December 27, 2006

修学院の寂トタン

この前に修学院離宮を見たのは空に浮かぶ浜辺に記したように1977年早春のことだから略三十年ぶりに訪れたわけである。と云う事で予定参観時間よりも早めに着いたので離宮周辺を散策することにした。この鄙びた田園風景の野焼きの煙の向うが中離宮、いわゆる中ノ茶屋である。修学院離宮の造営は後水尾上皇によって明暦元年(1655)から万治二年(1659)に行われた。時代小説・吉原御免状の松永誠一郎が浅草日本堤の上に立ったのが明暦三年(1657)のこと、小説で語られている様に幕府と朝廷の確執と緊張が頂点に達していた時代である。

やれた寂トタンの向うが下離宮(下ノ茶屋)、松並木の奥の山懐に上離宮(上ノ茶屋)がある。
こうした寂トタンも風景と一体化している。人に比べ自然の懐は斯様に深い。

みゆき道からの枝道の寂トタン、これが町名、寂トタンであっても建物には古都の趣が残されている。

Posted by S.Igarashi at December 27, 2006 01:52 AM