JapanDesign Netの田嶋正行氏のリポート・オランダ便りにヘルツォーク&ド・ムーロン建築における美学と余白と題してロッテルダムで開催されたHerzog & de Meuronの展示会が紹介されている。
彼らの設計による青山のプラダビルは建築界でも賛否両論あるが、批判の多くは既存の町並みに対する配慮を欠いているのではないかと云うものだが、それに対してこの土地から都市の歴史的コンテクストを読み取ることは不可能だったと云う意味のことを彼らが語っていたと記憶している。或る意味でプラダビルは明治以降の都市デザインの無策ぶりをいみじくも語っているのであろう。
因みにプラダビルの土地は以前は太陽神戸銀行の東京研修所(寮)があった。銀座でもそうだが銀行の再編で空いたところに海外ブランドが進出するケースに似ている。
この辺り、江戸時代は与力・同心等の長屋、つまり今で云う公務員住宅があったところで、明治以降は明治政府に没収され一時的に茶畑や桑畑になっていた。与力・同心長屋の流れを汲んでいるのか、裏道には銀行の社宅があったり、昔は建設省の公務員住宅などもあったりとか、法務省の施設、地方自治体の東京寮、銀行の研修所等も多い。
70年代前半から90年代前半までの間、途中五年間を除いてプラダビルの前を毎日歩いていたので、この辺りの変遷ぶりは知っているつもりだから、余計にHerzog & de Meuronのコンテクスト云々の指摘に、もっと勉強せいと腹の立つ反面、それもそうだと妙に納得してしまう。