気になる風景がある。江戸市中から山里に戻る途中のJR中央本線多摩川橋梁から見た河原の風景がこの40年の間で変貌している。多摩川での砂利採取が禁止されたのが昭和39年(1964)東京オリンピックの年だそうだ。オリンピック特需で濫掘された為だろうが、需要が一段落してから規制するのも、極めて政治的である。その後、砂利採取法によって法整備されたのが昭和43年(1968)と云うことだが、その頃、多摩川橋梁から見た河原の風景は砂利採取の現場そのものであり、土手沿いの道には幾つもの生コン工場があったと記憶している。ながいこと、砂利と雑草に覆われていただけの河川敷に上流から漂着物が根付き、繁みから雑木林へ、それに合わせてブルーシートの小屋も潅木に隠れるように点在するようになった。車窓から眺めるこの風景に時の流れだけでなく、自然の回復力を感じずにはいられない。海進期が終わり、水が引き、再び地表が緑で覆われ始めたときの風景を想像してしまうのである。
Posted by S.Igarashi at May 28, 2007 09:26 AM