市ケ谷にある専門学校の会議が終わった後、東京国立博物館の特別展「縄文―1万年の美の鼓動」を観て来た。
様々なメディアで紹介されていたので、ある程度の情報はあったが、やはり実物を見ると、その造形や装飾の大胆さよりも繊細さに感じいる処があった。50年前に文藝春秋社から出版されたこの人のエッセー集「原色の呪文」を読んで火焔土器に関する件が大袈裟にインプットされていたからだろう。フィギュアの様な愛らしい動物形土製品を見ると微笑みが溢れそうになる。この日本列島で一万年もの永い間『狩猟で暮らした我らの先祖』は穏やかなひと時も過ごしていたことを伺わせる。
初めて縄文土器と復元された竪穴住居を見たのは59年前。小学校の担任の先生が日曜日に希望者を小金井公園の武蔵野郷土館(現・東京たてもの園内)に連れていってくれたときだった。特に縄文時代に興味を抱いたこともないが、近くの峰開戸の麦畑からは土器の破片がでることで知られていた。この場所にあった狭間(峰開戸)遺跡の発掘調査が行われたのは、僕が中学の頃だろうか、早大の研究室が調査にあたった。畑の表土を剥がすと、その下の関東ローム層から住居跡が現れた。現在は中野にある実践学園中学・高等学校高尾総合グラウンドになっているが、その研修センターの建物がある付近から、中学の同じ学年の男子生徒が、かなり大きな土器を掘り出したことがあったが、本来ならば盗掘と云うことで罰せられる処だが、教師などの計らいでお咎めなく済んだ。しかし生徒全員に注意するようのお達しが.あった。
ともかく、身近な場所に縄文時代の遺構があり、発掘等の状況を見られたことは、時代の流れや地形や空間、様々な物事を考える上で貴重な体験でもあった。