MAD Pressのアーカイブを公開しなさいという秋山さんのリクエストなので、最初は本人のエッセーを紹介しようと思う。1991年茨城県常陸太田市をメイン会場に開催されたクリストのアンブレラ展を見に行った時の話。
MAD Press 3 (1991/10/31)の表紙と長老のお話(Macとクリストとお魚)
Macとクリストとお魚 秋山東一10月21日、新しいMac達が発表された。黒いポータブルのMac、おどろおどろしいクアドラとかいうMac、もう40の時代なのか。そんな話を22日の夜、吉松、五十嵐、の両氏とビールを飲みながら話していた。その日は次の日23日、クリストのアンブレラを見に行く為の打ち合わせをしていたのだった。
23日午前9時、常磐高速道を北上している。晴天。フォルクスワーゲンのリアエンジンは快調な音を立てて回っている。140Km、やや小さめの前輪だから割引いて考えなければいけない。1600ccのエンジンは余裕をもってミシュランを駆動、路面にピッタリはりついているような走りを見せる。快適とはいいかねる運転席、僕、五十嵐、後席に吉松、仕事に疲れている吉松氏は長々と眠っている。久しぶりの解放感、前方の長い線、とびさる風景、僕の休日、クリストのアンブレラに向かって僕のVWは疾走する。
Macって「道具だ」っていった古山氏の論旨に僕はとても賛成。僕はもっと言ってしまう。Macは「玩具だ。」あるいは「玩具だった。」このVW が玩具であるように。
Macって玩具だった。僕等の仕事が遊びである。あるいは、遊びであったように。あるいは、そんな時代であったように。
そんな幸せな時代を生きてきた。吉松も僕も、パーソナルコンピュータの時代を、もしかすると自分自身で作り出していたという風にも考えているのかも知れない。1979年、今から12年前、パソコンなんて言葉もなく、マイコンなんていっていた。
その年、AppleIIを買った。6502CPU, 32Kのメモリー、ひどく美しい機械。何をしようか、何ができるかなんて考えていなかった。その機械の中に全てがあるような気がしていた。6K BASIC, 10K BASIC, ミニアッセンブラ、何をすることもなく、メモリマップをいじって、ドットを点滅させるだけでも面白かった。すごく幸せな「玩具」の時代。まだ、ディスクドライブはなかったしテープレコーダ300BAU、ハードディスクなんて夢の中。常陸太田、西山荘の御文庫なる建物をみる。知る人ぞ知る、ちょいとモダーンな建物。僕等はアンブレラに向かって走る。国道349号線を北上、19kmにわたって1340本の青い八角形のアンブレラ、直径8,66m、高さ6m。
緑の田園風景の中に、点在するカサ、カサ。山の上に、川の中に、田圃に、農家の庭先に、アンブレラは連なる。
日常的な風景の中に、ある物を付加することにより非日常的な・・・・・・なんていうのかしら。橋の上で、オッサンが叫ぶ、「オーッ、キレイダ。」
アメリカでは同時に黄色いアンブレラ、29km、1760本、たったの21日間、費用34億円あまり、それが全てクリストの負担。
終わった後には、あとかたもなく消えてしまう。128K のMacがでた時、また新しい「玩具」として僕は手に入れた。デスクトップのグラフィカルなインターフェースに夢中になった。何かやるごとに時計がでてたけど、それも面白くてしかたなかった。マックペイント、マックライトしかないけれど、まだまだ幸せだった。・・・オタク、ファン、ユーザーの時代へと世の中変わってゆく。「玩具」「道具」「武器」へと変わってきたのかしら。
アンブレラから海へ、五浦で岡倉天心の六角堂、アジアは一つなり・・・。平潟漁港で魚を食べる。ビールを飲む。やっと三人で宴会だ。ずいぶん北まできてしまった。
帰りに国道沿いの大きな市場みたいな魚屋をのぞく。さんま10匹、500円、大きなアジ5匹、500円を買う。五十嵐氏はイカを買っていった、再び高速、すっかり日が暮れてしまった。もう、早く帰ろう。帰って叉、三人で反省会と称してビールを飲むんだ。後記
1) 28日、アンブレラは全て終わってしまった。アメリカでの事故によって日本のアンブレラも予定より早く終わった。23日、僕等は最終の天気のよい最高のアンブレラを体験したことになる。
2) あのアジを刺身にした五十嵐氏はとてもうまかったといっていた。僕が塩焼きで食した結果は油ののり少なくあまりうまくなかった。サンマはうまかった。近所の魚屋の1/3のコストだということもわかった。
3) アンブレラの最後の里美村のインフォメーションの女の子が、すっごい美形であったそうだ。我々の唯一よらなかったインフォメーションであった。ひどく残念である。かえすがえすも残念である。我等の休日の画竜点睛をかく事になってしまった。
4) 次の日、すっごく疲れた自分を発見した。オジサンは450kmもゴーカートを運転してはいけない。
5) 吉松氏はますますMacからはなれていくようだ。彼にとってのMacはもうもどらない。そのうえ、イジワルオジサンしているという話だ。クリストしか見なかった若人に、魚を食わなかったことについてイジメているというわけだ。
6)最近、会う人ごとに、クリスト以後の僕って、以前の僕じゃないんだといっている。とにかく、僕は変わってしまった。
パンフレットとアンブレラの素材
Posted by S.Igarashi at September 27, 2003 05:38 PMなんだか、若かった、んですね。
まだ、おじさん程度だったんですよ。今日日、おじーさん、っていわなきゃいけないんですから。
帰ってきてから、そういやぁ代々木八幡の「七福」で飲んだのを思い出しました。
吉松氏との Be-eater の話も「七福」で、それは、つい先日ですね。
秋山さんの後記に書いてある、アジを刺し身にして食べたのは忘れたけれど、買ってきたイカは塩辛にしたのだ。自分で塩辛を作ると、もう市販の塩辛は食べられなくなります。なんかBe-eaterに書くような内容ですね。
吉松さんも宮脇事務所の給食用にとサンマを買って帰ったりして、ちょっとした鮮魚買出しツアーでもあったのだ。