今日の東京新聞夕刊のコラム『大波小波』で知ったのだが、東海テレビ制作の『光と影-光市母子殺害事件弁護団の三百日』が本日深夜(25日-AM3:00)からフジテレビで放送される。因みに番組表には『光と影』としか記述されていない。
放送の時間帯は午前三時五分から。本音は見せたくないのかとフジテレビに言いたくなる。・・・・そして自分が今までメディアから一面的な情報しか与えられていなかったことを知ってほしい。メディアが一律になる恐ろしさを知る筈だ。とコラム担当者は述べている。ドキュメンタリーの撮影を決めたプロデューサーには社内でも風当たりが強く『鬼畜弁護士を撮るおまえが鬼畜だ』と中傷され、撮影中止の危機を幾度か乗り越えドキュメンタリーは完成したそうである。
弁護団の懲戒請求をメディアを通じて煽動した男の罪は大きい。どんな凶悪犯罪であれ被告人は弁護士を付ける権利を有するのが法治国家であり、民主主義の基本でもある。リンチは許されない。
判決の後、弁護団の記者会見が行なわれ主任弁護士の安田氏が記者の質問に答えた。
『真実を出すことによって初めて本当の反省と贖罪が生まれてくると私は思っています。そうすることによって、この事件の真相が何であったのか、どうすればこんな不幸なことを防ぐことができるのか、そして被害者の許しを乞うてゆくことができるのか...真実を究明しない限り、それは不可能です。』
そして被害者遺族・本村氏は述べる
『社会の皆様にも、どうか、どうすれば被害者も加害者も生まない社会を作ることができるのか。死刑という、こんな残酷な判決を出さなくてもすむ社会を作ることができるのか、ということを考える契機とならなければ、私の妻も、私の子供も、そして被告人も犬死にだと思います。』
弁護団も被害者遺族も「あるべき社会の姿」を問うている。そして苦悩している。
被告人は12歳の時、首を吊って自死した母の姿を発見してしまった。父の母への暴力、母をかばうと父の暴力は自分に向かうという。それを苦にして母は死を選んだ。恐らくは被告人の父も成長期や社会で何らかの暴力や疎外に遇っているのだろう。負の連鎖が不幸な事件を生んでいるのではないか。
2006年5月の東京新聞・特報面から
異端の肖像2006 「怒り」なき時代に
弁護士 安田好弘(58)
「弁護士としての資質、人間としてのモラルに失望した」。読者から一枚のファクスが届いた。この読者一人にとどまらない。テレビのワイドショーで、ネット上で非難があふれ返った。
安田好弘。いま、日本で最も物議を醸している弁護士だ。かつてオウム真理教元代表・麻原彰晃被告=本名・松本智津夫=の主任弁護人を務め、先月、山口県母子殺害事件の上告審でも弁護人を務めた。
「悪人は早く吊(つる)せ」という世間感情、タレント弁護士が登場するお茶の間のにぎわいに彼は背を向ける。
非難のきっかけはこの上告審だった。三月十四日、最高裁の口頭弁論を安田は相方の弁護士とともに欠席した。
最高裁、検察、遺族は憤った。最高裁は昨年導入された改正刑事訴訟法に基づき、四月十八日の弁論への出頭在廷命令を初適用。欠席すれば、解任は避けられない。彼は法廷で「被告に殺意はなく、下級審の事実認定は疑問」と弁論の続行を訴えたが打ち切られた。
異例ずくめだった。昨年十二月上旬、二審の弁護人が最高裁へ「弁論は自分ではなく、安田さんに頼もうかと思っている」と伝えたという。開廷日は裁判所と検察、弁護人の三者で協議されるのが慣例だが、裁判所は同月下旬、一方的に開廷日を通告してきた。
安田は二月下旬、初めて被告人と接見した。被告の話が事件記録と違い、驚いて弁護人を引き受けた。さらに自白調書と死体所見の食い違いを見つけ、被告の殺意に疑問を抱いた。
弁論準備には数千ページに及ぶ記録の精査が必要だ。当日は日弁連の催しも重なっていた。彼は裁判所に三カ月の延期を要望。「従来は認められたケース」(安田)だったが、今回は拒まれた。弁論は通常一回で、準備なしに出廷すれば事実上、死刑を後押ししかねない。欠席の方針を固めた。
「被害者の人権を無視した」と苛烈(かれつ)なバッシングが待っていた。オウム真理教の裁判のときよりも酷(ひど)かった。当人はどう受けとめたのか。
「こういう仕事をしている以上、避けられない。凶悪とみられる人々の弁護をするのだから。世論は常に多数派だ。逆に被告は孤立している。弁護が少数者のためである以上、多数派から叩(たた)かれるのは定めだ」
その使命感は、と聞こうとすると、安田は遮って「使命感じゃない。これが弁護士という職業の仕事なんです」と言い切った。
報酬に乏しい公安事件、重大な刑事事件を背負ってきた。死刑の求刑、あるいは下級審で死刑判決が出た後に、彼が請け負った事件は十七に上る。大半が依頼だった。ある法曹関係者は「こうした事件を受ける弁護士が少なくなり、彼に集中している」と漏らす。
「自分も(こうした事件から)できれば逃げたいと思う」と安田は話す。
「死刑が絡む事件は不安だ。何もできないだろうと落ち込む。裁判で負けても終わらない。被告が処刑される日まで守らねばならない。毎日、冷や冷やして自分も生きていかねばならない。だから、だれもやりたがらない。でも、被告から依頼の手紙が舞い込む。接見で顔を見てしまう。そうすると断れなくなる」 非難の主流は「遺族感情に配慮しろ」だった。今回の事件では、被告が一審判決後に獄中から友人に宛(あ)てた「終始笑うは悪なのが、今の世だ」という手紙の一節が非難に油を注いだ。 「復讐(ふくしゅう)したいという遺族の気持ちは分かる。だが、復讐が社会の安全を維持しないという視点から近代刑事裁判は出発した。もし、復讐という考えを認めれば殺し合いしか残らない」 裁判を死刑廃止運動に利用しているという批判もあった。「死刑廃止を法廷で考えているとしたら弁護士失格だ。法廷は事実を争う場であって、政策や思想の場ではない。だいたい判決は死刑だろう、と考えて弁護なんてできやしない」 安田の弁護は徹底して事実にこだわる。愚直なまでに現場に行き、再現を繰り返す。「よく被告のうそをうのみにして、とか言われるが、うそで起訴事実が覆せるほど、法廷は甘くない。肝心なのは遺体や現場の状況という客観的な証拠だ。被告がどう言ってるかは参考情報にすぎない」 そんな弁護スタイルが、これまでいくつかの死刑判決を覆した。ただ、その手法も壁に突き当たりつつある。昨今の迅速化を掲げた「司法改革」の流れだ。 例えば、被告側の防御権を損ないかねない公判前整理手続きが、昨年十一月に導入された。経験した弁護士は「時間がない。十分な検証は不可能だ」と悲鳴を上げた。安田は「迅速化の中身は結局、手抜きだ。検察、裁判所からみれば手軽に一件落着で済む。しかし、被告人には生死や自由が絡んでいる」と憤る。 「刑事裁判は死んだ」と安田は話す。「有効な反論を通じ、初めて真相は明らかにされる。検察、弁護人の客観的な主張を裁判所が冷静に判断する。そんなシステムが機能不全に陥っている。検察主導の大政翼賛化が進んでいる」 ■事実に徹底的にこだわる闘い方 その理由を安田は「弁護士がしっかり反論せず、検察は地道な事実の積み重ねよりトリックにおぼれ、裁判所も監視の役割を怠っている」と指摘する。 麻原裁判の長期化に批判が集まり始めたころ、安田は顧問を務める不動産会社の事件で逮捕された。一審は無罪。裁判長は検察側の強引な公訴内容に苦言を呈した。とはいえ、十カ月もの拘置で麻原裁判の舞台からは“消された”。 この拘置中、殺人的な仕事からは解放された。でも保釈後、再び以前の日々を送る。「朝七時から会議をやって、夜九時すぎからも会議。その間に裁判資料を調べ、自宅に帰れるのは二週間に一回だけかなあ」 安田について、友人でジャーナリストの魚住昭は「徹底的に事実にこだわり、かつ人権を守ろうとする弁護士の基本に忠実な人物。逆に最高裁や検察当局からみれば、最も厄介な人物だろう。それがバッシングの根底にある」と語る。 孤立しがちな印象の一方で、彼自身の控訴審には前例のない二千百人の弁護士が弁護人に名を連ねた。 「彼は左翼系で私とは立場が大きく違う」と話しつつ、元検察官の小林英明弁護士は彼をこう評す。「私は死刑問題でも彼とは考え方が根本的に違う。だが、弁護士としての優秀さ、人間性については高く評価している。法の許す範囲内か否かを自覚し、信念を持ち一生懸命やっている」 団塊の世代のご多分に漏れず、学生活動家だった。そこで容易に人が変節するのを目の当たりにした。 「自信なんてない。しかし、できるだけ変わらない方を選ぼうと生きてきた。でも、世の中はどんどん単純化していく。一体、この先に何が待っているのか」 (敬称略、田原拓治)
<メモ>山口県母子殺害事件 1999年4月、同県光市で起きた。起訴状などによると、18歳1カ月の少年が社宅に侵入。女性を絞殺したうえ遺体を陵辱し、生後11カ月の長女を絞殺した。18歳未満は死刑が適用されず、更生の可能性もあるとして一審で無期懲役、二審も一審判決を支持した。しかし、検察側が上告、最高裁は3月に死刑判決が予想される弁論を開廷。被告側は被害者の首に残った指の跡が逆手で、絞殺の意思はなかった、などとして事実見直しを求めている やすだ・よしひろ 1947年、兵庫県生まれ。77年、司法試験合格。80年に起きた新宿西口バス放火事件をはじめ、山梨幼児誘拐殺人、名古屋女子大生誘拐殺人、山谷暴動など各事件を担当し、95年にオウム真理教教祖・麻原彰晃(松本智津夫)被告の主任弁護人に。公判途中の98年、負債を抱えた顧問企業の財産を隠したとして、強制執行妨害容疑で逮捕され、10カ月の拘置。一審は無罪で現在控訴審中。和歌山カレー事件の上告審も担当している。著書に「『生きる』という権利」(講談社)。 <デスクメモ>殺人事件の被告人から「自分は身代わり犯だが黙っていてほしい」と頼まれて弁護士が自問する小説があった。弁護士の職業倫理とは何かと。安田氏の場合はさらに、死刑を求刑された被告人の弁護で、世間の非難と国家の圧力と闘ってきた。異端の人なのか、何事にも寛容さを失う社会がそう見せるのか。 (学)
来年から始まる裁判員制度、その重責とストレスから鬱病を発症したり、最悪な状況として自死してしまう裁判員も現れるのではないかと杞憂しているのだが...そうした真面目な人は選ばれないとしたら...それも恐ろしい...
May 01, 2008:死刑
追記:第4回(平成20年)日本放送文化大賞
「死刑廃止、日本は検討を」 国連規約人権委が勧告
30日、国連規約人権委員会から日本政府に対し、死刑制度については「世論調査に関係なく死刑制度の廃止を検討すべきだ」と勧告がありました。
日本政府は死刑制度の存続の根拠として「世論の支持」をあげていますが、その世論はメディアによって増長された「報復への空気感」によって操作されているのではと思わざるを得ません。
僕も当日の夕刊文化欄のコラムを読んでいなかったら見過ごしてました。タイトルの『光と影』だけでは何の番組がさっぱり、サブタイトルがなければ青春物と勘違いしてしまいそうです。恐らくはタイトルを決めるのにもプロデューサーと経営(営業)側との軋轢があったのでは...と想像します。
それにしても民放が放送するドキュメンタリーは精々、週に一時間程度、それも深夜の時間帯に追いやられてますね。
ぼくは、このエントリーを読むのが一日遅れたので、残念ながら見ることができませんでした。
この事件について、これまで大マスコミの流す情報しか知らずにいました。しかし、知事に「栄転」したあの弁護士が発言すると、その反対の方が真実なんだろうと思っていました。
のべつおバカ番組を垂れ流して、まっとうな番組を夜中に押しやるのほは、免罪符を安く買うということですねたしかに。東海テレビは、ちゃんとした時間帯に番組を流したのであれば、東京新聞も独自の立場をまもっているようだし、巨大にならないほうが真実に近づくことができるということなのでしょうか。
光代さん、どうもです。
コラム・ライターの言う通り、この番組を多くの人の目に触れないような時間帯に放送し、メディアのアリバイ作りをするキー局に悪意を感じますね。それに引き替え地方局の方が良い仕事をしていますね。
よく書いてくださったと思います。
裁判という制度を機能させる前に 犯人を決めつけたり 被告の量刑を決めつける今の社会に 大きな不安を感じます。