんだけど、どうしようか迷っている。」と聞かれたことがあった。その時、生意気にも私は『動物は寿命が短いから、必ずペットの死を看取る時が訪れます。それは子供の心の成長にとって掛け替えのない出来事になる筈です。』と...若気の至り...満載の発言をした憶えがある。ネコ日和も飼猫「たろ」の突然の死によってペットロスになるが...その後は小説でお確かめを...まぁ猫好きの人にはハンカチよりもタオルを用意したほうが賢明かも。
水の都市 江戸・東京
陣内 秀信+法政大学陣内研究室 編
講談社・刊
「江戸・東京」学の真打登場である。前作の三浦展氏とのコラボレーション企画「中央線がなかったら 見えてくる東京の古層」が江戸・東京の西半分の武蔵野台地に重点を置いているとすれば、水の都市のタイトル通り本書は江戸・東京の東半分に重点が置かれていて西半分の「郊外・田園」は頁数全体の二割程度である。講談社の内容紹介によると『都心や下町の川・壕・運河がめぐる「水の都」、ローマと同じ7つの丘からなる「田園都市」山の手、漁師町・産業基地・リゾート空間が重層する東京湾、武蔵野・多摩の湧水・用水が織りなす「水の郷」と、世界に類を見ない多種多様な水辺空間をもつ東京。水都学を提唱する斯界の第一人者が、30数年におよぶフィールドワークを集大成。』とある。水との関わりを通し生活者の視点から江戸・東京の歴史と現在を展望している本である。
建築家・槇文彦氏が著書「漂うモダニズム」で『...現代は極めてエキサイティングな時代なのだ。ここでも新しい建築評論のあり方が問われているのだ。大海原には多様な価値軸、時間軸が浮遊している。比較文化人類学者のまなざしが求められているのかもしれない。』と結んでいる。
陣内氏の提唱している空間人類学は地道なフィールドワークを通した建築サイドからの試みの一つであろう。都市や建築の空間の豊かさはこうした地道な積み重ねの中からしか生れないだろう。
目次
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序章「水の都市」 東京の読み方、歩き方
第1章 都心部
・江戸城と内濠・外濠
〈東京の地形はどのようにしてできたか?〉
・隅田川
・日本橋川
・神田川
〈柳橋と川文化〉
〈川沿いに魅せられた市民ランナーたち〉
第2章 江東・墨田
・北十間川
・小名木川
・横十間川
・旧中川
・仙台堀川
・大横川
第3章 港南臨海部
・東京湾
・佃
・品川
・羽田
〈お台場は日本でも有数の観光地になった〉
第四章 郊外・田園
・玉川上水
・目黒川
・善福寺川
〈武蔵野三大湧水池のひとつ善福寺池〉
〈多摩川の漁業協同組合の活動〉
・野川
〈「お鷹の道」と「史跡の駅、おたカフェ」〉
〈野川の再生活動〜水辺の空間を市民の手に〜〉
・多摩川
・府中
・日野
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追記:第1章のコラム〈東京の地形はどのようにしてできたか?〉では縄文海進期の海水位を7〜8mと定説通り、飛躍文化人類学読本「アースダイバー」の様に縄文海進期と下末吉海進期をごちゃまぜにするような愚は犯してない。(参考:東京の凸凹地図)
余談:そういえば、20年以上前、JIA主催のエクスカーションで隅田川を川下りしたとき、船上で古山クンが近くに居た陣内氏に佃の住吉神社の神輿は今でも海に入るのかどうか質問していたと記憶している。因みにその答えは...本書159頁に記されている。
詩人:アーサー・ビナードは「原爆投下は正しかった」と教育され育った米国人だが、大学卒業後、平仮名・片仮名・漢字が入り交じった日本語と日本文化に興味を持ち来日、広島で「ピカドン」という言葉に出あう。核兵器や原子爆弾は爆撃機エノラ・ゲイから原爆投下する側の言葉であり、「ピカドン」は原爆投下された市民が未知の新型爆弾に付けた、弱者からみた原子爆弾の呼名だとアーサー・ビナードは言う。
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平成25年長崎平和宣言
原爆の子
ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸