誰のアフォリズムかは忘れたけれど「勝利には偶然性が必要だが、敗北は必然性の結果である。」と云う意味の言葉を読んだことがあるが、今朝方のアテネ男子サッカーの結果はまさにその通りだった、思いである。
試合の始まる前にサッカーオリンピック代表・山本ジャパンをテーマにした(この○○ジャパンと云う表現は止めて欲しいが、、)NHKスペシャルの再放送をちょっとだけ見た。その中で山本監督が頻りに人間力という言葉を口にしていた。それを見て、ちょっとヤバイなぁ〜と感じてしまった。なんとなく自己啓発セミナーとか、愛読書は山岡荘八や司馬遼太郎とか云うような中小企業のオッサンを集めたセミナーでは喜ばれそうな話だが、「人間力」にプロのサッカーコーチとしての限界を見てしまった思いだった。試しに「人間力」でGoogle検索したら、思った通り、JC主催のこんなものがあった。なんだかなぁ、である。
ご存知のように試合は開始五分のDF那須の散漫なプレーで失点、それが試合を決定づけた。サッカーオリンピック代表18人が山本監督が言うように「人間力」を重視した人選であったならば、あのようなプレーはなかったと思うのだが。予選を戦い抜いてきたキャプテンの鈴木を切り捨て、新にキャプテンに据えた那須の失点に繋がるプレーは、僕たちが一番見たくないものだった。明らかに他人に助けを求め、自己判断で瞬時に問題解決しようとしなかったことが事が失点につながるという、山本監督が言うところの「人間力」に掛け離れたものである。
結局のところ、サッカーはコミュニケーションのスポーツである。女子サッカーがスウェーデンに勝ったり、A代表がアジアカップを手に出来たのも、コミュニケーションが試合を重ねる毎に良くなってきたからであろう。A代表に関しては主将・宮本恒靖のネゴシエーターとしての成長が勝利を支えてきた感もある。
サッカーオリンピック代表に関して多くの人が危惧していたコミュニケーションの問題が攻守共マイナス要素として働いてしまった。勝負は時の運であるが、集中力に欠けた覇気のないプレーだけは見たくない。予選リーグ、残り二試合、悔いの残らない試合をして欲しい。
因みに私の予想は1対1の引き分けでしたが、見事に外れました。(^^ゞ
8月17日東京新聞朝刊・大住良之(元サッカーマガジン編集長)のコラム
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8月19日東京新聞夕刊・大住良之(元サッカーマガジン編集長)のコラム
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と云うことで、予選敗退が決まりました。
NHKスペシャルの再放送を見ての「嫌な予感」が的中してしまった感があります。
アジアカップではヨーロッパ組が抜けたのが幸いしてか、それなりにチームは成長して結果も残しましたが、ジーコに監督としての指導力があるかは未だに疑問符が付いたまま離れません。ジーコ支持の川淵政権も安泰で、当分のあいだジーコ監督だろうから、選手が自主的にフォーメーションの確認やセットプレーの約束事や様々なオプション等々を確認してピッチ上の監督を作らない限り、WCの予選は勝てないと思います。逆説的に言えば、代表監督なしの最強チームを作れる可能性があるかも知れません、それがジーコの目指す選手の自由なプレーなのか私には解りません。
以前、A代表のジーコ采配を批判して「選手達の帰る場所がない。」と書いていた元ブンデスリーガーで元Jリーグ監督がいました。それを読んで上手いこと言うと感心しました。つまり、窮地にたったときフォーメーションを確認して組み建て直す、その最低限の約束事が選手に与えられていないと、その解説者は述べていました。
ジーコが拘り続けた4バックから3バックに変えてから、チームが安定するようになったのは皮肉な結果ですが、相変わらず、チームの攻撃のカタチ、守備のカタチの約束事は明示されず、選手の自主性に委ねられたままです。それがブラジル流、ジーコ流と言われれば仕方ありませんが、日本サッカー100年構想の最初の10年目にそれを押し付けるのは、いささか早急の感もあります。
こんにちは
○○ジャパンというマスコミの表現で監督にスポットがあてられすぎるきらいを感じます。
ジーコもアジア杯で優勝したもののアンチジーコのサポーターは根強く、その理由と言えば、成績不振が実績と経験がないからという理由に直結してるように感じます。個人的には選手のW杯予選に対する気持ちの緩みが、玉際の弱さに出ていただけのように見えましたが。
ジーコには頑張って欲しいのですが、正直言って監督としての能力は素人のわたしにはよくわかりませんが。(いずれにせよアジア杯優勝でW杯予選はジーコと心中するしかないわけですが。)
いがらしさんはジーコの監督としての能力はどう評価されていますか?やはり交代したほうがよいと感じますか?
話がそれてスミマセン。
まったくiGaさんの言う通りだと思います。
「自己判断で瞬時に解決しようとしない・・・」
そんな人間がどんどん増えないで欲しいと願っています。