August 16, 2006

8月15日と南原繁を語る会

昨日は「8月15日と南原繁を語る会」に行ってきた。この講演者の顔ぶれから見ての通り、内容の濃い、興味深い話の連続で「学問の自由=アカデミック・フリーダム」を問う三時間の講演が瞬く間に終わってしまった。立花隆による趣意書を締め括る、『南原繁の衣鉢を継いで、日本の歴史について、日本の現在と未来について、広く、深く、遠くを見る見地から、いま言うべきことを言っておこうとする者がここに集っている。』の言葉に続けて、立花隆は日本の現在と未来について狭く、浅く、近くしか見られない人達(政治家)を(大学から)批判する声を挙げるべきであると述べている。それは正に先の戦時中の指導者のが次期総理の最有力候補となっている現在、憲法改正を含めて戦前の日本帝国に逆戻りすることへの危機感の表れでもあり、知識人の覚醒を問うことでもあろう。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」第83回 小泉首相“開き直り参拝” 日本が見失った過去と未来

Posted by S.Igarashi at August 16, 2006 10:48 AM | トラックバック
コメント

取材クルーの発言、これも「現実に目を背けフィクションに支配されている」のでしょうか。そういう報道される「絵」を見て、また納得している自分もいたりして…。そんなの、いやですね〜。

Posted by: わきた・けんいち at August 18, 2006 05:54 PM

わきたさん、意図的ではありません。失敗でも酷すぎますね。
そんなモノでも載せてしまうのは私がド素人だからです。

この手前に取材陣と思しき集団がいて、その脇を通り過ぎようとしたとき「しょーがねーな、若い娘は来てねーのかよ、インタビューしても男(ジジイ)じゃ絵になんねーよ。」の声が、振り返って見ると、日本妄想協会じゃなくて日本放送協会の取材クルーでした。彼らが求めているのはどんな娘なのか知りませんが、ジジイに混ざって、天がニ物を与えたような娘もチラホラいましたけどね。

Posted by: iGa at August 18, 2006 09:22 AM

iGaさん、たしかにブレていますが、これは意図的なものかと思っていました。

Posted by: わきた・けんいち at August 18, 2006 12:54 AM

この講演会に対しても「狭く、浅く、近くしか見られない人達」はこの講演会がどっち側のゾーンにあるのか気にしてるようです。南原繁は新渡戸稲造や内村鑑三から薫陶を受けたキリスト者であってコミュニストには批判的であったそうですが、戦後学内の左翼活動を排除することはしなかったと云われてます。講演者の顔ぶれもコミュニズムではなく、強いて云えばリベラリズムの人たちと云えるかも知れません。それにしても自民党最後のリベラリストである加藤紘一に対する暴力にはやりきれませんね。「9条の会」にも匿名を条件に大物と云われる人が多く参加しているそうですが、彼らも「狭く、浅く、近くしか見られない人達」で、大きなものを失うより己の保身を最優先させるのでしょうね。東京新聞にもこんな記事がありました。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060817/mng_____tokuho__000.shtml

Posted by: iGa at August 17, 2006 10:52 AM

8月16日朝日夕刊の一面、「ニッポン人脈記/戦争 未完の裁き (6)」は近衛家の話でした。「....あの戦争を止められる人がいるとすれば、それは天皇を除けば(近衛)文麿だった。......」とありました。
保阪正康の「あの戦争は何だったか」で、近衛文麿についての記述があったのを思い出して、もう一度読み直しました。それは、「2.26」以降のテロの恐怖についての記述に、近衛文麿は右翼の大物を用心棒にやとっていたそうです。テロ、その肉体的な暴力に多くの指導者達が恐れおののき、抵抗せぬまま....戦争への道を開いていったようです。
おりしも、8月15日、靖国参拝批判を展開していた加藤紘一の実家への放火事件、なんだかそんな道を開いているような気がします。

Posted by: AKi at August 17, 2006 09:40 AM
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