メディアではキャラクターの時代が続いている。こうした兆候は1970年代後半ぐらいから見えていたと思うが、より顕著になったのが1980年代のロール・プレイング・ゲームが台頭してきた以降のことだろう。キャラクターの時代がいつまで続くか分からないが当分はこのままだろう。
そのキャラクターを支える要素であるが、リアクションとポジショニングが最重要となる。従って中身はどうでもよい。哀れなのは中身で勝負する文化人である。彼らの評価はその発言内容ではなく、外見やリアクションで決められ、変わり者、きもいの類いにポジショニングされる。ベテラン俳優でさえも容赦されない、個性派俳優はいじくりまわされ、そのリアクションが笑いの種にされる。キャラクターの時代にあってはネガティブ要素もキャラクターとして成立すればニッチに潜り込める。斯くして、汚れ系、いぢめられ系、肥満系、不思議系、天然系、秋葉系、逆ギレ系、等々その数知れず。そうした中で、キャラも薄く、芸も中身もなく、それにも拘わらずポジションを得ているタレントもいる。そのような存在理由の分からない輩は大抵は大手芸能事務所に所属するタレントである。つまり談合キャラである。