April 20, 2017

飛行機雲...

午前中、八王子南郵便局からの帰り、工事途中の八王子南バイパスの西行き正面に富士が...この季節にしてははっきりと見えたので、栃谷戸公園に立ち寄り車を止め、展望台からiPhoneで撮影。みなみ野の開発で、七国峠に通じる、この公園付近の鎌倉古道は消えてしまったが、この風景から人工物を消し去れば古の人々が見た風景とそれほど変らない筈だ。もちろん人工的に発生した飛行機雲も消し去った方が良いだろう。

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April 14, 2017

山桜 2017

水仕事をしていると台所の窓から山桜の花びらが舞い落ちるのが見えた。昼食後の腹ごなしに裏山から初沢城跡まで往復小一時間弱の散歩...去年よりも一週間程度...春がゆっくりです。山道の脇では控えめにミツバツツジも咲いていた。

Posted by S.Igarashi at 03:54 PM | コメント (0)

April 10, 2017

浦安・幕張・稲毛

お断り:1月10日に記事を書いたまま公開するのを忘れていた。もしかしたら何か付け加えようと考えていたのかも...。
上記の地図は昭和36年12月20日発行の帝国書院・中学校社会科地図(最新版)である。表紙には最新版とあるが1961年発行であるから55年前の東京湾を示している。1月7日のブラタモリは#58 浦安であった。浦安は江戸川河口の浅蜊の漁場を控える漁師町であったが一般向けの潮干狩り場とはならなかった理由も、番組を通して浅蜊漁が衰退した理由も理解できた。
僕らが子供頃、潮干狩りと云えば稲毛海岸が最もポピュラーだった。小学校、中学校と春の遠足で稲毛海岸に潮干狩りに行っている。高校の遠足では幕張海岸で潮干狩りだったが、既に埋立ての土砂を圧送するためのパイプラインが遠浅の海の沖まで延びていた。

駅から海岸まで歩いてゆける稲毛海岸や幕張海岸が潮干狩りを観光としていたのも、船溜まりにできる河口もなく、遠浅故に港も出来ず漁村としての立地には恵まれていなかったからだろう。逆に船溜まりとして利用していた江戸川が工場廃液によって汚染され浦安の漁業が衰退したのも皮肉である。そして陸の孤島と呼ばれていた浦安に地下鉄東西線が通ったのが1969年(昭和44年)のこと、京葉線・舞浜駅が開業したのは1988年、東京ディズニーランドが開園して5年後である。

未だ足立に住んでいた頃だから私が7歳以下のこと、近所の人達と家族で稲毛海岸に潮干狩りに行った事がある。恐らく東武線と京成線を乗り継いで行ったのだろう。駅から海岸まで松林の丘の中を歩いていった記憶がある。
記憶を確かめる術が風景ではなく近現代の古地図にしかないのも皮肉なこと。

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April 08, 2017

平成三十四年まで...

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と云うことで昨日、高尾警察署で免許証の更新を行なったのだが、有効期限は平成三十四年である。陛下の生前退位に伴い年号も改められるだろうから、訪れることのない幻の未来まで有効な免許証の様である。これで再び西暦との換算がややこしくなるのだろう。尤も既に西暦にシフトしている爺には役所の手続きの際に年号換算Applicationが手放せないのである。大正生まれの父母や昭和の自分たちの生年月日や出来事は西暦と年号のダブルスタンダードで時代を覚えているが、平成は大喪の礼が1989年と記憶されているだけで、年号は記憶から外れたままである。従って、阪神淡路も地下鉄サリンも西暦は直ぐに解るが、年号は記憶されていないのである。

30分の講習が終り免許証を受け取ってから、高尾警察署の裏の南浅川の岸辺まで足を延ばし桜を...山里は満開ではないようだ。

Posted by S.Igarashi at 10:20 AM | コメント (0)

April 06, 2017

千代田区・界隈徘徊

昨日は専門学校の入学式の後、市ケ谷から竹橋まで千代田区内を徘徊。途中、九段のイタリア文化会館でイタリアブックフェア2017を覗いてから、千鳥ケ淵から桜を愛でながら、北の丸を抜け近代美術館にて開催中のマルセル・ブロイヤーの家具を見学、ブロイヤーといえばワシリーチェアー(クラブチェアB4)と篭目編みの背凭れと座面を用いたスチールパイプのキャンティレバー構造のアームチェアーやサイドチェアが有名だが、日本国内で回顧展が開かれるのはこれが初めてのようだ。略同時代の家具デザイナーで建築家のイームズは回顧展が2001年に東京都美術館で、2005年には目黒美術館でも開かれているのに対し以外であった。やはり代表作だけでなく、試行錯誤していた時代の家具などにはリートフェルトやイームズとも共通するデザイン志向が見て取れるのが興味深い。
竹橋から東京駅まで歩こうとも考えたが地下鉄で取り敢えず大手町へ...ここで丸の内に乗り換えても意味がないので...地下道から東京駅丸の内北口へ...改札脇のエントランスからステーションギャラリーのパロディ、二重の声 ――日本の一九七〇年代前後左右を見る。内容的には殆どリアルタイムで見聞きしていたものなので、懐かしさよりも「何を今更」と思う気持の方が強かった。逆に云えば美術館に納めるくらい、パロディの精神は死に耐えているとも考えられる。これも時代の劣化だろうか。

Posted by S.Igarashi at 10:02 AM | コメント (5)

April 05, 2017

高楽寺の枝垂れ桜 2017

今年は昨年よりも開花が遅れ、未だ満開とはなっていないようです。私もインフルエンザでダウンしていたので例年の様に開花ウォッチングすることもなく今日が初めてでした。昨日は高尾山の貫首様も花見に訪れていたようです。

Posted by S.Igarashi at 10:09 PM | コメント (10)

April 03, 2017

荷風さんの昭和

荷風さんの昭和 (ちくま文庫)
昭和34年4月30日未明、荷風が他界した。その年の4月に創刊された週刊文春の編集部に配属されたばかりの半藤一利がいた。荷風急死の一報を受け、市川の自宅に駆けつけ、警察による検死から納棺まで一部始終を見届け週刊文春の特集記事を書いたのが他ならぬ本書の著者・半藤一利であった。歴史探偵を自称する氏が、孤高の自由人・永井荷風の目を通して戦前、戦中、戦後の昭和を検証する。本書が上梓されたのが1994年、時は細川内閣の時代、1937年日中戦争に突入した時の内閣総理大臣近衛文麿の孫の登場に歴史探偵は一抹の不安を隠せなかったようだ。本書の発行から23年を経て、政治は益々劣化の速度を速め、時代の空気感は戦前へ回帰するような不穏な動向を露わにしている今日、荷風さんに倣い昭和史を斜に構えて見直してみよう。

本書に『断腸亭日乗』から引用されている一文だけ選ぶとすれば昭和11年2月14日の此れだろう。

《日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり。政党の腐敗も軍人の暴行も、之を一般国民の自覚に乏しきに起因するなり。個人の覚醒せざるがために起こることなり。然り而して個人の覚醒は将来に於いてもこれは到底望むべからざる事なるべし。》
今もって説得力のある荷風の言葉である。それも2.26事件の12日前に書かれていた。

----------------------目次----------------------
序章:一筋縄ではいかぬ人
第一章:この憐れむべき狂愚の世―昭和三年〜七年
第二章:女は慎むべし慎むべし
第三章:「非常時」の声のみ高く―昭和八年〜十年
第四章:ああ、なつかしの〓(ぼく)東の町
第五章:大日本帝国となった年―昭和十一年
第六章:浅草―群衆のなかの哀愁
第七章:軍歌と万歳と旗の波と―昭和十二年〜十四年
第八章:文学的な話題のなかから
第九章:「八紘一宇」の名のもとに―昭和十五年〜十六年
第十章:月すみだ川の秋暮れて
第十一章:“すべて狂気”のなかの正気―昭和十六年〜二十年
終章:どこまでもつづく「正午浅草」
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そういえば、第六章にもその固有名詞が出てくるが、10年ほど前のこと吉原御免状ミニダイブで廓の堀跡周辺を徘徊している時に京町二丁目の羅生門河岸の外で隣地が更地となった建物の遣れたトタンの外壁写真を撮っていた時である。更地となった建物の関係者の年輩の御婦人が現場の様子を見に現れた。その御婦人の話によると荷風さんが日記にも書いていた吉原のナポリがあった場所だと云う。何でも荷風さんは店の奥の和室で昼寝をしたりするほどの常連だったとか...荷風さんを知る人から話しが聞けたのは貴重な体験でした。

B面昭和史 1926~1945
金阜山人…庵跡??

Posted by S.Igarashi at 10:10 AM | コメント (0)