June 22, 2013

2010

iTunesStoreで1984年制作の映画「2010: The Year We Make Contact」をレンタルした。ロイ・シャイダー演じるフロイド博士が使用しているApple IIc(with the Apple Flat Panel Display attached)の登場シーンがこの浜辺だけで、僕が観た劇場版では自宅で使用しているシーンもあったと記憶しているのだが...115分のレンタル版はどうも尺を短く編集されているらしい...Amazonで調べて見ると126分のワイド版もあるから僕が観た劇場版はそれらしい。ところで、既に2010年から3年過ぎ、未だ人類は木星まで到達してないが、ハンドヘルドなパーソナル・コンピュータはアーサー・C・クラークの想像を超えているようである。

Posted by S.Igarashi at 10:50 AM | コメント (2)

June 06, 2013

用・強・美

漂うモダニズム」(槇 文彦・著)の第5章「作家と作品」の361頁を読んでいると次の一説に目が止まった。

かつて建築家ヴィトルヴィウスが述べた「用強美」の中で美はラテン語で「venustas」 といわれていた。しかし最近ある学者は実は彼がいっているのは〈美〉ではなく、より普遍的な価値すなわち〈悦び〉だと提言しそれが現在では通説となっている。

槇氏は同じことを工学院大学・建築学部開設記念レクチャーシリーズでも語っている。
何故〈悦び〉が〈美〉に置き換えられたのだろうか、興味深い処である。一つはカソリックによる支配を強固にする為の施策でもあろう。ルネッサンスとされているムーブメントも一神教のカソリックからすれば異教であった筈の多神教時代の古代ギリシャ・古代ローマの思想を都合よく解釈し理論武装していったものだが、例えば『美は神の属性』とするプラトンの思想は法王庁にとって、最強の武器であり、〈悦び〉を〈美〉に置き換えれば、建築は絶対的存在と成り得ただろう。

Posted by S.Igarashi at 09:27 AM | コメント (4)

June 03, 2013

漂うモダニズム

漂うモダニズム
1992年に筑摩書房より出版された「記憶の形象―都市と建築との間で」から20年を経て出版されたエッセー集である。今回は新進の出版社・左右社からの刊行だが、装幀とカバー写真は前作と同じ矢萩喜從郎氏によるもので書棚に並べても座りが良いものとなっている。
帯に書かれた本文の抜粋
『「半世紀前に私がもっていたモダニズムと現在のそれは
何が異なっているのだろうか。
ひと言でいうならば五十年前のモダニズムは、
誰もが乗っている大きな船であったと言える。
そして現在のモダニズムは最早船ではない。
大海原なのだ。」』
を読むとモダニズムをデモクラシーと置き換えても意味が通じるほど、1992年から2012年に掛けてイラク戦争、グローバリゼーション、同時多発テロ等、政治的、国際的、経済的、にも多難な時代に我々は置かれている。私はこの10年程の間に二度ほど、「2005年・「谷口吉生のミュージアム」開催記念・槇文彦講演会」と「2008年・トウキョウ建築コレクション2008・槇文彦特別講演」の講演を聴く機会があり、本書はその講演内容をもう一度記憶から呼び覚ますには待望の一冊でも有った。

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〈内容〉
1 モダニズムの現在
・漂うモダニズム
・建築のモダニティそして現在という意識
・玉葱の皮、或いはクリスタル・ボウル
・グローバリゼーゼーションの光と影
・空間、領域、知覚
・ユニヴァーサリティについて
・建築はいかに社会に潜在するものを実現しうるか

2 回想の半世紀
・群造形との四十五年
・ワシントン大学時代
・アーバン・デザイン会議56
・回想としての「平和な時代の野武士達」
・自分と出会う
・言葉、風景、集い 日本の都市・建築の近代化の中であらわれた特性
・「アプローチ」の歩みと半世紀

3 時評
・ブラジリア再訪
・ル・コルビュジエ・シンドローム
・ルネサンスのまなざし
・日本で建築をつくるということ
・日本の新しい世代の建築家たち
・多焦点都市東京と文化拠点の展開
・銀座独り歩き
・都市に咲いた小さな異郷
・都市住居における社会資本形成は可能か
・夏の定住社会

4 追悼
・三人の作家が残したもの
・画家・岩田栄吉
・木村俊彦 建築のための構造家
・至高の空間 丹下建三

5 作家と作品
・建築家・村野藤吾の世界
・印度の建築家・ドーシ
・前川國男と現在
・静けさと豊かさ 谷口吉生の建築
・都市の内から 富永譲
・千葉学の建築
・矢萩喜従郎 旅人の世界
・最後のモダニスト、アンジェロ・マンジャロッティ
・ハインツ・テーザー展に寄せて
・永遠の青年作家・飯田善國
・I・M・ペイへのインタビューを終えて
・ロンシャンの礼拝堂と私
・今も近くにいるコルビュジエ
・東方への旅とラ・トゥーレット

6 書評
・限りなく広がる時空の中で
・時間の中の建築
・林昌二毒本

7 作品に寄せて
・独りの為のパブリック・スペース
・大きな家・小さな家
・風景の使者 フローニングの実験
・ヒルサイドテラスとソーシャル・サスティナビリティ
・日本の都市とターミナル文化
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第7章の「・独りの為のパブリック・スペース」から「都市の孤独」の一部(423〜424頁)を引用したい、これは2008年の3月の講演で語ったものと重複する内容で講演のスライドは本書(424頁)でも使用されている。

.....かつてある知人は美術館で優れた作品と対面している時、そのとき本当のプライバシー、つまり誰にも侵されない自分だけの世界が存在することを感じると語っていた。孤独感を愛するということはそうした経験を指すのである。
..........中略.........
こうした資本の論理はあらゆる施設に拡大しつつある。六本木の国立新美術館に行く。美術の鑑賞を終えれば、まずは巨大な吹抜け空間に向き合わなければならない。ホワイエのエッジに設けられた休憩用のベンチに止まり木の鳥のように人々が座っているが、多くは観賞後のひとときを寛いでいる姿でない。表参道の巨大なショッピングモールについても似たような風景が展開されている。ベルトコンベヤーのようなパブリックスペースはヴィジターに独り佇む余裕を与えない。....

更に自ら設計したテレビ朝日のアトリウムにも触れ...開館当時、最も静かで寛げたパブリックスペースが宣伝販促関係のグッズやら垂れ幕で占拠され...建築家の願望と異なった風景に触れ。こう結んでいる。
本来、パブリックスペースとは人を集め、流す道具立てだけではないはずである。つくる側の、設計する側の、そしてそれを利用する人々のこうした現象に対する批判能力が停止した時、我々の都市から〈優しさ〉が次第に消失していくのではないだろうか。

追記:先日「歩兵第3連隊・跡地」で美術を鑑賞しエントリーを書いた後、そうだ、「漂うモダニズム」はまだ書きかけのままだった事を思い出し、急遽エントリー。
参考
工学院大学・建築学部開設記念レクチャーシリーズ
槇 文彦「建築設計のなかで人間とは何かを考える」
追記
JIA MAGAZINE AUGUST2013 新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える

Posted by S.Igarashi at 10:16 AM | コメント (3)