March 24, 2005

丹下健三が遺せなかったモノ

丹下健三氏が逝った、1913年の9月生まれだから91歳の大往生である。戦後日本を代表する建築家であるが、氏の代表作の一つである丸の内旧都庁舎も、氏の数少ない住宅作品である旧自邸も、既に存在しない。どちらも時代の精神を代表する建築である。特に丸の内旧都庁舎は岡本太郎の壁画作品も含めての保存運動は何の盛り上がりも見せずフェイドアウトした。丹下氏が保存問題に対して何を考えていたか知る由もないが、外部から見ればスクラップアンドビルドの旗振り役と誤解されても致し方ないようにも思える。やはり、東京フォーラムは丸の内旧都庁舎の保存を含めて計画すべきであったであろう。特に海外からの建築家も応募できる国際コンペだっただけに尚更である。現代史に於いて建築家が何を築いてきたか、氏は後世に伝える責務がある立場にいた人であっただけに残念である。
成城の旧自邸はプライベートな問題を含んでいただけ、現状保存は困難であったろうが解体保存されていれば、丹下健三氏の作品と云う事で海外からの買い手も付いたかも知れないし、どこかに建築博物館が整備されれば復元する事も可能であっただろう。

Posted by S.Igarashi at March 24, 2005 10:25 AM
コメント

こんばんは。
トラックバックがわりです。
丸ノ内庁舎に思いをはせることができました。
http://asabo.exblog.jp/3070315/

Posted by: aneppe at January 23, 2006 01:39 AM

そういえば磯崎氏は90年代のGA誌上でも晩節を汚さないよう丹下氏に引退勧告を突きつけていましたね。
昔、勤めていた頃に担当した仕事を通じて知り合った建築業者と不動産業者が、前夫人の仕事もしていて、そのとき不動産業者から成城の自邸を処分して、どうのこうのと云う話を伺いました。住宅としての住みやすさは何とも言えませんが、端正なプロポーションを持つ美しい建築でした。
今考えると、あの住宅は故イサムノグチの四国のアトリエにゲストハウスとして復元保存したら似合うでしょうね。

Posted by: S.Igarashi at March 26, 2005 09:33 AM

朝日新聞の磯崎新氏の追悼文では、丹下健三氏を日本という国家との関係で捉えていました。そして大阪万博までの輝かしい業績を最後に建築家としては終わってしまったと。保存問題もそんな時期にあたるのではないでしょうか?大阪万博以前の氏の建築に対するあれだけのエネルギー溢れる作品から、後年、作品に突如緊張感が無くなったのは、作品作りに情熱が冷めてしまったからなのでしょうか?
それにしても代々木体育館を見る度に凛とした緊張感を感じます。

Posted by: ishiakwa at March 26, 2005 04:57 AM