「日本人が一家団欒を失ったからですよ。ミカンを食べる場面を想像してごらんなさい。家族でこたつに入って、テレビを見て、、、。今、そんな家庭は少ないでしょう。」山下惣一氏はミカンの売れなくなった要因をそう述べている。昨日(2005.1.15)の東京新聞夕刊・文化欄「土曜訪問」は「農から見た日本?ある農民作家の遺書」を昨年出版した農民作家の山下惣一さんへの取材記事【失われた「先憂後楽」の暮らし】だった。 「おこたでミカン」は日本人にとって家族団欒の表象であったのだが、それは既に実態を失った記号にしか過ぎないのだろう。
「農から見た日本」は市場経済による効率至上主義によって、日本が切り捨ててきたもの、失ったものを農業・農村の立場から見てきた山下惣一氏による次世代への遺言であり警鐘であるが、崩壊したのは農業だけでなく、社会そのものではないだろうか。
山下惣一氏については栗田さんがCHRONOFILEで身土不二を取り上げ、私も一昨年のエントリーで日本の「村」再考を紹介している。
たしかにミカンを食べなくなりました。
そしておいしいミカンが少なくなったように感じます。
私は伊豆の出身なのでミカンに対する固定したイメージが自分の中にあったのですが、今ではそれが崩れてきています。
子供のころ味わった「たきびにミカン」など、完全に死語ですね。