昨年、バスで甲州街道を通り掛かった時から気になっていたが、八王子の追分まで来る用事もなく、昨日、八王子夢美術館で開かれた「坂本一成 住宅めぐり」のトークショーの前に西八王子から水無瀬、追分と歩いた時に撮影、この空き地の両側は店舗が建っているから、恐らくこの空き地にも店舗併用住宅のような建物が建っていたのだろう。もう少し、時間を待てば45°勾配の屋根と影の傾きを合わせる事が出来たかも...。
まさに作り物のファンタジーを見るのにTilt-Shift Videoは最適な仕掛けである。
一方、悲惨な現実もTilt-Shift Videoでは、貧しすぎるバラックが何やらインスタレーション・アートにも見えてくるから不思議である。
追記:iPhoneAppだけじゃなくてMacOSのアプリにも"TiltShift"がAppStoreにリリースされてますね。
この建築物はバラックに擬態しているのでしょうか、どうやら鉄筋コンクリート造の外壁とコンクリートの片持ち庇を錆トタンで覆っているようです。元の形態は分かりませんが、マンサード屋根と外壁のトタンは増改築の結果でしょうか、「なんちゃってセレブ」に対抗して「なんちゃってバラック」とか...。南西側から見ると屋上にコンテナらしきものが...。
圏央道・八王子南I.C.の工事現場の先、梅ノ木平で見た規格品の廃材で作られたメタモルフォーゼするバラック小屋。
(←クリックで拡大)
梅ノ木平と云えば中学の時、秋の遠足で学校から徒歩で町田街道を南下し、大戸から山に分け入り、当時工事中の城山湖の本沢ダム(ロックヒルダム)を見学し、峰の薬師で休憩昼食、尾根づたいから谷を下り梅ノ木平に出たことがある。
Google Earthで距離を測ると約14キロ、今この距儀を歩くと途中で道に迷い遭難して行き倒れるかも。考えてみれば中学の遠足でも浅川中の前を流れる初沢川にそって沢を登り、尾根づたいに峰の薬師まで行くことも可能だった訳だが、低山でも山が深くて道に迷ったら危険なので安全なコースを選んだのだろう。
私としては珍しく日曜なのに午前中、立川まで出掛け「石田倉庫のアートな二日間」を見てきた。立川と云う土地柄か会場となった石田倉庫・敷地内の一画に進駐軍ハウスにあやかってペイント塗装したようなバラックが建っていた。
ヤレた塗装面が美しい。裏側は全く異なる面を見せている。
昭和の置き忘れのような何の変哲もない普通な小屋である。周りの風景が変わり、唯一件ぽつねんと残っていると特異な存在に見えてくるから、まぁ人間も勝手である。(杉並区堀ノ内にて、、)
追記:第五回アースダイビングの当日、読書家であるじんた堂さんがゲルンジー駐車場の看板からここが牧場の跡地であったことを看破したのであった。
電線とステーの影がブレース(筋交い)に見えるこの小屋と云うべきか、上屋(倉庫・資材置き場)なのか適切な表現が見つからないバラックですが、50年前は焼けトタンにコールタールを塗りたくったようなバラックでした。その後、建替えたのか定かではありませんが相変わらずバラックです。妻側のけらば(螻羽)の部分が破れ、ブルートタンで覆っているところが、段ボールで作ったようにも見えます。この家、昔は庭先でゴムタイヤを燃してましたが、最近はそのようなことはないようです。(足立区梅田)
昨年末、吉原御免状ミニダイブを行なったばかりですが、遊廓つながりと云うことでakiさんに間借りエントリー(030709)していた八王子遊廓をこちらに移しました。写真の日付によれば2001年10月13日に撮影したものです。この時点で既に遊廓の面影を残す建物は殆ど残ってなく、現在はこれらの建物も残されているものは少ないようです。
2年前(2003年の時点で)に撮った八王子遊廓跡です。もう、殆ど昔の建物は残ってなく、僅かに それらしき面影の建物が二三件あるだけです。これも斜陽の街、八王子を象徴 しているのか も知れません。 八王子遊廓は八王子・横山町の北、浅川を背にした「田町」にありました。明 治30年頃に、元々、甲州街道沿いの宿場町・横山町や八日町などにあった女郎 屋を一括して移転させたのは浅草吉原に習ってのことでしょうか。(大火の後 の都市計画的配慮らしいですが?)八王子が経済的に栄えたのは生糸が日本の輸出産業の花形であった時代です。 16号線(八王子横浜街道・八王子日光街道)と20号線(甲州街道)の結線点に ある八王子は、武州、上州や甲州から集められた生糸の相場を決める市場を形 成し、遠く桐生や伊勢崎の商人や甲州商人と八王子商人が夜の接待に利用した のが八王子遊廓だと云われてます。 遊廓のあった田町の町名の由来は無知で判りませんが、地図を見ると街路が田 の字に見えないことはありません。浅草の吉原も日本橋人形町界隈から移転し たときは周囲は田圃だったから、八王子遊廓の浅川沿いのこの場所も、田圃に 囲われていたのかも知れません。たぶん、お手本通りに繁華街から離れた場所 に八王子遊廓をつくったのでしょう。
その八王子遊廓に隣り合わせて、八王子斜陽産業の象徴である機屋(はたや) の工場跡が事務用品のディスカウントストアになっているのが皮肉です。 斜陽産業とは云ってもネクタイ生産量は未だに八王子が日本一だそうで、それ でもブランド品の下請工場では高が知れているということでしょう。この建物もakiさんによれば、既に解体撤去されているようです。
以下はaki's STOCKTAKINGのエントリーに寄せられたコメントです。
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
そうです、私は下町生まれの山の手育ちと言いたいところですが、下町生まれの山ん中育ちです。
7月15日のテレビ東京・出張なんでも鑑定団は内容に乏しいものでした。千人同心縁のお宝とか期待してましたのでがっかり。尤も、今日この頃、世の中物騒になっているので、お宝を公開して窃盗団に狙われる恐れもありますからね。賢い人は、決してお宝自慢はしないですよね。
Posted by: 五十嵐進 @ July 22, 2003 04:41 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
小野さん、コメントありがとうございました。
私は、生まれは違いますが八王子市大和田で育ちました。学校は四小、五中で、最近、八王子市大和田の家にもどってきました。
この話を送ってくれた五十嵐氏も、生まれはちがいますが八王子在住です。
そんな訳で、八王子の話もこれからちょくちょくでてくると思います。
Posted by: 秋山東一 @ July 21, 2003 07:35 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
今宇都宮へ仕事の関係で居りますが、生まれも育ちも八王子です。田町の旧遊郭街は、私の中学時代まで柳小路として残って
いたことよく覚えてます。またローラースケート場とか夏場は
プールになる場所が田町にありよくいっていました。写真を
見て何となく懐かしくなりました。ちなみに私は万町の出です。
また、多くを大和田町で過ごしました。写真有難う御座いました。
Posted by: 小野吉則 @ July 21, 2003 05:50 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
Google で「八王子 遊廓」で検索してみた。
いくつかヒットしたが、「旧道行脚」と題した古地図と現地探索のページがあった。「甲州街道の遊廓」「羽衣町の幻流をたどる」とかあり、多摩、遊廓に強いサイトと思う。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/9371/koushu/kyuudouangya.htm
Posted by: 秋山東一 @ July 13, 2003 05:52 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
前のコメントが文字化けしました。
これが八王子遊郭跡の地図です。
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/20/20.058&scl=10000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/39/45.291&size=500,500
地図を見ると幼い秋山少年の目に広い広場に映ったのが良く分かります。今でも通過交通がないぶん、その異常な広さだけが目立ちます。
明後日(7/15)のテレビ東京・出張なんでも鑑定団は八王子大会だそうです。何がでるのかな。
Posted by: 五十嵐進 @ July 13, 2003 03:18 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
私はこの遊廓に登楼したことはありませんが、昔の記憶があります。
広い広場に近い両側に建物が並んでいるのですが、一つの建物にアメリカ兵が行列しているのを望遠したという記憶があります。きっと1950年のはじめ朝鮮戦争の頃だったのでしょう。もう昔の姿はかろうじてというところですね。
Posted by: 秋山東一 @ July 10, 2003 08:47 PM
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
先日、aKiさんを菅公さんまで案内するときに通り過ぎた初沢曲がり道のバラックの昔の姿、現在は新建材(サイディング)とアルミサッシュでリニューアルされてしまったが、コンパネや工事用仮囲いネットを用いたりと、かなりの不良ぶりを発揮していた。
ブリキ猫さんの勝間通信は台北通信「バルコニーの違法建築?」と似たような写真があった。これは1996年にブリキ猫さん達と一緒に台北で開催されたMacworldに雑誌の取材を兼ねて出掛けたとき、中山北路の書店・Q-永漢書局のトイレの窓から撮影したもの。マンションのルーフテラスにも屋根を設けて室内化、バルコニーは全て鳥カゴになる。たぶん1980年代に建設されたであろう、このマンションも後数十年も経つと九龍城の様になるのかも知れない。
府中市美術館の裏手にある米軍施設跡、現在は国有地として国が管理しているようでその一部を府中市が借り受け美術館の臨時駐車場としている。何の用途に使われていた建物であろうか。
廃屋ではあるが桜の花咲く季節には少しは華やぐであろう。
九龍城探訪 魔窟で暮らす人々 グレッグ・ジラード/イアン・ランボット
イースト・プレス刊 ISBN4-87257-423-0 定価3500円(本体)
1993年に取り壊された九龍城砦、その最後の姿をそこで生活する40人の人々を通して九龍城砦の正しく日常を伝えた記録である。
九龍城が魅力的なのは、その恐ろしいほどの欠点ゆえに、現代の建築家たちがどれほどお金や技術を投入しても作り得なかったものを、住民たちが独自に作り上げたという点にある。九龍城は「命ある巨大建造物」なのだ。、、、「不確定な風景-香港一九八七」
前文:ピーター・ポパム「インディペンデント・マガジン1990/5」
昨日、確定申告書類を提出に八王子税務署に行ってきました。八王子税務署は南口にあるのですが、車を八王子北口駅前の地下駐車場に停めて、八王子の歌舞伎町といった感じで夜は妖しい雰囲気に包まれる三崎町を通り抜けて行きました。もちろん午前中ですから、金髪のたちんぼ(街娼)なんかはおりません。三崎町界隈はいわゆるソシアルビルとか飲食店ビルやマンション、ホテル等の雑多な建物が混在した地域ですが、そのなかでポッカリと空いた谷間のように見える八百屋さんがありました。継ぎ接ぎだらけの看板を見る限り、あまり繁盛しているように見えませんが、見栄をはらずに無理してないところが良いですね。平屋だけに地に足がついてます。
それで、店の裏は生活感の溢れる、こんな感じですが、見ようによってはポケットパークのようにも見えますね。
同じ通りに、こんな名前の飲み屋がありました。マスターの名前が気になります。
高校の同級生・伊能くんは新入生の自己紹介で「僕は立川基地の外に住んでいるので、キチガイ(基地外)です。」と、15歳にして自虐的オヤジギャグをかましてた。
僕の住んでいる八王子でもベトナム戦争が終わったとき、それを体感した。横田基地を飛び立ったファントムが音速の壁を超えるのが八王子上空辺り、その衝撃波や、帰還兵や負傷兵それに遺体を積んで立川基地に向かう輸送機カーゴマスターの編隊飛行がピタリと止んだ。世界で何かが変わったことを知った。
戦争を止めさせるには勇気と理性が必要、明日はNO!と意思表示したい。
先週、相模原方面に出かけたとき途中で大きなホームセンターが見えたので帰りに立ち寄ってみた。
CAINZ HOMEの折り込みチラシは週に一度入っているので名前は知っていたけど、入るのは初めてだ。八王子では地元ムラウチボビーが地元民ご用達のホームセンターだが、それよりもずっと大きく通路も広く、建材の種類も多く、コンパネの三六が680円と格安、30年以上前のラワン合板5.5ミリと大差ない。ここの城山店は秋山さんちの御近所のムラウチボビーに行くよりも僕のところから近い。バラック・ビルダーならここで資材の殆どは調達できそう。