そういえば1973年頃、静岡市公会堂で浅川マキを聴いた事があった。高木滋生設計事務所に務めていた頃、テレビ静岡のスタジオ棟増築の仕事で静岡事務所に出張していた時だった。急用でコンサートに行けなくなった人からチケットを譲り受け、事務所の先輩と静岡市公会堂のステージを見下ろす二階最後尾の天井桟敷で聴いた。最も印象に残ったのは「かもめ」でも「夜が明けたら」でもなく、アンコールか何かで唄った「港の見える丘」だった。浅川マキのコンサートを聴いたのは後にも先にもこれだけだったので、彼女が「港の見える丘」を度々コンサートで歌っていたかは知らない。しかし、戦後の昭和22年に発表されたと云うこの唄は未だ少女だった頃の浅川マキの人生を変える曲の一つだったかも知れない。そして、もしかするとこの唄はその返歌なのかも知れない。
追記:山下洋輔「彼女の歌には魔力が…」浅川マキさん追悼秘話
僕は高校生の時か浪人時か国立の一橋大学兼松講堂で、山下洋輔と浅川マキのコンサート聴いてます。もちろんビリーホリデーです。
本当に心にしみ入るライブで、山下洋輔の20分を大幅に越すソロも圧巻でした。客席側の暗い端っこでうなだれて聴いていた浅川マキが素敵でした。
fuRuさん、どうもです。
しかし、50年近い芸歴の人って凄いね。
僕が静岡市公会堂でコンサートを聴いた頃、fuRuさんは小学生だった訳だし...時代を超えて...それぞれですね。
僕が学生の頃、文芸座でオールナイトコンサートを毎年やっていて、そのコンサートの警備のアルバイトをしたことがあります。近藤等則とのコンサートでした。
Posted by: fuRu at January 26, 2010 01:01 PMM.Niijimaさん、どうもです。
仕事をご一緒にですか...
遠の昔に...彼女のテリトリーだったatg新宿文化と蠍座も消え...そして嘗ての新宿の生き証人も...昭和も二昔前のことになってしまいましたですね。
かつて一度だけ仕事をご一緒したことがあるのですが、文字通り唯一無二の存在を感じたものでした。
一公演を残して滞在先でお亡くなりになったとのことですが、パフォーマーにとっては無念であったかもしれません。合掌。