October 23, 2003

「おたくたち」

「おたくたち」
MADPress12(1994/1/31)に書いた古ネタである。何故、この題名を付けたのか正確に思い出せない。マニア的なオタクではなく、たぶんこの頃よく使われていた人称代名詞の「おたくたち」から付けたと考えられる。

「おたくたち」 MADPress12(1994/1/31) 岩波新書の「英語の感覚」によれば、英語の人称代名詞のI、you、he、she は形而上的な「人格的存在」としての人間をさす。神との契約関係にある人間は自己も他者も対等の同一平面上にいる人格をもつ存在であるという認識を彼らは持っている。一方の日本語の人代名詞は対象となる人間の位置関係を表した言葉に過ぎないという。成る程、言い得て妙である。  常に、日本人は他人との位置関係を気にして生きている。「人格的存在」としての私もあなたも存在しない。古山君の口癖の「御上から下々へ」という言い方も、位置関係を表した言葉である。相対関係によって御上は神や支配者を表す意味へと変化する。グローバル座標の西欧とローカル座標の日本という表現が当て嵌まりそうだ。昨年あたりから漱石ブームの再来だそうであるが、明治に生きた彼らの前にたちはだかった西洋の壁とは物理的なものでなく「遅れてきた青年の近代的自我」だったのであろう。  テレビコマァシャルの世界を眺めれば、広告案文の原理とは「他人との相対的位置関係を意識する見栄の構造の刺激」によるものである。「それじゃー私が可哀相!」と少女が叫ぶカツラのコマァシャルを見るにつけ、「おまえなんかどうでもいい!」とおもう。親父や彼氏の価値判断は人前にだして自分が恥しくないかで決まるのである。  大衆消費住宅の広告案文に至っては、もっと露骨に見栄の構造を刺激する。レレレのお掃除オバサンが「お出掛けですか」と声をかけ、他人の家の塵芥を突くと「人も羨む二所帯住宅」のナレーションが流れる。或いは、新築の家に新しく家具・什器を運び込む度に「○○が淋しくて」と言い訳する主人。と列挙の暇もない。  同窓会に出席したとき、相手を牽制しながら探り出すのが卒業年度だという。後輩と知ったとき態度は豹変し露骨に横柄になる輩等々困った人たち。日本人の「横並び」の性格も組制度に由来するといわれるが、これも「他人との位置関係」に敏感故のことであろう。管理教育・偏差値教育から疎外されたものが作る族、チィム、社会のアウトローであるはずのやくざが、一般社会よりもヒエラルヒーを重んじる組織をつくるのも、些か漫画じみた光景である。族の総長も権現様もたいした差はない。自我の確立を求めるのでなく、他者との相対的位置関係が全てなのだ。近頃、Mac vs Windows という記事が矢鱈と目につく「長いものには巻かれろですよ。」とWindows を推す人は嘯く。  
 
Posted by S.Igarashi at October 23, 2003 10:16 AM | トラックバック
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