知の逆転 (NHK出版新書 395)
NHK-ETVで7月12日と19日の二回に亘って放送された「世界の叡智(えいち)6人が語る 未来への提言」の底本となったインタビュー集である。何故かNHKのサイトから番組情報にはアクセス出来ず、Googleからアクセスできるが、再放送の予定もなく、オンデマンドにもアップされてない。かろうじて残っている番組情報も放送終了後一月で消去されることから、現在の処、このNHK出版新書がインタビュー内容を知る唯一の情報源となる。
本書で紹介されている6人の中で著作物を読んだ事があるのはチョムスキーとミンスキーだけ、映画『レナードの朝』は見ていたが原作者のオリバー・サックスについては知らなかった。同様にアカマイの共同設立者の名前も初耳、DNA二重らせん構造の発見者にノーベル賞を与えられているのは知ってるが、その受賞者の名前までは記憶してない。周辺情報もなく初めて、その名前を知ったのがジャレド・ダイアモンド。彼の言う処の「文明が崩壊する5つの要素」は今日の日本国に全て当てはまるのだが、彼が核抑止力と原発を容認している処は解せない。彼にに較べるとチョムスキーはブレてない、私が疑念を抱いている世界情勢等を実に明晰に分析している。ETVの放送から一週間後の7月25日のGoogleのトップ画面を飾ったロザリンド・フランクリンを『彼女はノーベル賞に値しない。』と切り捨てるジェームス・ワトソンの「個人を尊重する」は名誉と利益を独占する勝者に対しての意味であり協力者の存在は無視すべきものであるらしく、米国が目論むヒトゲノムの知的所有権の支配独占と一致する考えだ。ワトソンは人種差別的な発言で問題を起こすこともあるようで....なんだか。
奥付のコピーライトにはインタビュアーと編者の他に5名の名前が記されているが、ノーム・チョムスキーだけは別に奥付の前頁にコピーライトが記されている。それだけ自分の発言が正しく伝えられているかチェックしているのだろう。
第1章:文明の崩壊 ジャレド・ダイアモンド
・『銃・病原菌・鉄』から『文明の崩壊』へ
・第三のチンパンジー
・セックスはなぜ楽しいか?
・宗教について、人生の意味について
・教育の将来
第2章:帝国主義の終り ノーム・チョムスキー
・資本主義の将来は?
・権力とプロパガンダ
・インターネットは新しい民主主義を生み出すか
・科学は宗教に代わりうるか
・理想的な教育とは?
・言語が先か音楽が先か
第3章:柔らかな脳 オリバー・サックス
・なぜ『個人物語』が重要なのか
・音楽の力
・人間に特有の能力について
・生れか育ちか?遺伝子か教育か?
・宗教と幻覚の関係
・インターネットが脳に与える影響
第4章:なぜ福島にロボットを送れなかったか マービン・ミンスキー
・人工知能分野の『失われた30年』
・社会は集合知能へと向かうのか
・『エモーション・マシン』としての人間
第5章:サイバー戦線異状あり トム・レイトン
・インターネット社会のインフラを支える会社
・サイバーワールドの光と影
・アカマイ設立秘話
・大学の研究と産業の新たな関係
・教育は将来、どう変わってゆくのか
第6章:人間はロジックより感情に支配される ジェームス・ワトソン
・科学研究の将来
・個人を尊重するということについて
・真実を求めて
・教育の基本は『事実に基づいて考える』ということ
・二重らせん物語
・尊厳死について
参考---------------------------------------------------------------------------------------
松岡正剛の千夜千冊・ジャレド・ダイアモンド:銃・病原菌・鉄
ほぼ日刊イトイ新聞対談:ジャレド・ダイアモンド×糸井重里
松岡正剛の千夜千冊・ノーム・チョムスキー:アメリカの「人道的」軍事主義
松岡正剛の千夜千冊・オリヴァー・サックス:タングステンおじさん
TED・オリバー・サックス: 幻覚が解き明かす人間のマインド(日本語字幕付)
松岡正剛の千夜千冊・マーヴィン・ミンスキー:心の社会
昨日(7/27)は隅田川の花火が中止になるほど烈しい雷雨に見舞われた首都圏でしたが、夕刻、山里から見た東の空は遠くに黒い雨雲と重なり合う白い積乱雲が...雷雨が近付いている様子でした。
スーパーの屋上駐車場に車を止め西の空を見上げると青空と雲の境に陽光が当り四分休符の様です。雷雨にならない間に用事を済ませなさいと云う事でしょうか...。
5年前のエントリーで軽蔑の舞台・マラパルテ邸を取上げたが、この「火のない暖炉」については書かなかった。domusによるAdalberto Libera e Villa Malaparteには平面図に室内透視図と写真も掲載されているが、軽蔑のワンシーンの様に暖炉がピクチャーウィンドウになっている事までは確認できない。リベラは初めから、この様に考えていたのか、途中で計画変更したのか不明だが、薪を置く場所は有るが、煙突らしきものは何処にも見当たらない。暖炉が南西に向いているので、冬至くらいには日没の太陽光が暖炉から差し込むかも知れない。軽蔑は1963年の作品、ゴダールは二年後の1965年に「気狂いピエロ」を発表している。「気狂いピエロ」のラストシーンでランボーの詩「永遠」が引用されているが、夕日を暖炉の火に見立てた...かも知れないマラパルテ邸から思いついたかは...不明。
と云うことでVectorWorksの太陽位置設定機能を用いて冬至の日没をザックリと検証。
マラパルテ邸の座標位置は北緯40度32分44秒東経14度15分37秒、北緯は日本の秋田と青森の県境くらい、VectorWorksのレイヤーにGoogleMapとマラパルテ邸の平面を貼付け、建物に直行する角度の時間を見ると午後2時10分、太陽高度は19.42°だ。冬至の日没は午後4時すぎくらいだろう。暖炉の向かい側にある彫刻は夕景の光に映えることだろうか。この居間は南側は寝室で塞がれ、日の出と日没を愉しむように東と西にピクチャーウィンドウが設えられている。尤も屋上には「ソラリウム」があるから...それが効果的なのだろう。
昨日の日曜美術館で「絵筆を持たない天才芸術家・岡倉天心」を放送していた。(再放送7/21)何故、この時期に天心なのかと思ったら、今年は岡倉天心の没後100年だそうだ。そういえば、2006年にはETV特集で「岡倉天心アジア100年の旅」が放送されていた。その時は「茶の本」出版100年記念だった。因みに私は青空文庫の「茶の本」はiPhoneに入れて何時でも読めるようにしている。地球の危機的状況にある今日こそ岡倉天心の思想は再評価されるべきと思う。
命を救った道具たち:高橋 大輔・著
この著者に対する知識は一切持ち合わせていなかったが東京人 8月号掲載のエッセイスト・平松洋子による書評を読み、ついAmazonでポチってしまった。恐らく藤原新也の「人間は犬に食われるほど自由だ」と云う言葉が何処かに引っ掛かっていて、本書「腰巻き」にも書かれているサハラ砂漠で野犬に囲まれた時のエピソードに反応したのだと思う。本書は45の道具とそれに纏るエピソードが綴られている。紹介されている45のアイテムは、ミニマグライト2AA、ジッポーライター、ジップロックフリーザーバック、イリジウム衛星携帯電話、又鬼山刀、フィルソンウールパッカードコート、モレスキン、ダナーライト、ロレックスエクスプローラ、釘、スキットル、ナイジェル・ケイボーン、ピュア、スントMC-2G、外国語の辞書、ガスマスクバックMkVII、1ファージング銅貨、エスビット ポケットストーブ ミリタリー、シャワーキャップ、『ナショナル ジオグラフィック』、ライカM9、銀座梅林の箸袋、温度計、ウィリス&ガイガー、地球儀1745、ソニー短波ラジオ、ボウタイ、ファイヤー・アイロン、ぺんてるマルチ8、タスコ#516、巻き尺、オスプレイ ソージョン28、パンダナ、シエラカップ、ケフィイエ、リライアンス、GPS受信機、アネロン、探検のガイドブック、モスキートネット、ブライトリング エマジェンシー、パックセーフ カバーセーフ100、スイススパイス、壊れた羅針盤、探検旗である。直ぐに言葉からイメージできる物から、何のことか分からない物まで多種多様である。
誌面構成は一つのアイテムで見開きの四頁を使用、最初の見開きは右頁にタイトルと本文、左頁には、そのアイテムのカラー写真をレイアウトしている。次の見開きの右頁に本文とそのアイテムを使用した場所を世界地図にプロット、左頁にはエピソードに関する写真と本文がレイアウトされている。何れのアイテムも著者自身の失敗を含む体験に基づいて選ばれている。この頁の写真はサブマリンパンツとフライトパンツだ。海深く潜る潜水艦の乗員の為に作られた作業着と、空を飛ぶ飛行機のコクピットに身体を固定した乗員の為の作業着、どちらも自由の利かない姿勢でも使いやすい位置にあるポケットがミソである。
何れのアイテムもブランドやネームバリューやカタログスペックを基準に選ばれたものではなく、自身が単独で冒険旅行する際に身に付け、その道具と共に生還できた物である。中には「銀座梅林の箸袋」や「1ファージング銅貨」とかジンクス担ぎのお守りも含まれているのも一つのリアリティかも...、そして必ずしもモノ本来の用途や機能にこだわらない事例も多くあり、逆境で生き残るには知識だけでは無理、知恵と機転が必要と云う事だろう。
3.11以後、矢鱈と「安全・安心」が叫ばれているが、そんなものは神話にしか過ぎないこと3.11で思い知った筈なのに、政界、経済界、報道を含め、懲りない輩が多すぎる。
現実と虚構の見分けが付かない所為か、近頃、携帯を見ながらチャリを漕いでる輩や、駅のプラットホーム際を歩いている輩など、サバイバル意識ゼロの人間が老若男女合わせて矢鱈と増殖している。兎も角、自分の命は自分で守らなければいけないと肝に銘じる次第である。
私は所謂、市販の固形カレールウを使わない派である。一人暮らしを始めた頃に最初に憶えたカレーのレシピは新宿中村屋のチキンカレーを家庭用にアレンジしたものだった。仕込みから仕上げまで一日掛かり、工程を端折っても半日ぐらいは手間を要するので、カレーを食べたくなっても直ぐに...と云う訳にならない。そんな時、レトルト食品の世話になる事もあるが、食後の満足感は非常に少ない。
先日、スーパーで目に付いたのが、フライパンで作るインドカレーの素である。物は試しと...出講日の夕食に使ってみた。鶏肉を炒めてカレールウで8分煮込むだけとあったが、一手間加えようと、駅前の京王ストアで鶏肉とヨーグルトを仕入れ、家に帰ってから炊飯器をセットし、鶏肉にカレー粉をまぶし、ヨーグルトに漬込んでから、シャワーで汗を流し暫し休息。
オリーブオイルで鶏肉を炒め、冷蔵庫にあったシメジを加え、冷凍庫にあった使い残しの冷凍カボチャも加え、煮込む事、10分弱。味は人夫々好みがあるだろうが、レベルは低くない。食材として常備しておくと、いざと云う時に使える。
民間によるテレビの商業放送が開始されてから60年だそうである。嘗て大宅壮一はテレビメディア黎明期に際し、その内容の程度の低さに「一億総白痴化」を憂いたと云う。そして、近未来のメディアをテーマに1965年に書かれた筒井康隆の「48億の妄想」は既に現実のものとなっている。某・女性アスリートの写真を見せられ嬉々として街頭インタビューに応える母娘らしい二人連れは実に都合よくメディアコントロールされ「48億の妄想」の世界そのものに見える。そういえば一億総白痴化を憂いた人の娘もマスゴミで高飛車なコメントをウリにしているくらいだから...なんとも情けない世の中である。
追記:笑犬楼大通り
昨日発売の東京人の8月号・特集「東京の古道を歩く」は久々に充実した内容で買いである。最近、地図系特集記事の内容が矢鱈と凸凹地図ばかりで些か食傷気味であったが、今回の巻頭特集「キーワードで探す古道五選」は明治時代と現代の地形図を比較した図版が見やすく判りやすい。それもその筈で、嘗てMac系の雑誌でビギナー向けの記事を多く書いていた荻窪圭氏によるものだ。因みに荻窪氏は先々月も、タモリ倶楽部の「千年前のロードマップ奈良・平安時代の東京古道を行く!」に出演、タモリ相手に品川道について蘊蓄を語っていた。
之潮の芳賀さんは『江戸城内を貫く鎌倉道の記憶』と『道の権力論 「まっすぐ道」が「ミ・チ」の起源』を寄稿。そういえば「土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く」の著者は尾根道に繋がる半蔵門を江戸城の正門と読み解いていたが...。
八王子界隈では浜街道(絹の道)が紹介されているが、どうやら武蔵國と相模國を結ぶ七国峠の鎌倉道は忘れられた古道の様である。
「戦後腹ぺこ時代のシャッター音」と「復刻版 岩波写真文庫・赤瀬川原平セレクション」は6年前に手を入れたが、岩波写真文庫の全容を見る良い機会なので、昨日午後、岩波写真文庫の写真原版も展示されている「岩波書店創業百年記念展〈岩波写真文庫〉とその時代」を銀座AppleStoreと道路を挟んだ銀座通り並びにある教文館で見てきた。1950年代に刊行された岩波写真文庫の新風土記シリーズ等はNHKの新日本紀行シリーズに影響を与えているなぁ....と思えたりとか。復刻はされていないが海外ロケによる「アメリカ人」と「アメリカ」も...ベトナムや東西冷戦や公民権運動で疲弊する前の...米国の良き一面が見られるが...果たして敗戦国の取材人が自由に動き回れたかは...どうなのだろう。とか...色々と考えさせられる展示でもある。