今朝の新聞テレビ欄に「人気の血液型バラエティー窮地?」「差別を助長」「非科学的」の見出しが目についた。「放送倫理・番組向上機構」に寄せられた苦情に基づき、「放送倫理・番組向上機構・青少年委員会」が民放各社に自粛を申し入れたそうである。
私も11月28日にエントリーを書いて下書きのまま未公開にしてあったが、10日目にして公開します。
近ごろ、学生の話題の筆頭は血液型占いのようである。女子美でも、造形大でも、学生の私語は誰々が何型でなんちゃらかんちゃらで私は何型だからどーでこーでと云うモノである。テレビの番組表を見れば「血液型なんたら」や「占いモノ」が目白押しである。オウムによる地下鉄サリン事件から来年で10年目、一時は鳴りを潜めていた、こうしたトンデモ系がホトボリが冷めたと勘違いしたのか復活している。
血液型性格占いは旧帝国陸軍による軍隊編制を目的に兵隊を掌握するために考えられたものに端を発すると云われている。簡単に言えば情報操作によって、人を支配することが目的です。中学時代の国語教師はノモンハン事変に将校として参戦していたことを自慢していたが、彼のコンプレックスは血液型であった。「自分はA型だが、勇猛果敢なO型に生まれたかった。」と、この教師は実に時代錯誤で非教育的な発言を繰り返していた。
占いの類いはどこか野球の打者の成績に似ている。三割打てば大打者となるが、実は七割は失敗なのである。占いはその文学的表現によって如何様にも解釈できるような曖昧さを旨としている。であるから、一割でも自分に該当する事柄があれば関心を引き、三割も該当すれば、もうその占いは大当たりで、見当違いな七割は無かったことにされる。血液型なんたらが罪深いのは統計を装った似非科学風なところであろう。何よりも問題なのはそれを信じる輩が人を色眼鏡で見て思考を停止することである。