Fumanchu先生、どうもです。
まぁ、基本的に昔から男子は馬鹿ですから。昔は木造校舎だから、馬鹿な児童や生徒が二階から渡り廊下の屋根に飛び乗って、スレート屋根を打ち抜いて、骨の二三本折るような大怪我するようなことがありましたね。その頃は親も家の馬鹿息子が迷惑かけました、と謝ることはあっても、学校や教師に責任を押し付けることもなかったですね。
生きると云うことは毎日がサバイバルですから... 悪運が尽きたら...ですね。
Posted by iGa at December 23, 2008 01:55 AMかんさん、どうもです。
プールなどは日程を決めて一般区民に開放されているようですが、校庭はやはり、池田小事件からでしょうか、立ち入り禁止の立て札がありますね。
Posted by iGa at December 23, 2008 01:32 AM馬鹿親が増えています。小さい頃に痛い目に会っていない子供が増えています。何が危険か、何が安全か、自分で判断できない人間が増えています。
拙宅前の浜松城公園では以前、馬鹿子供が石垣をよじ登っていて、石が崩れて転落死、という事故がありました。遺族は市役所を相手に賠償請求。高裁まで争って市役所側勝訴でした。これは行政の不当な自己防衛には当らないと思う。
しかしその後の公園内は「安全」を目指して「せせらぎ」の石が「グラリ」と動かない様にモルタルで止める様になり、ますます何が危険か、何が安全か、解らない子供を増やしています。公園で「小さな痛い目」に会わない子供が、キャンプで川の浮き石から落ちて死ぬのですね。
馬鹿子供事件の時に矢面に立って。賠償を拒否した担当者も定年。外郭団体理事長でのんびりやっているので、飲み屋で「水戸黄門が若者をびしびし指導しなくてどうする。」と言ったら、「多年禄を食みながら弓は引けねえ。」とぬかしよった。
以前、女子美のちょっと南に住んでいたころよく隣の蚕糸の森公園を利用していました。小学校の校庭が公園とシームレスに繋がっていて公園利用者もそのまま入れるので夜間や休日にトレーニング場所として使わせてもらったものです。
小学校の屋内プールも夜間なんかは一般解放されていたと記憶しています。
池田小事件以降どうなったのかは知らないのですが。
Posted by かん at December 22, 2008 01:03 PM