「シュリーマン旅行記 清国・日本」を買った。
シュリーマンは1865年6月4日に横浜に上陸、八王子には6月18日〜20日に掛けて旅行している。途中、原町田で投宿、翌19日に八王子へ出立、夕刻、原町田に戻り、再び投宿、翌20日に横浜に戻っている。そして7月4日にサンフランシスコに向けて横浜を発っている。
ベアトの来日は1863年と推測され、1884年に離日しているから、滞在期間は重なっている。シュリーマンが泊まった原町田はベアトの写真そのものだったようだ。トロイアの遺跡発掘の6年前のこと。
玉井さんのおっしゃる通りですね。ミシンは machine だもんね。
旧日本帝国海軍では、洗い桶をオスタップと呼んでいたらしい。これ又、wash tub のことで、お手本の英国海軍仕込みとのことだ。
そういえば、あのシュリーマンもこのルートを通って八王子まで行ってるんですね。「シュリーマン旅行記 清国・日本」でも読んでみようかな。
Posted by iGa at April 6, 2006 04:25 PMおもしれえなあ。ひとつのことばでいろんな意味や歴史が詰まってるってえのがわかるんだね。外国人の書えたもんに、けえって昔の言い方をのこしてるってわけだ。そういやあ、おれらの小せえころは、おっかあが「カタン糸」なんていったけどね、ありゃあcottonのことを耳で聞いて昔の人がカタカナにしたんで、今で言やあ「コットン」なんだってよ。昔の言いかたの方が毛唐のいいかたに近けえんだ。
秋葉原も「アキハバラ」でなく「アキバッハラ」と破裂音が含まれていたように、昔の人の話し言葉なのか、相模、武蔵、江戸の方言に特有なのか破裂音が多いですね。
Posted by iGa at April 6, 2006 09:58 AMおもしろいですね。
ラジオもないし、標準語なんてものもないんだから、耳で聞いて文字にするよりほかないわけだ。
昔、知り合いに「円次郎」というおじさんがいて、アルファベット表記は Yenjiro としていましたね。
masa さん、お早うございます。
それにしても、江戸が"Yedo"なのは恵比寿が"Yebisu"の如く、嘗ては子音を含んだ"YE"の音節を使っていた証かもしれませんね。平仮名の"YI"や"YE"を知ってる人間も減り、僕も「る」と「え」の合の子のような"YE"を正確に書けないし、ワープロでも当然変換できない。それでも貨幣単位の円は"Yen"を使っている。子供の頃なんで"YE"が書けないのだろうか不思議だった。
こういう例は、日本の外来語にも多々見られますが、やはり面白く、笑ってしまいますね。思わず、同じ地図を見回し、ハコニ(箱根)、アツンギ(厚木)、イノシマ(江ノ島)などを見つけて喜びました(^^;
Posted by masa at April 6, 2006 04:31 AM