July 03, 2007

Pedestrian deck

何だか19世紀末から見た未来世紀的風景のようです。私にはこの歩道橋が監獄の囚人用運動施設のように見えました。
みなとみらい地区から海側を歩いてくると、歩道橋はJICAの建物には繋がってますが、歩道から直接上る階段が見当たらず、遠回りして横断歩道を歩いたので歩道橋を渡らずに済みましたが、、、こんな歩道橋は昼間でも一人では渡りたくはありません。
map

Posted by S.Igarashi at 12:25 AM | コメント (2)

June 22, 2007

カンバン・2.0

デザイン制作に時間が掛かったのでしょう、不貞腐れてカンバンに寝そべってしまった。

カンバンだらけの亜細亜的風景なのに欧米か、、、。

Posted by S.Igarashi at 08:55 AM | コメント (0)

November 14, 2006

歩車道分離


(・・;)、、、

Posted by S.Igarashi at 10:37 AM | コメント (3)

October 18, 2006

土木絵葉書

dobokucard.jpg

音無橋をネット検索して見つけた土木学会図書館の戦前土木絵葉書ライブラリ、土木関連の絵葉書3,600点が収録されている。

Posted by S.Igarashi at 08:57 AM | コメント (0)

June 16, 2006

オルタナティブな都市計画

先日、書店で立ち読みした新建築に興味深い記事が掲載されていた。東京大学・大野秀敏研究室によるFiber City/Tokyo2050と名付けられたプロジェクトは「縮小の時代の都市モデル」と定義づけられている。この構想は経済発展を基盤に据えた拡大・膨脹を続ける都市へのアンチテーゼと云えるだろう。既に郊外の団地では過疎化が現実問題となっており、「Mの時代」に代表されるデベロッパー主導による都市開発への警鐘でもあろう。因みに大野秀敏氏は槇文彦氏による「見えがくれする都市」の共同執筆者の一人である。

Posted by S.Igarashi at 12:35 AM

May 21, 2006

多摩ニュータウン

地形が新都市の骨格を形成している見本のような多摩ニュータウンです。北側に位置する谷道の幹線道路(多摩ニュータウン通り)と、南側に位置する多摩丘陵の稜線を走る尾根幹線道、その間を繋ぐ枝線道路は谷戸に設けられているのが地形図から読み取れます。丘陵の上は宅地造成され住宅団地が建設されているので等高線の間隔が緩くなっているのが解ります。地形図中央の等高線が密な場所は府中カントリークラブです。ここはニュータウン建設前の地形が略残されている場所でしょう。枝線道路が走る谷戸には丘の上の団地を結ぶ歩行者道路の陸橋が設けられ、高低差の解消と車と歩行者分離が計られているようです。何れにせよ立体交差とカーブした道路、均質な街区によるものか初めて車でニュータウンに入ると多少迷いますが、しかし横浜の港北ニュータウン程ではありません、それは多摩ニュータウンの方が都市の骨格が解りやすいからかも知れません。

と云うことで、昨日はわきたさんに同行して多摩ニュータウンを車による手抜きミニダイブでした。パルテノン多摩の歴史ミュージアムで待ち合わせし、尾根道から永山地区、多摩市百草の稲荷塚古墳、南大沢地区の欠陥高層住宅の建替え工事を横目でみて鑓水の絹の道資料館、ここまで来たついでに八王子みなみ野シティまで足を延ばし、この国の住宅行政の40年間に亘る変遷を無謀にもたった半日で俯瞰してみました。
参考サイト
都市環境デザイン会議と云う組織がありますが活動が盛んなのは下記の関西ブロックのようです。
都市環境デザイン会議・関西ブロック
実際に多摩ニュータウンの開発に携った上野泰氏のセミナーの記録があります。
都市環境デザインセミナー・ニュータウンを超えて

Posted by S.Igarashi at 02:17 PM | コメント (0) | トラックバック

April 29, 2006

五輪招致

正式に東京都が五輪招致に立候補したようである。
東京新聞・都が五輪正式立候補
朝日新聞・石原知事、五輪誘致に自信
どうやら、あまりにも非常識な代々木公園を潰してスタジアム建設する案は立ち消えたようであるが、どうも裏では建築家による営業的根回しが垣間見えるようで、なんだかである。晴海や築地が候補地になっているとすれば、こうした風景も消えてしまうのだろうか。

Posted by S.Igarashi at 11:17 AM | コメント (5)

February 22, 2006

wall hole

今日の午後、八王子税務署で確定申告を済ませた。税務署は八王子駅南口から徒歩数分のところにあるが、駅南口は再開発計画の為、至るところで更地となり虫食い状態となっている。そうした中、駐車場となった一面に接した壁は何を伝えているのやら。

Posted by S.Igarashi at 07:16 PM

February 10, 2006

グラウンディングのまなざし

tenplusoneweb.jpg

「東京ナス化計画」の石川初氏が2006年1月8日に「東京グランディング」と称したフ ィールドワークを行なっている。その詳細は『10+1』No.42(3月下旬刊行予定)において紹介されるようだ。"10+1 web site"の小さな地図から推測すると行路は新宿副都心から愛宕山近辺のようで、行路の一部は我々が「第三回アースダイビング」で徘徊した場所と重なっているようだ。
アースダイビング@江戸東京地下水脈の後ではあるが東京の水 2005 Revisitedの様なブログも見つかった。地形への関心は静かに深く広がりつつある様だ。
わきたさんが、更に発展させたエントリーを書いてくれた。
石川さんたちの『グラウンディングのまなざし』

Posted by S.Igarashi at 02:40 AM | コメント (4)

December 29, 2005

浜名湖の立面図

ElevHamanako.jpg

浜松の古山くんが(社)静岡県建築士会浜松支部による【「浜名湖の立面図」展のパンフ】をweb上に公開した。

Posted by S.Igarashi at 09:01 AM | コメント (0)

November 27, 2005

神も仏も、、、

先日のアースダイビング@下北沢は代々木八幡宮から北沢八幡神社まで足で縄文期以来の地球の起伏を感じとるウォーキングであったが、途中では都市計画道路・補助54号線の予定地を歩く目的もあった。カトリック世田谷教会の建つこの場所に都市計画道路・補助54号線が計画されている。都市計画道路・補助54号線は「航研通り」の三角橋から下北沢駅北口の横浜銀行を通過し環状7号線の新代田駅・北側に抜ける道である。この計画道路は下北沢駅前開発計画に伴い急浮上した都市計画道路だ。計画が実行されると左写真のグロッタ(洞窟、岩窟の意味)はブルドーザーの餌食になる。

さて、こちらはカトリック世田谷教会から南に約700m離れた場所にある森巌寺の墓所なのだが写真のように小山を残して墓石が撤去されている。以前はこのGoogleの衛星写真のように小山の周囲が墓所となっていた。この場所をどのように開発するかは住職と檀家総代の考えによるのだろうが、これでは仏様もゆっくり寝ていられないだろうね。因みに森巌寺の裏山にある本村遺跡からは弥生式土器が出土されていると云うことである。ん〜墓所中央の小山が気になるのだ

Posted by S.Igarashi at 03:00 PM | コメント (2)

March 21, 2005

江戸から東京を望む

hamari9fujimi.jpg

Posted by S.Igarashi at 09:01 AM | コメント (0)

December 16, 2004

悪意の縁石

akui.jpg

昔読んだ、エドワード・ホールの著作「隠れた次元」で隣家の眺望を奪う目的だけの為に作られた家の写真を見た事がある。これは半分に切り分けられた庄屋様のアプローチと門(木の影に隠れて見えにくい)と悪意の縁石に悪意の擁壁である。こうして土地を金に換えることによって多くのものが失われてゆく。

Posted by S.Igarashi at 02:51 PM | コメント (0) | トラックバック

December 11, 2004

宅地造成-2

minamino0412101.jpg
11月3日にエントリーした八王子みなみ野の宅地造成現場付近の仮設道路が本設に付け替えられた。昔は車がまともにすれ違えない道だったので便利にはなったが、それにしてもこの擁壁の高さは異様である。今度は仮設道路だったところを盛り土して宅地に造成している。(写真の右側にJR横浜線・線路がある。)

なかなかの急坂です。100%盛り土の造成地。

Posted by S.Igarashi at 01:43 PM | トラックバック

November 03, 2004

宅地造成

minamino041029.jpg
八王子は都市機構(旧住宅都市整備公団)によるみなみ野シティ内の横浜線(左手)に面する宅地造成の現場風景。この道路は仮設道路、コンクリート擁壁の辺りに昔の道があった。最近の宅地造成は、何もない所にいきなりコンクリートの壁が立ち並ぶ。その後にダンプで土砂を運び、重機で土を盛ってゆく。コンクリートの壁も現場打ちとは限らず、プレキャストコンクリートも多い。何れにせよ、近い将来ここに住まいを求める人は昔の風景や地形を知る由もない。

Posted by S.Igarashi at 01:31 AM | コメント (0) | トラックバック

July 16, 2004

都市河川の再生

東京でオープンスペースを探すとなると、かろうじて水の上が残されているだけだ。その水の上も日本橋に代表されるように、首都高速で空が塞がれてしまっている。東京と同様に韓国・ソウルでも都市河川を高速道路で塞いでしまった。しかし、韓国ではその間違いに気付き、高速道路を取り払い、河川を蘇らせる事業が進められているという。
東京新聞2004.07.06朝刊都心の水辺再生、ソウルに学べ

Posted by S.Igarashi at 10:37 AM | コメント (0) | トラックバック

June 14, 2004

乱用される土地収用・病める米国

6月11日深夜のCBSドキュメントを見た。メインテーマはカリスマ主婦のマーサ・スチュワートを巡るインサイダー疑惑だったが、二つ目のテーマに病める米国の側面、頽廃する資本主義国家を見る思いがした。
オハイオ州クリーブランド郊外のレイクウッド市の閑静な住宅街を巻き込んだ再開発計画の騒動は行政側の市が私有地を強制収用して、その土地をデベロッパーに売却、デベロッパーはその土地に高級コンドミニアムとショッピングセンターを建設するという。つまりは行政がヤクザまがいな地上げ屋の代行をするという、とんでもない計画である。市側の言い分は高級コンドミニアムとショッピングセンターが建設されることにより市の税収が増えて財政が潤う、従ってこの計画は公共の利益になると云うものである。

住宅地を強制収用するにはその土地が荒廃地区に指定されていることが条件となるが、その条件を指定するのは行政側である。レイクウッド市では次に定める基準を満たしていない住宅は荒廃地区の指定を受けるように定められた。ベットルームが3以上、バスルームが2以上、住宅内に2台のガレージ、空調システム、敷地は446平米、以上の条件を満たしていなければ住宅は荒廃していることになる。因みにこの基準ではレイクウッド市の住宅の90%以上は荒廃住宅の適用を受けることになる。この基準では再開発計画を推し進めようとしている市長が住む家もバスルームが一つだけ、ガレージは別棟、空調設備は全室完備していないから荒廃住宅になるという矛盾。
米国ではこの五年間で、行政が個人の財産を強制収用して大企業や繁盛している店舗に売り渡す例が一万件を超えると云う。
アリゾナ州のメイサ市では角地にある自動車修理工場の土地を欲した近隣の金物店が直接その自動車修理工場の所有者に交渉することをしないで、市側に働きかけ、行政の力で収用権を行使することを要求。金物店の経営者は再開発が公共の利益になることを主張する。
N.Y.市ではタイムズスクエアの数ブロック先の地区を荒廃地区に指定、強制収用した土地をニューヨーク・タイムズと大手デベロッパーに売却し、そこにニューヨーク・タイムズの本社ビルを建設するという計画。CBSの取材チームに対してニューヨーク・タイムズ側は取材を拒否している。

この番組が米国で放送されたのが2003年9月、その後、レイクウッド市の件は住民投票の結果、計画は白紙撤回、市長はリコールされ失職した。アリゾナ州のメイサ市の件は自動車修理工場の勝利。しかしN.Y.市で起こされた裁判では住民側が敗訴している。

1970年代後半から80年代の初めくらいまで我が国でも放送された米国のテレビ番組「刑事コジャック」はN.Y.市を舞台にしたドラマであったが、その時初めて耳にした言葉がマフィアによる「地上げ屋」であった。それから数年経ってバブル期の頃は「地上げ屋」の言葉を耳にしない日はなかった。
地上げの時代・昭和も遠くなかりけり
米国で起きた社会現象はその数年後、日本でも起こると言われる。そこで、気になるのが有事関連法案である。そこにある私有地の強制収用権が悪用されることがないであろうか。多国籍軍への参加は現行法でも問題なしとする内閣法制局である。憲法違反が明らかでも、平気で解釈をねじ曲げる為政者がいる限り不安はなくならない。

Posted by S.Igarashi at 09:00 AM | コメント (2) | トラックバック

April 30, 2004

圏央道

先日、京王線高尾駅のプラットホームから裏高尾方面を見ると、中央高速と圏央道のジャンクション工事がかなり進んでいたのに驚いた。あきる野ICの問題も土地収用が解決しないのにイケイケドンドンで手を付けたモノ勝ちでは、どこか軟派のコンパとレベルが同じ。と云うわけで午前中にちょっと裏高尾まで足を延ばして写真を撮ってきた。

八王子ジャンクションの中央高速下り線ランプウェイの工事


反対派の看板。


八王子ジャンクション付近
工事はこのランプウェイだけで終わらない。圏央道の本線はランプウェイの間を左手から右手へ谷を越えて高尾山の中腹に突き刺さる。


集落の遥か頭上を走るランプウェイ。長閑な山里に見えるが、夜間はJR中央線や中央高速道路の暗騒音は絶えることはない。周りが静かなだけに余計に音が目立つのである。

道路行政が出鱈目なのは圏央道だけではない。高尾山を貫通した圏央道が甲州街道(国道20号線)と接続するインターチェンジに結ばれる八王子南バイパスの存在も紆余曲折している。これも元々は東八道路(高井戸と八王子間の都市計画道路、細切れ状態、いつ完成するか誰も予測できない。)がめじろ台南側の椚田遺跡公園通りに繋がり高尾山南側まで延長される予定であったが。高楽寺や浅川地下壕に掛かるために計画が変更され、片倉から八王子みなみ野へ、それから八王子医療センター前の道路から紅葉台団地と拓大の間を通る案に変更された。これも途中の寺田地区に住宅地があり一筋縄ではいかないだろう。
笑ってしまうのが、この八王子南バイパスのルート変更が決定された途端に椚田遺跡公園通りに繋がる途中の道路用地を押さえていた或る学校法人がその土地を手放したことだ。それまで学校名の書かれた工事用スチールフェンスで囲われていた用地は、普通のメッシュフェンスに変わり、そこに牛が放牧されるようになった。暗躍するブローカーや政治家の影よりも牛が草を食む姿の方が遥かに心和む。

帰りに寄った峰尾豆腐店はBe-eaterに「するさしのとうふ」のタイトルでエントリーを書いた。


2004年8月18日 東京新聞朝刊・多摩版
クリックで拡大

Posted by S.Igarashi at 02:09 PM | コメント (1) | トラックバック

September 20, 2003

街路樹

ある政令指定都市に勤める造園設計技術者から聞いた話しである。近年、街路樹にケヤキ等の落葉広葉樹を植えるのが困難になっているという。それは排気ガスによる大気汚染等の環境問題でなく、毎年、秋になると訪れる落葉が問題になるという。車道は道路清掃車で夜間清掃すれば良いが、歩道は機械任せにできず、人手に頼るしかない。自治体による清掃が行き届かなければ住民からの苦情も多くなる。
かっては、自分の家の前の道は家主が清掃するという不文律があった。長屋の住民は路地を掃除、大店の主は小僧に店先の掃除をさせる。店先や門前が散らかったり汚れているのは家主の恥でもあった。
そう、昔は住民の誰もが「レレレのオジサン」であり「レレレのオバサン」だったのだ。掃除をしながらでも、通行人に「お〜出かけですかレレレのレ」と声を掛ける。このような町は当然の如く犯罪の発生率も少ない。

ケヤキを街路樹に植えられなくなった公園課は住民の同意を得やすい常緑広葉樹を街路樹に選ぶようになった。何のことはない落葉の季節が秋から春に変わっただけのことである。

原宿の表参道からケヤキ並木がなくなったらどうだろう、とたんに土地の価値も下がるだろう。結局は自分の暮らしている土地の価値を高めるのは住民の意識の向上しかないと思う。

Posted by S.Igarashi at 09:59 PM | コメント (1) | トラックバック

September 19, 2003

街路樹はどこへ?

10年以上前の南青山5丁目のFrom-1stの前の写真である。道の先にコレッツォーネも既に建っているから、From-1stが完成してからも10年位は経っている時の写真かも知れない。

From-1stの設計は先日もトリビアの泉に出演した建築家の山下和正氏、施工は確か竹中工務店と記憶している。From-1stが建つ前ここには木造瓦葺きの日本家屋の屋敷があった。この道は高木滋生建築設計事務所に勤めているときにも、毎日通っていたし、事務所を辞めて5年ほど経ってから、再び近くに事務所を借り、10年近くいたので、裏道から、地形がどうなって、どこに関東ロームの地山があるか、或いは埋め立て盛り土された所とか地盤の状況まで結構詳しい。
表参道から根津美術館北門までの通りを「みゆき通り」と言われていたのは地元のそれも年配の人しか知らないと思う。僕も地元商店会発行のタウン誌でその事を知ったくらいである。その「みゆき通り」には街路樹として豆科のニセアカシア(和名:槐--えんじゅ)が植えられている。もちろんFrom-1stの前の何も植えられてなく地面が露出している場所にもニセアカシアが植えられていた。
工事に先立ち、工事車両の進入のため歩道が切り下げられ街路樹が撤去され、その部分にゲートが設けられ現場周囲は仮囲いが設けられた。それは役所に道路使用許可等の申請手続きをしたうえで行うことなので何の問題もない。
工事が終わり、歩道が切り下げられた個所も原状復帰し、低木のツツジが植えられガードフェンスも設けられたが、撤去されたニセアカシアの街路樹が再びこの場所に植えられることはなかった。

これも法律的にはたぶん何の問題はないのだろう、例えば国立公園内の敷地で仮に高木を30本伐採して建物を建設して、後から低木30本植えれば、数の帳じりが合うので、そのように指導された体験もあるので、街路樹の原状復帰も高木と低木の区別をしていないのかも知れない。

しかし、歩行者にとって街路樹が消えてしまうのは寂しい限りである。

Posted by S.Igarashi at 11:13 AM