8月4日から今日(8月6日)まで東京新聞朝刊に特集記事『新聞記者が受け継ぐ戦争・「原爆の子」片岡脩の生涯』が三回に亙って掲載された。片岡さんは僕が72年から5年間勤めていた高木滋生建築設計事務所の所長である高木さんと藝大からの友達だった人である。そして、高木事務所が南青山にあった頃の事務所の大家さんでもあった。自宅だけ建替えるつもりだった片岡さんに、将来のことを考えて共同住宅にすることを勧めたのは現実主義の高木さんだった。そんな事情で片岡さんは高木事務所の大家となり、高木さんは店子となり、京橋から南青山へと事務所を移転した。片岡さんとお話ししたのは、一度か二度だけ、高木さんが上京したおり、事務所でウィスキーを傾けながら、ロスのブラッドベリー・ビルを話題にした記憶があるが、とてもユーモアを好む人と云う印象であった。(因みにブレードランナーが撮影される、ずっと以前の話。)